私が菜食になったわけ       
サスケ
1)菜食を決意した理由といきさつ

私たちがごく当たり前のように目にする動物の肉ですけども私たちは、どのようにこのように加工されるか、そして、私達人間同様の生き物の肉だと意識したことはほとんどないでしょう。
私の家のすぐ近くに豚舎があり、私はしばらく観察をしていました。
人間に食べられる動物たちは皆、大量に飼育 されるため、ペットのようには扱われません。一歩たりとも歩けない檻の中に入れられていました。
彼らも私達同様、運動することが自然の状態であるため、その自然の状態を奪われるということは、かなりの苦痛でしょう。想像してみてください、朝起て、その場から動いてはいけないのです。その状態で一歩たりとも動けづ硬いコンクリートの上で一生をいきるのです。
我々は一ヶ月でもやったならば、うつ病になってしまうでしょうね。
それが彼らには何年間も続き、一度も開放はされないのです。一度も緑の自然は触れられないのです。
彼らを我々同様の生命であると見ることのできる人は、あまり多くはないでしょう。
しかし、彼らは正真正銘の生命なのです。彼らの幸せを奪う権利は全く我々にはありません。
現在の肉食用に粗悪な環境下のもとで育てられ、最終的に殺される生命たちは本当に無実な囚人達です。
「なぜ、罪なき純粋な動物がこんなにも苦しめられなくては、いけないのでしょうか」
自然と戯れ自然な状態を奪われた彼らは、うつ状態のような精神病にかかってしまうと{豚は月夜に歌う }という本で読みました。
私は自分がこうされたら「マジ、ありえない」と感じ恐ろしく感じました。この状態が1日や3日ではないのです。一生なのです ありえませんよね。
そしてすぐに肉は止めました。 親に怒られましたが、なんとしても食べない決意を固めました。あまり善いことをすることが無い私でも他の生命を尊重して生きると決めたのです。
毎日静まることの無い豚の悔しさ、ストレスが感じられる悲鳴は度々、私に悲しみを抱かせます。
彼らをこの苦しみの中においているのは、人間の無知とエゴだと感じました。
私はいつか必ず肉食を気違いじみた行為だと思い出される未来が来るのだと信じています。
「私は必ずいつか、彼らの子孫が自然に戻れる日が来るのだと、信じています」

2)その後の苦労話

ここ日本では菜食主義者を変わり者だと思われてしまうので、まだこの国の動物愛護の意識は低いのだと感じさせられます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
よかった点は 
心に精神に落ち着きが出来ました。
怒ることがすごく減りました。
道徳的な生き方を進歩させ自分の信条に合った生き方なので、自信がすきました。
あと、インドのスピリチュアリティは菜食をかなりのアドバンテージだと多くの聖者は言われています。
悪かった点は特に無いですが、菜食主義者のヴィジョンから見るとレストランは肉しかないのかと思うほど、どの料理も動物が入れられています。

香音
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

一番最初の私に考えるきっかけを与えたのは中学だか高校の英語の教科書でした。内容はあるアメリカ人が日本に来た時の話で、日本人との食事をテーマに書かれた話の中に「山で自分で狩をしてそれを食べた、というと日本人、特に女性はそんな野蛮なというような嫌な顔をする。けれど、自分達は食卓に並ぶ肉を食べているのに。」という物がありました。それを読んで以来、自分でさばけないものを食べる資格があるのだろうか?私はそういう状況になったときに自分で動物を殺して食べるだろうか?と考えるようになりました。それが出来る肉食の方に文句をいう気はありません。でも、それが出来ないのなら私は自分でそれを体験する日まで肉を食べる資格がないように思えてきたんです。高校時代にお世話になったホストファミリーが厳格なベジタリアンだったこともあり、その頃からセミ・ベジタリアンとノン・ミート・ベジタリアンを行き来してる状態だったんですが、また突然肉を食べる食生活に一度戻ってしまったんです。それでもベジタリアンの生活をしている時の方が体調はよかったことから、ベジタリアンに戻ろう戻ろうという意識はあったのですが、なかなか出来ずにいました。やはり何かきっかけがないと普段の食生活を変えるというのは難しいと感じていたところに、あまりにも忙しすぎる生活が始まりました。普段から朝7時前に家を出て帰宅は夜中の12時をまわる頃という生活が続いていた中で、睡眠時間が毎日2時間から4時間で食事をする時間が本当にないという状況までひどくなりました。本当にそんな生活があるのかと自分でも思いましたがそれが2週間ほど続きました。夕方まで何も食べていないことの続いた私を見て、周囲の人間が食べ物を買いに行く時間もないほどに切羽詰った私に食べ物を与えようと「何が食べたい?」と聞いてきました。その度に「肉以外」と答えるようになっていました。こちらのサイトにも"肉を食べると元気になるという常識のウソ"というアーティクルが紹介されていますが、その頃はそんな知識はなかったにも関わらず体が極限状態に追い込まれて本能的に察したのか、「今肉なんて食べたら倒れてしまう。」と思ったんです。それ以来また肉は食べなくなりました。
現在はノン・ミート・イーターにあたると思います。でも、周囲の友人にはペスコ・ベジタリアンと認識されているようです。家では乳製品も全て大豆で出来ス物かライスミルクしか取らないのですが、外食となるとチーズや牛乳を摂取してしまうもあるので、そのあたりが曖昧な状態になっています。たまにタンパク源と思って卵を食べていたのですが、このサイトを拝見させていただいてその必要がないことを知り、卵もやめようと思うきっかけを与えてもらいました。何より、大豆製品が大好きで冷蔵庫にはかならず豆腐、納豆、豆乳、があり、たまに食べるヨーグルトも大豆で出来たものなので、もとから十分すぎるほど植物性たんぱく質は取れているんですよね。そして、子供の頃からたまに出ていた蕁麻疹。その度に乳製品や卵の摂取を控えなくてはならなかったことを考えても私の体には必要ないということの表れのような気がします。今後外食での乳製品ももっと厳しく取り除いていこうと思っています。自分の体が欲していないのに尊い命を犠牲にすることはできません。といいながら、魚はたまに食べているんですが。魚介類で体に影響が出たことはまだありません。

2)その後の苦労話
アメリカで生活をしていることもあり、ベジタリアンへの認識も高くあまり苦労はしていないと思っています。友人知人にもベジタリアンは多いので。肉を食べないと知ると「思想上のためか?健康のためか?」とよく聞かれますが、実際は両方なのにめんどくさいと感じてしまうことが多々あり、アレルギー体質ということを利用して「健康のため」とだけ答えるようにしています。肉食の人たちと思想上のことで論争をする気は毛頭ないのですが、時にはっきりと自分の意見を言うということを抑える行為に疑問を感じないことがなくもありません。でも、思想上のことは分かり合えない人とぶつかっても溝を深めるだけだと思うので、それが多少のジレンマです。どちらかといえば、こちらにいる日本人の方に説明する時の方が多少気を使います。友達にはすらっと言えてしまいますが、知人程度の人だとベジタリアンの多い国にいるとはいえ日本人の私がベジタリアンということで、多少奇妙な目で見られるところがあり、気を使いますね。向こうにも気を使わせてしまうのが感じ取られるのが不便に感じます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
明らかに体調がいいです。

coco 
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

アフリカのサバンナへ行ったとき、狩のシーンを目の前で見てしまいました。母親の目の前でまだ小さなガゼルの子がチーター親子の餌食になりました。母ガゼルは群が遠くはなれてしまっても、日が暮れて真っ暗になっても、ショックでその場から身動きができず、呆然と立ち尽くしていました。目の前で子どもを殺される悲しみは動物も同じだったことに気づいたのです。気がつくと自分もこれまで間接的とはいえ、母たちから何千匹もの子どもたちを奪ってきてしまったことに気づいて、恐ろしくなったのです。それ以来、子育てをする哺乳類を食べることが嫌になりました。
 その後、夫の勤務でアメリカに渡り、人間には肉食の必要が全くないこと、また動物たちの飼育方法、屠殺状況のひどさを知り、卵や牛乳でさえも、恐ろしい虐待に加担していることがわかりました。アメリカではベジタリアンが既に市民権を得ているどころか、都市部、有名人、知識層、富裕層ほど動物愛護に熱心で、菜食主義だったりするのです。ベジタリアン食材も豊富に揃っていますし、レストランにも必ずベジタリアンメニューがありますので、全く不自由することはありません。夫も健康に支障がないことを納得し、私がビーガンになることを認めてくれました。(それまでは健康を害すと思い込んでおり、お肉を食べないとひどく怒って無理やり私に食べさせていたのです。)

2)その後の苦労話

日本へ帰ってきて、ビーガン食材が少ないことと、食材にそのような表記がなされていないことですが、もともと豆製品は豊富な国なので、それほど苦労はしていません。機会あるごとに知人・友人に飼育と屠殺の惨さと菜食のすばらしさを伝えていますが、今のところ、みなさん好意的に聞いて下さって、お肉を控えるように、または止めるようにしてくださっています。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点

悪い点は何もありません。良い点は、肉食の悪に気づいたこと自体が、私にとっては幸運なことで、誇りに思っています。食べ物に感謝する気持ちが沸いてくるようになりました。今日も動物を傷つけずに済んだ、それだけで十分です。それでいて健康にもいいので最高です!
 アメリカンベガニズム

Buzz☆
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

毛皮反対の活動を知って少し手伝ったりしていて、ネットで動物愛護系のHPを見ていると,毛皮はだめでお肉はいいのか、って考えるようになりました。またひどい屠殺の場面などを写真で見てショックを受けたり、屠殺場に向かうトラックの豚、かんかん照りのなかぐったりして詰め込まれて運ばれている鶏を見たことが重なってやめることにしました。
卵や乳製品は食べていましたが、2週間ほど前からやめています。

2)その後の苦労話
田舎なので、ベジレストランもないですし、外食は一部の和食以外できなくなりました。周りに気を遣わせていることや、どうして食べなくなったのかという話題に触れたがらないそぶりを見せられるのがつらいです。知ってほしいと思うけど強要はできないですしね。家族にも、「あんたが食べんかったら食べにくいやろ、感謝して食べることも必要」と言われ、なんと答えていいのか分からなくなります。人は人、自分は自分だから批判なんてしないし食べて、って言うのですが、関係ないことないでしょって怒られます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
他の方も書かれていましたが、食後の苦しさがないのにはびっくりです。あと人付き合いも減っていくと思いますが、理解してくれる親しい人と付き合えるので逆にいいと思います。
でも買い物に行っても、原材料をすべて見ないといけないし、新しい人やまだ知らない人に自分がベジになったことをカミングアウトしてその反応を受け止める力もいるし、そういうのが一通り終わるまでにエネルギーがいりそうだな、と思います。

紅い小熊
1)菜食になったわけ。
毛皮惨業、と殺の実態、を調べ始め本を何冊か読み漁った結果です。以前みた「まぐろの漁」「保健所での殺処分」「海獣の撲殺漁」などのドキュメンタリーを沢山、思いだしました。鳥インフルエンザ騒動で、生きたまま無造作に袋詰めされいき埋められる鳥たち。お腹を空かして里に下りて射殺される熊たち。いろんなことが頭をかけめぐり・・・「死体の晩餐」という本を読んで決心がつきました。
2)その後の苦労話
インドにいってからしばらくラクトベジをしていて、数ヶ月(半年以上は続けたが、忘年会、正月で落ちた。汗)挫折したことがある私なので周囲の目は冷めていました。また、変なことはじめて・・・という感じで。今回は諸々の行動も言動も変化が著しいのに気づいた家族は 最初猛烈に足をひっぱりました。「ベジタリアンの医学」という本やベジ・レシピの分厚い本、「永平寺の精進料理」などを読み漁っていたので 今は様子を見てくれています。
・・・料理がしんどい。もともと健康オタク?なので添加物を抜くとなると、もうほとんど手づくり。甘いもの好きだけどビーガンを目指しているので、大好きだったミルク、チーズ、バターが使えない。ゼラチンもだめ。でもやっと最近、光が見え出しました。豆乳で作る植物性ヨーグルトを知ったのです!まだ大々的には売り出していませんが、「手始めキット」?を買って、今回作っています。
3)良かった点
何といっても心が軽い!こんな感覚は はじめてです。これを続けられたら 心に叶う生き方も出来るのかも。良心に恥じない生き方ができれば、真に人生を生きることができそうです。
悪かった点。
家族と揉めた。友人にはまだ 話していない。(することが増えたので{料理とか}説明するのが今は面倒)
外食が出来ない。物事を批判的に見すぎて 人と会話しにくい。でも最近は平衡がとれはじめています。人は人。関心があればいくらでも説明するけど、・・・って、思い始めました。命の時間は 誰にとっても有限だから。 (戻る) HP http://blog.livedoor.jp/ski999/

konnichiwa
ベジタリアンに対して、ずっと偏見を持っていた(偽善者とバカにもしていました)、そんなわたしですが、最近、ベジタリアンに転身しました。
 
色んな出来事が重なりそうなりましたが、食肉の裏に潜んでいる問題、菜食主義や動物愛護を唱える人の地道な努力、そういうものに目を背けていたどころか、バカにしていた自分が今ではとても恥ずかしいです。
 
ベジタリアンになることは、理解の少ない日本では特に、強い思いが必要だと思います。なので、私は全ての人が菜食主義になるべきだとは思いません。私自身も、卵や乳製品はまだたまに食べ、魚介類も出された場合は食べるタイプのベジタリアンで、厳格なべーガンにはまだまだなりきれません。でも、少しだけ食肉について考えてみて欲しいと思います。そして、スーパーやファストフード店で見る肉の量が少しでも減っていけばよいと思っています。
 
ベジタリアンでは栄養が偏る、肉を食べなきゃ元気が出ないと思い込んでいる人が多いけど、それは単なる偏見だと知っていましたか?菜食なら、余計に植物を刈るのだから自然破壊になる!植物も同じ生き物なんだから、動物だけ食べないというのは間違ってる!と思うかも知れませんが、肉食のために破壊されている自然がどのぐらいか知っていますか?地球温暖化のために、こまめに電源を切る・・・などの地道な努力をしている方も多いと思いますが、食肉によるCo2の排出量、消費する化石燃料の量がどのくらいか知っていますか?確かに、人の生活は他の生き物の犠牲の上にあるけど、必要以上に犠牲にしていないだろうか?
 
元アンチ・ベジタリアンの私でしたが、菜食について本やネット調べれば調べるほど、肉を食べたい気が失せてきました・・・。下に、いくつかのよくまとまったサイトを紹介します。興味を持ったからがいましたら、是非、ご覧になって見てください。アンチ・ベジタリアンの立場の方も。 (戻る)
http://rayinfo.koizumiengei.com/...
http://www.jpvs.org/..

なおや
1)菜食を決意した理由といきさつ
アメリカに来て、レストランなどで、あまりにもどの料理もおいしくなかった。肉などを食べておきながら、まずい!というのは、動物たちに対して大変失礼だし、しかも、まずい肉にとても感謝できないので、それなら、いっその事食べなければいいと思うようになった。

2)その後の苦労話
なかなか、完全菜食の外食をする事が出来ない。いちいち友人に説明するのが面倒。

3)菜食を続けてよかった点、悪かった点

良かった点:たまに出る吹き出物が減った。排泄物、汗、などのにおいが減った。人に対してだけで
なく、動物に対してもより思いやりをもてるようになった。健康について考えるようになった。病院は
遠くなった。
悪かった点:肉食、菜食の是非について、論議すると、いつも論破し、肉食人間を悪人にしてしまう。

たまたまインターネットで、環境省が二酸化炭素排出削減を目指して、8時に消灯する事を知りました。
なんて消極的な試みだろうと思って、他にどんな事をしてるのだろうと環境省のホームページを見てみました。
何と、菜食が推進されてません。どうして?
地球の温暖化を減らしたいのなら、まず、肉食を減らす!ですよね?
肉食を減らす事で、温暖化対策になる事を、環境省のお偉いさんに説明して頂けませんか?
環境省のホームページ www.env.go.jp/moe-mail.html    (戻る)
miyo
去年(2005年)の9月頃に親友がベジになった。
 屠殺の現状などを見て「もう、気持ち悪くて食べれない・・・」と思ったらしい。
 この時は「気持ち悪くて食べれない」って感情がよく分からなかった。
 
 私も早速ネットであさる様に実態を見た。
 逃げ回る豚・血が滴ってる牛・ギュウギュウ詰めの鶏。恐怖と悲しみで一杯な現実・・・。
 「何でそんなに叩かなアカンねん!!」「やめて〜!」パソコンのモニターを見ながら声が出ていた。
 中でも衝撃的だったのがケンタッキーとマクド・・・この日がきっかけとなり立ち寄ることもなくなった。
 でも、私はこの時点でベジになる。っていう風にはならなかった。
 
 旦那は大の肉好き。しかも動物愛護的なことにはさほど関心はない。
 『もし、私がベジになったら料理は別々の献立にしなくちゃならないな・・・大変だ。』
 『目に見えている肉そのものだけじゃなく、動物性のエキス、卵、牛乳・・・たくさんダメになる。できるかな・・・。』
 それからの買い物は憂鬱で、肉を手に取ってる自分が悪魔か!?とすら思えた。
 スーパーで陳列された肉を見るたび自分の良心が痛んだ。

 さすがに進んで『お肉食べたい!』って感情にはならないが、急に食卓から肉を消すことには抵抗があった。 
 出来るだけ廃棄処分されるであろう黒ずんで見た目の悪い肉を買うようになった。
 同時にこの頃から、肉を残したり処分したりすることが罪なことに変わっていった。
 食べられる肉=有意義な肉ではないが・・・「捨てられる肉=無駄な死」私にはこう思えた。
 元々、肉に限らず、食べ物を平気で残す人や、粗末にする人は見ていて嫌な感情にさせられることがよくあったんだけど、。
 屠殺の現状を知ってから、そこには拍車がかかった様に思える。

 ベジタリアン料理に関心が出てきて、色んなサイトでレシピやどんな食べ物があるのかを見るのが習慣になり、すごく勉強になるサイトもたくさんあった。
 ベジに関してのサイトでよく「肉食は体に悪い」「牛乳は鼻炎のもとだ」と書かれている。中には「肉食は罪だ!」というのもあった。
 私は、私自身が肉食で罪を感じることがあっても、人から「あなたお肉食べるの?!最低ね!」なんて言われたら腹が立つ。
 今まで、普通に食してきたものが「体に悪い」なんて言われても・・・
 牛乳を5年位飲まない生活をしてたことがあったけど、飲んでる今と変わりなく、その頃もひどい鼻炎だったよ・・・
 肉食が体に悪いんじゃなくてって・・・食べ過ぎたりバランスが悪かったら、でしょ?
 肉食は罪!体には毒!!肉食の人間を全否定しているサイトに反発すら覚えた。
 
 様々なサイトを通して、食の問題にも興味を持つようになった。
 今まで安ければ良いと思っていた野菜が、ちょっと位値段が上がっても新鮮で安全な物が良いと思うようになり、近所の朝採れたての野菜を買いに行くのが 習慣になった。
 たくさんの採れたての野菜が並んだ売り場はとっても楽しくて、すごいパワーを貰ってる気がした。
 こんな風に思える自分が意外だった。
 宅配でも無農薬の野菜を取り寄せてみたり、今まで自ら買うことのなかったヒヨコ豆やレンズ豆を買ってみた。
 お肉の料理より、野菜の料理は楽しくて、豆はカワイイな〜なんて思えたり♪
 たまに、ベジ料理を生活に取り入れてみる様になっていた。

 ちょうどそんな頃、いつも楽しみに見ていた「better than nothing 」(a-ma-o-toさん)のブログで
 「ある日の誓い」というトリックスターブルーさん( ゆういちさん)の詩を読んだ。


僕は首都高速道路を走っていた・・
4トンの一番デカイトラックを運転して、鼻歌交じりに、自分の夢が一番デカイと信じていた・・・
そして、その命は何よりも尊いものと信じていた
だから毎日肉でも何でもクソ食らえと・・覚えた言葉、「感謝」を口にしては食って生きながらえて、食物連鎖の頂点などと息巻いていた・・
新しいものを買う・・そして、その時に出る「ゴミ」とされた家具や家電達・・それをある場所からある場所へ移動するのが僕のその時の収入源だった・・・
それらからしたら、僕は死神のような存在だった

ある日、隣を走る同じ大きさのトラックに気が付いた
というより、其の荷台に乗っていた「荷物」に・・

暗く成ったばかりの窓の向こう側には、黒い大きな目があった
しばらく時間が止まって何かを沢山聴いたようだった
そして、緑の丘、青い空と流れる雲、幸せそうな笑い声、美しい風景が見えるようだった

「もう食べないね・・」僕は声を出して言っていた

其の潤んだ目は悲しみに濡れているように僕には映った

そして、僕の言葉を聴いてくれたようにも感じた・・・

優しそうな其の大きな黒を僕は追い越していった・・・


それ以来、僕はベジタリアンという人種に数えられるようになった・・・

  
LOVE★PEACE&ECO・。。・・。。・・・。。・・v^0^v!

ゆういち。。



 涙が止まらなかった。
 詩を読んで以降、ベジになりたい!って思った。
 なりたい!って変な表現かな?
 私は肉を食べること買うことにストレスがあっても、食べるとそれは現実を知る前と変わらぬ味で・・・食べれてしまってた。
 肉食を我慢することから始めるので、なりたいって憧れ的な表現になってしまう。
 そこから、また「いきなりヴィーガンでも続けて行けるかな?」って不安が生まれた。
 何日か葛藤があったけど「出来ない理由を付けてたら、いつまでたってもできない!」って結論になった。
 自分なりに考えてノン・ミート・イーターからはじめてみることにした。
 
 
 完璧じゃなくても良い。
 出来ることがはじめよう!

 私に屠殺の現実を教えてくれた親友。
 様々な実態の情報をくれたサイト様。
 素敵な詩で前向きになれる気持ちをくれたゆういち様
 本当にありがとう。
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1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

菜食になるまでは、肉料理が大好きでした。レストランではステーキ、鶏肉はとりわけ好きでした。
・・・しかし、その裏で殺されていく動物たちの事に全く気にも留めてなかったのです。おいしい、おいしいといって食べていました。

ですが、10年ほど前、だんだん肉を食べた後、罪悪感に襲われるようになり、「自分が肉、魚を食べないで一匹でもかわいそうな動物が減ってくれるならば!!」と思い一代決心をして、母に、「肉、魚食べるのをやめたい。」と言いました。その時は母も自分も長続きはしないだろうと簡単に聞き入ってくれました。

今年で菜食10周年です。
今も変わらず、肉、魚は食べていません。
前より増して、絶対に菜食はやめない!と言う気持ちは高ぶる一方です。

2)その後の苦労話
外食がほとんど出来なくなった事。
奇異の目で見られることです。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
動物を食べなくなった事で気が楽になりました。
罪悪感は感じないのですから。
いつも3日坊主なのに、10年続けれる事を誇りに思うようになりました。
悪かった点は、結局偏食(満遍なく食べたほうが良いと医者に言われました。)なので、体のバランスが崩れ、太ってしまった事です。

それでも菜食は辞めるつもりは毛頭ありません。(戻る)
ちゅあき
1 菜食を決意した理由といきさつ
子どもが先天性の病気をたくさん抱えていて、いろいろ模索しているうちに、たどり着いた。決意と言うよりも自然にそうなりました。

2 その後の苦労話
夫とその両親が肉好きなので完全な菜食主義とはなってません。
週2〜3回は食べるときもあります。魚も食べます。子どもが給食で肉、魚を食べられなかったら困る、とも思って。

3 菜食をつづけて良かった点、悪かった点
以前のように胃痛、腹痛で苦しむ回数が減った。生理痛も軽くなった。夫が肉を嫌うのを嫌がりますが悪いこととは思っていません。嗜好の違いなので。いつか夫も菜食になってくれればとは思いますが。(戻る)

Chiko
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
 
「カルネ」という映画で、馬を裁く映像を見ました。はじめはショックと「こんな映像を見てしまった自分はヤバイ」という思い出あたふたしたのですが、よく考えると自分が日常たべてる肉が全てそういう風に殺されているのだし、こんな風に動物が殺されているのは日常なのだと気が付いた。その後、「肉を食べなければ不健康になる」という偏見も、忙しいスケジュールで超活躍している海外の役者やミュージシャンを見ながらなくなり、いろんな本やサイトを読んで、むしろ肉を食べないほうがカラダに良いと知った。あとはもう迷わず、ベジタリアンになるしかない!と思った。
   
2)その後の苦労話
 他のヒトにどう説明すべきか、というのは、いまだによく考える。
 
3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
 
<良かった点> 
    
・自分で料理を作るようになって、色々勉強になってること
・体調がとにかくよく、人生で初めて健康的なダイエットに成功中
・精神的にも、スカっとしてる
・食肉や動物について調べて、色々と勉強になった
 
<困ってる点>
 
・偏見の眼差しで見られる機会が前より増えた(戻る)

yano
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
ここのサイトに行き着きビデオを見てとても驚いたことと同じ動物(命)なのに何故今まで気付かなかったんだろうという思いからです。
三味線や和太鼓の話で昔は猫や牛の皮が使われていたと聞いて酷いと思っていたんですが、このサイトを訪れて様々な他の動物達の毛皮にも言えるんだと気が付き始めました。
それに食糧面(穀物)の話も読み、「あぁ、確かにそうだ…」と反省した為です。

2)その後の苦労話
菜食を始めてまだ日が浅いのですが、魚を食べてもいいのかどうか悩んでいます。
やはり同じ命であるし、何だか迷っているような食べられないようなそんな気持ちで。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
胃がもたれなくなりました。
お肉を食べるとどうしても重くなっていたので、止めてよかったなと思っています。
運動する時もかなり楽です。(戻る)

MOM
以前から中途半端にベジタリアンをやってきましたが、現在ツワリのため肉・魚・卵・牛乳を食べられなくなりました。
良いきっかけが出来て毎日ツワリの辛さより動物を食べない心地よさが嬉しくて楽しいです。今年の夏、縁日でどじょうをすくってきましたが、他のすくっていた人たちは「もっとおっきい方が旨いんだ!!」とかいっていました。エサは何が良いか聞いたら笑われました・・・そんなどじょうちゃんは今日も元気に泳いでいます。

もともと動物が好きで自分の矛盾に腹をたてていましたが、今の状況がしょうがなくベジタリアンであることにかえって感謝しています。
一人目の恐ろしい体重増加も現在心配ないようですし、主人もなんだか応援してくれてます。
何故かESPカードがバンバン的中するようになりましたよ(笑) (戻る)
オルフェ
うちの猫が皮膚炎になってしまい、情報をネットで検索していたところ、
このホームページ「菜食のススメ」他、動物虐待について、動物実験について、
畜産、毛皮、について知ることとなりました。
これらのことは、うすうすは知ってることでしたが、
あえて考えないようにしていました。
でも、これからは自分に嘘はつけないと悟りました。

うちの猫は引っ越すので飼えなくなったと捨てられ、
餓死寸前のところをボランティアの方に助けられました。
今はうちで幸せに暮らしている、と思います。
はたして、うちの猫だけが幸せでいいんだろうか?
私に猫を捨てた人を非難する資格はあるのだろうか?

動物も昆虫も大好きなのにその一方で肉を食べているのは、
矛盾している、と感じて、ヴィーガンになる決意をしました。

ヴィーガンになって良かった点。

心がいつも穏やかになりました。
スリムな体型を保てます。
肌が綺麗になった。
食費が安くすむ。

ヴィーガンになって困った点。

お付き合いで外食するとき。
食べ物をいただいたとき。
ヴィーガンであることを説明するとき、相手を傷つけないように細心の注意をはらい
ます。

肉食していた頃の私は、いつも人に負けたくない、という気持ちでいました。
それが自家中毒のように自分で自分を苦しめました。
実際、私は恐い人という印象を回りに与えていました。
最近、仕事上のライバル達によく話しかけられます。今までなかったことです。
何かが変わり始めてる予感がします。


長くなりましたが、最後までおつき合い下さいまして有り難うございました。(戻る)
林一道(広島県)
ベジタリアンになってまだ3ヶ月です。手探りの食生活ですが豊かさを感じています。私の場合はこの世にネガティブを増やさないために菜食に徹しています。
わたしはヴェーダ・レイキを実践しているヒーラーです。ベジタリアンの生活を通して感じることは顕著にヒーリング効果が高いと言うことです。
こちらのホームページは大変参考になります。もっと多くの方が食生活に対して想像力を向けることが出来たらと切実に感じています。
これからもホームページの運営管理大変でしょうが、がんばってください。私もベジ実践を通して菜食の良さを普及していく所存です。(戻る)
為谷邦男(52歳、男性)
《痛風発作が私をベジタリアンにした》
私は生活習慣病予備軍でした。肥満一歩手前、血圧と血糖値が高目、尿酸値高過ぎでした。
それで一念発起。2004年の夏、やっと重い腰をあげました。
ウォーキングを始めたのです。週4日以上。これは現在も続いています。
ところが、2004年暮れから2005年正月にかけて痛風発作に見舞われたのです。
そこで「ブリン体の多い食べ物は食べなきゃいいんだ」と、単純に考えました。
インターネットで調べたところ、肉類と魚類がプリン体が多いことがわかりました。
ところが、それで私がいきなりベジタリアンになったか?と言うと、そうではありません。
なにせ肉や魚の加工食品は食べていましたからね。具体的には、ハム、ベーコン、ウィンナー、ソーセージといったものです。加工するとプリン体が少なくなるからです。
それと、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームといったものも食べていました。
さらに、卵は毎日食べるようになってしまいました。なにしろプリン体ゼロですからね。
その後、いろんなサイトを訪れ、本を読むうちに、動物にも幸せに生きて天寿を全うする権利があるのだ、という事に気づかされました。
そしてこちらのサイト、『菜食のススメ』の、「と殺」の映像や、その他の画像が私を容易にベジタリアンにしてくれました。それぼど私にとって衝撃的だったのです。
ベジタリアンになって、体重が6キロ減り、以前はけなかったズボンがはけるようになりました。
血圧と血糖値が正常値内になりました。尿酸値はまだ正常値を超えていますが確実に下がりました。。
おかしな事に、私がベジタリアンだと知ると、
「え?肉食べないで大丈夫なの?」とか、「スタミナなくならないの?」などと、おかしな事を言う人がいます。
私の感覚では、
「え?肉食って大丈夫?」「どこか悪くない?」「疲れ易くない?」
などと思ってしまいます。それほど私の体調は絶好調です。
ところで、以前私は愛煙家でしたが、今や嫌煙家となりました。
こう言う人もいますね。
「肉は少しは食べた方がいいんじゃない?」とか、「少しぐらいなら食べても大丈夫だよ」と。
これがどんなに危険なことかは、次のように言い換えると、彼らにもピンと来ることでしょう。
「煙草は少しは吸った方がいいんじゃない?」
「少しぐらいなら吸っても大丈夫だよ」と。
煙草を吸っているからと言って、即、肺癌やその他の病気にかかるわけではありません。
同様に、肉食していてもすぐに大腸癌やその他の病気になるわけでもありません。
長い年月をかけて身体を蝕んで行きます。私は「煙草の危険度=肉の危険度」と認識するようになりました。
肉がはさらに悪い事には、未成年でも食べて構わない、という事です。
不思議な事に現在では、あれほど好んで食べていた、肉類、牛乳、乳製品に全く未練がないどころか、食べたいという気持ちも全然起りません。
ベジタリアンであることに誇りを感じるようになりました。
あの痛風発作に感謝しないといけないな。
ささやかながら、私はブログで菜食、動物の権利、その他健康関連の内容を発信しています。
近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さいね。
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小次郎とユキ
もう覚えていない位前の子どもの頃から、動物を食べることへの違和感は抱いていました。
それが形になって意識されたのは、高校の授業で、畜産動物の屠殺の場面をうつしたビデオを見たときでした。
ベルトコンベアーのような機械に逆さまに吊り下げられた鶏たちが、死の瞬間に向かって動いていく場面…今でも目に焼きついています。
感受性の非常に鋭い動物たちにとって、その恐怖と苦痛はどれほどのものでしょうか!
考えただけでも、胸苦しくなります。
その頃から本格的に肉食への問題意識が高まり、肉の摂取量は減らしていましたが、本当にベジタリアンになったのは社会人になってからでした。
今の食生活になってからは、以前よりも心が澄んで安定していられるような気がします。
カウンセラーをしているので、こうした精神状態を保てる今のライフスタイルは、職業上も有益なようです。(戻る)

うに
私は中学、高校と父の仕事の都合でアメリカに住んでいました。
ディズニーランドには「ベジタリアン・バーガー」が売っていたり、
レストランでもベジタリアンメニューがあったりと身の回りで
たくさんのベジタリアンライフを見ることがありましたが
当時の私は「きっとアレルギーの人が食べているのだろう」と
思っていてあまり気にも止めませんでした。

その後しばらくして宗教的に牛肉、豚肉を食べない人がいると聞き、
ベジタリアンメニューはそういう宗教の人たちの為に作られた
メニューなんだな、さすが人種の多いアメリカだと思ったものです。

もちろんその時も自分には関係の無いことだと思っていました。

日本に帰ってきてからたまたま職場にベジタリアンの方が居たのですが
周りの反応を見て私は大変驚きました。

「あの人、お肉食べないみたいよ」
「なんかかわいそうだね」
「ちょっとおかしいよね」
「変な宗教でも関わっているのかな」などなど。

アメリカに居た時はそのようなことを言う人は居なかったのです。
特に「変な宗教」という言葉が日本人の宗教に対する感じ方の
表れだとつくづく感じました。
確かに犯罪を犯した宗教団体も居たのでその影響かもしれませんが
私は信仰する宗教はそれぞれの考えがあると思うので他人が
とやかく言う事では無いし、ましてや「変な」なんて言うことは
筋違いだと思いました。

でもそれが日本の現状です。
今でもベジタリアンに対して殆どの人が偏見の眼差しを向けると思います。
「にんじんが嫌い」と言ってにんじんを食べない人へ向ける眼差しとは
わけが違うと改めて思いました。

私がベジタリアンを意識し始めたのは1年ぐらい前からです。
きっかけは些細なことでした。
夫とある牧場へ遊びに行ったのですが、そこで馬に乗ったりと
一日遊んだ帰り、その牧場のすぐ近くで「馬刺し」が売られていたのです。

「馬刺しって今乗っていた馬なの!?」と衝撃を覚えました。

それからインターネットで色々調べて、牛や豚の屠殺現場の映像を見てから
スーパーに並んでいるお肉を直視することが出来なくなりました。
今まで自分がおいしいと言って食べていたお肉は実は発癌性物質が
含まれている可能性があることや、人間の本来の体は肉食に
適していないということも学びました。

今では夫も私がベジタリアンであるという事を理解してくれましたが
当初は同じように「何のまね?」「お肉食べないなんておかしい」と
非難していたものです。
でも理解はしてくれても、夫はベジタリアンになろうとはしませんので
今でも夫の為にお肉を買う事もあります。
しかしこればかりは本人の意識の問題なので私も強制できないと
仕方なく感じております。
いずれ夫にも私が感じたような気持ちが芽生えることを願って、
今は徐々に使うお肉を大豆たんぱくなどのもどき肉に移行していき
いつか夫が菜食を決めたときにお肉に未練を持たないよう、
実はそんなに普段からお肉は食べていなかったんだよと言えるように
基盤を作っています。

私はもっと前向きにベジタリアンであることを主張できるようになりたいと思います。
いつか、私がアメリカで感じたように、世の中色んな人が居るから
ベジタリアンが居ても別におかしいことではない、という考えが
日本人全員に芽生えれば、きっともっとベジタリアンになる人が増えることでしょうね。

この素晴らしいホームページをもっとたくさんの人に
広めていきたいと思います。
それが日本人に暖かい、思いやりの気持ちを戻すことに繋がると信じています。

最後になりましたが、これからのこのホームページの
益々の発展をお祈り申し上げます。(戻る)

マンダラ
私は、ヨガをはじめたのがキッカケです。自分の体が変わってきて、肉を必要としなくなってくると自然と菜食になっていました。そして、べジでいると体が楽なこと、肉食だった頃よりも健康なことに気がつきました。そうして自分に目を向けれるようになったら、自分以外のことも考えられるようになってきて、kayaさんのように、環境や動物や他人やその他も大切で全部がつながっていると思えるようになってきました。
ALIVEのビデオ「畜産動物の一生」を観たのも大きかったです。 (戻る)
UNTANTIN
菜食になった理由なんですが、言葉でいうと難しいのですが、こんな感じです。
野菜なら自分で作って、育てて 採って 食べる このながれにあまり抵抗を感じないのですが、これが肉だったらどうか。
自分で育てて、殺して 食べる ・・・ こんなことは、とても自分には出来ない そう思う気持ちが強くなってきたからです。

すべてのものには魂があると思います。野菜の魂と動物の魂 どちらも魂があるのでしょう。でも 動物を食べるとういうことは共食いをしているのと同じなのでは?という疑問があります。
人間は動物の肉を食べるようにが出来ていないのではないかと・・ 殺されてしまう側の気持ちがわかってしまった状態で食べることはとても出来ない。。だから食べないほうがよい そう思うようになりました。 ジャングルの動物が同じ動物を食べるじゃないか・・という意見でよく反論されることがありますが肉を食べることが出来る動物は、殺させる側の気持ち(感覚)を理解できないから出来るんだと思います。

人間の感覚って どこか麻痺しているのかもしれません。
過程を無視して結果だけがある 目の前の肉 これは肉ですけど死骸のかけら。。 
スーパーの肉コーナーは、死骸のかけらが沢山並んでいます。
 これが人間だったらどうなのか。おそらく普通の人は、近づけないと思います。これって何か変ですね。人間だって同じ、豚や牛と同じ 動物なのに。。
そのように何にも疑問を持たずに生きている人が多いんだと思います。
犬を食べるのは可哀想 でも豚ならOK
イルカを食べるのは残酷 でも鯨ならOK
これってどうみても変です。人間様のご都合主義ですね。
私も去年までは なんの疑問もなく食べていましたので説得力がないですが、こういう、肉がお店に並ぶまでの過程(現実)を知ってしまったので、食べるころが出来ない、というのが正直な気持ちです。だから 気がついてくれる人が沢山でてきてほしい、と毎日思っています。

良かったこと。。あまり勝ち負けにこだわりがなくなったことです。もともと、勝ち負けにこだわりは無いほうですが、さらにこだわりが減りました。だから私は世の中から見れば負け組なのでしょう(笑)

苦労したこと。。やはり、忘年会や新年会 みんなで食事をする際、どうしても肉が出てきます。まわりの雰囲気を壊してしまいそうな気がして少し口にしてしまいます。
その後、気分が悪くなって もどしてしまうんですが。。(戻る)
micchy
私が肉を嫌うようになったのは、急になんです。
急に気持ちが悪くなって、身体が受け付けなくなったからです。
卵もたべられなくなりました。
なぜかひよこの姿が浮かんだりして。。

それまでは、肉を調理する時に、「これって生きていたんだよなぁ。。
動物をとさつをする人がいて、こうやって食べれるんだけど、間接的に自分たちはなんか卑怯な気がするなぁ。。でも、おいしいから、急に断つことなんか出来ないよ。。。」
とか思うことが多かったのですが、現実に肉を食べる気がしなくなる日が来る
とは思いませんでした。

でも母親は、栄養失調になるよ。。などといいますので、少量は食したり
していますが、最近ますます嫌になってきました。
鳥肉はまだ食べれると思っていたのに、やっぱ鳥も受け付けなくなりそうです。

これは、ダイエットにもいいし、波動的にもいいことだと思っているんですが、
周りがあまりにも身体に悪いことのようにいうので、いろいろ調べて立証したい
気持ちになって、ここのサイトにもたどり着きました。

やっぱり自分の身に起こったのはありがたい自然現象なのだと、
確認できたところです。ありがとうございます!!(戻る)                               
MM
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
私が本当の意味で菜食を決意したのは殺され行く動物たちの実態をインターネットで目の当たりにしたからです。知らなかったでは済まされないと思いました。他、環境に優しい、健康にいい、などもあります。
2)その後の苦労話
コンビニやスーパーで買う加工品の殆どが動物性食品を含んでいたり、お酒を作る過程や、化粧品や石鹸など身の回りの多くのものに動物が使われているので、どこまで実践するべきかのライン引きに苦労しました。今は、できる限りのことをやろうという感じです。
3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
良かった点 自分は菜食をしているという意識がバイタリティーを高めてくれてます。そして生きる上での自信にも繋がりました。
  悪かった点 やはり人と食事や飲みに行ったとき、ダメな食べ物はあるかと聞かれると、動物性食品全般とは言いにくいです。(戻る)

kazu
ワタシが菜食になったわけは、ヨガ・瞑想を本格的にやりだしてからです。去年からインドに、ヨガ・瞑想のコースを受けに行っているのですが、特に今年のコース後は、肉や魚はカラダ的にもう欲しがっていない状態になっていました。食べられないことはないのですが、野菜や豆のほうが美味しく感じるんですよね。だから、カラダが浄化されてゆくごとに、自然と必要のないものが落ちていったという感じです。瞑想には、消化にやさしいライト・フードがいい、というのも大きな理由でもあります。そんな感じです。
 ちなみに、インドではたんぱく質はなかなか取りづらかったのですが、日本は大豆製品が豊富でとても良いです。なかでも納豆は素晴らしい。安いし、ウマイし、1品でもおかずになるし、納豆エライ!(戻る)
ちゅーた
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
私は、魚、乳製品はとらせていただいてますが月に一度食べるか位で肉は約2年食べていません。だからまだ完全ベジではありませんが…。
いきさつは元々、野菜が大好きで全く食べなくなる前からなるべく控えていたのと動物愛護と彼氏が完全ベジタリアンだったことかな。

2)その後の苦労話
今の私の環境は幸いベジに対する理解があるので今はそんなに苦労はないですがやっぱりべジに対する理解力がない方との食事はお互い嫌な思いをしてしまう事がありますよね。
特に飲み会やパーティーなど。
もちろん他人にもできればべジになってもらいたいって気持は少しはありますが、だからと言って肉を食べてる人に対して非難の気持はありません。
ただ、これを人に言うとちょっと変なのって言われちゃうんですが、べジじゃない人と食事をしていて肉を散々注文したくせに残してるのを見るととても悲しくなります。
私の考えでは食べる為に残酷に殺された動物なのに、最後は食べる事すらしてもらえなくゴミになってしまう。
これって食べられるよりももっとひどいと思うんですが…。
ただ単にその死を無駄にしてるっていうか。
だから肉の残り物や間違って注文してしまって来てしまった肉類は果たして食べた方がいいのかなって思ってしまう。
だってそこで誰かが食べなかったらただのゴミになってしまう訳で…。
でも、どこかで見たんですが、かといって自分のペットや知人が食べられる為に殺されたとしたらさすがにそれをむだにしたくないってので食べるのは無理で…。
こんな出来事があった時にもう一度ベジタリアンっていうのを考えてしまいます。
今は肉の残り物などはできる限りペットにあげたり持ち帰って食べたいって言う家族にあげたりしています。
これっておかしいかな???
結局どこかで食べると食べないとの線を引かなきゃいけなくってその引き所が難しいです。
でも私自身、その線の引き所はその時々少し変わってもいいんじゃないかなって思います。
あんまりきつくやっちゃうと私自身が少し参っちゃうからできる範囲で。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
良かった点は便秘をしなくなった事。にきびが出来にくくなったこと。
短気が少し減った気がする。
そして更に野菜が美味しいと感じる。(戻る)


jezebelalice
12年くらい前Londonで、ある動物愛護グループの人たちが配っていたLeaflet(FactoryFarming)を見て考え出して1年くらいで肉をたべなくなりました。そして最近私はやっとVeganになりました。卵を産む鶏たちとMilkをくれる牛さんたちがどんなに苦しい思いして生きていることを習ったからです。それ前はMilk、卵はころされたものじゃないから、と自分に言い訳して食べていました。大変だったのはチーズをあきらめることでした。私の1歳半の子供もVeganで育てます。今住んでるNewYorkでは肉ばかり食べる人のほうがめずらしいくらいでVegetarianはもちろん、Veganもとても増えていて、そしてそういうビジネス(レストラン、HealthFoodStore,)もどんどんできています。アメリカのいなかではまだめずらしいみたいだけど。不便なことは何もないです。  (戻る)

Pip
ベジタリアンになったのは、何人かのベジタリアン・ビーガンに出会い
一緒に生活をし、影響を受けたのがきっかけです。
それぞれ考え方は違ったようですが、
「人はもともと、肉を食べる体に出来ていない。生き物を殺して肉を食べなくても植
物だけで、十分健康でいられる。まして、不自然な環境で育てられた動物を食べるな
んて、体にも悪いし、環境問題的にも良くない、いい事なんてない。ただの人間のワ
ガママや!」と云う風に、私は理解しました。
その時から動物性のモノを口にしたいと思わなくなりましたね。
といってもチーズ以外の乳製品は口にしますけど。

友人の1人には「ワガママな人間に真の成長はない!」とも言われアリストテレス:ダ・ヴィンチ:エジソン:プラトン:アインシュタインの話もされました。後、カール・ルイスも。みんなベジタリアンなんですよね。

苦労してる事といえば、周りの理解を得がたいって事とよくチェックしないとイロンナモノに動物性のものが使用されている事。日本は、表示基準がゆるいのか、あまり精密に記されていない様に思います。同じ商品を海外で購入して初めて気がついたり。ベジタリアン用の食材が少ないことですね。外食もそうです。

よかった事は、体が素直になったって事。体内がキレイになった気がします。同じように心まで、素直でキレイになってきてる気が・・・これは願望かもしれないですが。でも、人や物事を見ていて、何がただのワガママで,何が主張すべき権利なのかが以前より見えて来てるような気がします。
悪い事は・・・・・ないですね。 (戻る)

ジュンコ
1)菜食を決意した理由と経緯
PETAの「Meet Your Meat」ビデオを見たのがきっかけです。それから色々とリ
サーチをして、動物の為だけでなく環境や健康にも良いと言うことが解り、菜食主義
を貫いています。私の犬も菜食で育てていますが、とても健康です。

2)その後の苦労話
今のところないです。

3)菜食を続けて良かった点
長年悩まされ続けていた花粉アレルギーが治った事。生理痛がほとんどなくなった事
(初日にちょっと寒くなるだけ)。料理がさらに楽しくなった事。

4)菜食を続けて悪かった点
ないです。(戻る)

MAYU(22歳)
「声なき動物達」をみたのがきっかけです。今までお肉は大好きでした。しかし実際動物がどのように殺されてるかといった事実も知ろうともしないままでした。そのサイトを見て非常に衝撃を受け、お肉を食べること、について考えさせられた。
まず、そういった事実、現状を知りもせずただおいしいからといって食することは罪だと思ったし(無知は罪)、自分の手で動物を殺すこともできないのに食べる資格などないと感じました。中には知ってて食べる人もいるかもしれません。それはそれでいいんじゃないかと思います。人それぞれですし。強要するつもりはない。権利もない。ただ、一番嫌だと感じるのはそういったことを知らず、知ろうともせず単においしいから、それだけで食する人ですね。
私には牛肉を食べたいからといって牛を殺す気にはなれません。それしかなくて・・ってどうしても必要であれば殺して食べるかもしれません。でも今この日本で実際食べるものなんてほかにいくらでもあるわけで、だったら野菜とか穀物とか食べてようって。
言い換えれば、野菜なら自分で殺すことができる。野菜も生きているのに。
それは単に気持ち悪いか、気持ち悪くないか、の問題なのかもしれない。
いずれにせよ、判断は自分でしかないんですよね。

2
やっぱり友人などとの食事です。
「何にする〜?」
「豚骨ラーメン!」
「・・・・・」
家族にも申し訳ないですね。私だけ別メニューで。

3
もともと動物が大好きで、なんとなーく、肉を食べることには昔から矛盾をかんじていました。お肉大好きでもっと食べたいし、って目を背けてたんでしょうね。
まだベジタリアンになって日も浅いので健康面など変わりはわからないですが、その矛盾から解き放たれたというか精神的に気持ちが楽になったような気もします。そう考えると自己満なのかな〜って気にもなりますが、周りに害を与える自己満でもないのでいいんじゃないかと思っています。(戻る)

乙津省一
私がベジタリアンになったのは、今から14年前、一冊の本との出会いからです。
『暮らしの安全白書:学陽書房』でした。

この本は、当時としては強烈な内容で、普段何気なく食べている「肉」の
危険性が大変ショックでした。

だって、こう言われているようなものです。

生まれてから、20年間、食卓で、おいしい、おいしい、と食べてきた肉が、

「ごめん、、、ちょっと報告がおくれたんだけど、
 いままで食べてもらった牛肉、実は、ホルモン剤漬け
 の牛肉だったから、癌になるかもしれないよ・・・」

お前、いまさら、それはないだろう(怒)

というような、ショックです。

この本が、今までの食生活を見直す、きっかけになりました。

もちろん、これだけでは、肉をやめる理由にはなりません。
なぜなら、安全な肉を捜して食べればいいからです。

でも、それから1年後、カナダに渡航することになり、
ベジタリアンの方と知り合うことができて、その人たちが、
普段何を食べているか? また、他の人たちと、何が違うのか?
をずっと観察して、マネをしていると、

妙に、そのライフスタイルが、心地が良かったのです。

これは、ちょっと、マジで、ベジタリアンになろう!

と、肉を断ちました。 いえ、、少しずつ、減らして行きました。


でも、カナダにはベジタリアン用の、カフェ、レストラン(レストランは
ほぼベジタリアンメニューを置いている)等が豊富なので、
ベジタリアンを続けるのは、適した環境でした。

そういう生活を続けていくうちに、ベジタリアンになりました。

最初の頃は、おもてなしの料理に苦労しましたが、
はじめに「ベジ」ということを伝えるだけで改善されるので

同じように悩んでいる方は、勇気を出して、伝えることをおすすめします。

そのような経緯でベジタリアンになったのですが、
日本に帰国後は、日本でベジタリアンは続けにくいということも
気がつきました。

おそらく、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの10年は遅れていると
感じています。

これから日本にベジタリアンの方が増えればとおもい、
私もベジタリアンをサポートするサイトを立ち上げ、現在は、
メルマガでベジタリアンの初心者を支援する活動をしています。

こちらです ⇒ http://www.geocities.jp/bplanet/

ぜひ、一度、訪れて、いただければとおもいます。

最後に、ベジタリアンになりたいとおもう方に一言応援があります。

もし、あなたが、ベジタリアンを少しでも続けるという行動を起こし、
心の奥に【心地よさ】を感じることができたら、あなたは、もう、
ベジタリアンになれます!

あなたの幸せなベジタリアンライフをお祈りいたします。(戻る)

きむらそうすけ
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
ねこを小学校より19歳くらいまで飼っていました。彼が生きてるころから、「おれはこいつを殺してくえるだろうか」、どのような状況下であっても無理な気がした頃から軽度な菜食を断片的に始めました。動物と人間との差を、枝葉の部分位と今は考えています。

2)その後の苦労話
菜食は、肉食わない程度が19歳の頃一時期。栄養を心配してくれる母親と喧嘩の日々。その後おじさんになってから一人暮らしの自由さもあり、一人で食うときは肉食わないい程度で、三度目の現在、昨年夏より、健康的理由から乳酸菌が必要な為ヨーグルトを飲む以外肉魚は食ってません。
三度目になってから、ネット検索で菜食用の通販があることやその他情報が得られ、少し栄養状態が改善されたと思います。

3)菜食をつづけて良かった点
気が楽です。つくづく。(宗教は関係していません)旨い・不味いが解らないわけではありませんが、元々食事に強い関心がありませんでした。つまりなんでもいいです。煮る焼く程度の料理しかしないので恐ろしく簡素なのばっかし食ってます。

3)悪かった点
社交性(?)・交流範囲がさらに狭まった感あります。
周りに菜食の人全く居ませんし、普通の人との会食に積極的になれません。
迷惑を掛けたくないのと、単に菜食である事を仕事関係にも軽率に話したくありません。もちろん、こないだまで美味しいと自身食ってましたから、肉を食べる人を責める意識など完全にゼロですし、たとえ彼女いて肉食う人でも全然OKですがやはり難しいですかね。自分自身に対しては単に食の好き嫌いが激しいだけ位に考えています。(戻る)
松ちゃん
僕は、神の言葉が書かれた「宇宙の理」という本を読んで、「地球人類の肉食は、間違いである!」「早く肉食を、やめなさい!」と教わり、肉を食べるのを完全に、やめました! もともと小さい頃から、肉は嫌いな方でしたが、加工品は、ときどき食べていました。でも、それ以来、完全に菜食になりました (戻る)
なおちん
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
子供のときから野菜が好きでした。周りにヴェジタリアンが多くいて、ヴェジレストランで食べる度に美味しいと思っていましたが、なんと言っても、大好きな天然酵母のパン屋さんがあって、毎週ヨーガクラスの後、その店で食べるランチがヴェジタリアンランチなのですが、とても美味しくて野菜だけで満足することを実感しました。
実は、肉を全く食べないわけではないのですが、限りなく肉を食べる量がゼロに近づいていってます。卵も健康上の理由で食べるのを控えています。
魚介類、乳製品は食べます。

2)その後の苦労話
付き合いの外食はほとんどないし、職場はインターナショナルな環境なので他にもヴェジタリアンがいて、パーティにはかならずヴェジタリアンディッシュがあります。今のところ、困ってはいません。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
便秘しない。体の調子がいいことですね。気が短かったのが長くなったかも。(戻る)

WAKO
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
きっかけはYOGAをはじめてから、カラダの中に入れるものに敏感になったから。意識的にベジタリアンになろうと思った訳じゃなく自然と選ぶものが変わりました。なのでゆるいベジなのですが、ヒラノースさんがあげて下さっていたサイトを見てベジの道を歩もうと決心しました。
2)その後の苦労話
自分の野菜料理のレパートリーが。。。そろそろ尽きそう。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
感情のアップダウンが少なくなった。胃がもたれなくなった。背中のニキビが消えた。便通が良い。健康的に痩せた。しかもキープしている。(戻る)

thestrangefruits
彼氏がベジだったこと、そこからハードコア→動物愛護団体のHPやビデオなんかで現状を知って、ショックをうけて本格的にベジになりました。 もともと、お肉と魚はすきではなかったのであんまり大丈夫でした!が、結婚式やいろんな行事で周りが気を使ってくれるのでなんか、もうしわけなかったです。 健康になりました、確実に!で、精神的にも落ち着いてます。わるいなあとおもうのはお付き合いで、気を使わせてしまうことです。自分自身で、都合わるいことはないです。(戻る)
ヒラノース
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
自転車通学していた頃、信号待ちでトラックの荷台に乗せられた牛と目が合い、その牛の大きな瞳からポロンとこぼれた涙を見て以来16年肉は食べてません。
でも先月まで鶏肉は食べていました。
ベジタリアンの外国人の友人のために、レストランを検索中、あるサイトに行き着いてしまい、鶏肉も食べるのやめました。

2)その後の苦労話
食事会や披露宴などで気を遣わせてしまうこと。
あと、永遠に悩み続けるであろう、口にする物としない物の線引きですねー。
何が良くて何が悪いなんて決められる立場でもなく、そうなると究極の道へ行きそうなので、今はペスクタリアンで。
でも、最近は革製品なども買わなくなりましたね〜。
最大の悩みは靴です。
靴はまだ皮を履いていくことになりそうです。
そういう矛盾した自分にも悩み。。。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
狂牛病になる危険性がない!
悪かった点は、生ハムやしゃぶしゃぶを食べたことないことかな?知らないことは良い点でもあるんですが、そんなに美味しい味ってどうなの?って興味はそそられます。 (戻る)

buddhaおにぎり

ヨガの先生に毒素たまると教えてもらった。

SAIBABAに肉を食べるのは罪のない動物を犠牲にすること、

また動物が死ぬときの恐怖が肉に波動となっているので
私たちの精神上にも好ましくない。


(戻る)

neko38
魚介、乳製品、卵は食べますが、肉は食べません。
単に肉がきらいなだけなので。でも、動物は大好きです。
なので、動物愛護の観点からベジタリアンになっても良いかな、とも思いますが、一応自分としては肉だけ食べない。と言う事にしています。
きらいなので、です。
「肉がきらい」と言うと、何故か・・「なんて好き嫌いのはげしい!」とか
「わがままな!」とか言われる事が多いです。
肉以外のものは全部食べるのになあ・・。
あと、「肉は食べない」と言うと「宗教やってるの?」と言われる事も多いです。自分は宗教には全く関心がありません。

子供の頃から肉を食べていないので、良かった点も悪かった点も今一つわかりません。

魚介、乳製品、卵は食べるので、子供時代でも栄養的には全く問題無かったと思います。スポーツも一生懸命やってましたし。(戻る)
骨者
中途半端なベジです(肉は「なるたけ」食べないようにしているだけ)
特に宗教上の事情や動物愛護と言った理由もありません(とんでもないっていわれそう)し、厳密なベジではないので、外食時には何でも食べてしまうため別に困りません。
そうそう毎日付き合いがあるわけでもないので、美味しそうなものをごちそうさせてくれるんなら遠慮なくいただきます(笑。皆さんからするとそんなんベジじゃないって言われそうですが汗;。それ以外はほとんど食べません。

本に啓発され、野菜だけでも十分生きていくことができその方がむしろよく、そして病気のため解決の一手段としてベジに切り替えました。
食物連鎖の観点からも、動物からはケミカルなものを多量に摂取してしまうということはよく言われますね。主に穀類、納豆、味噌などの発酵食品、生野菜、栄養価の高いサツマイモ等が主食です(笑。それと、腹八分に病いらずといいます。量を少なめにすることを守っています(これも柔軟に対応してますが)最近の研究では、少食は成長ホルモンが抑えられないので老化防止に役立つという報告もあるそうです。 結果はといえば、体調はすこぶるいいです。風邪などもあまりひきません。ただ、完全菜食やら少食だと、やせてしまうので、そこだけが問題点です。(戻る)
めろでぃ
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
動物愛護団体作成の「畜産動物の一生」をビデオで見てから。

2)その後の苦労話
お肉はもともと好きでしたので、ほんのしばらくの間だけは、お肉のにおいがするといい匂いだなと思いました。だけども食べたいとは思いませんでしたが。

外食するときに、ベジタリアンでも食べられるメニューを店員さんにいちいち聞いたりするのが面倒くさいこと。
ベジレスいけばいいんだけど、そうでない場合、デザートはだいたい食べられないので、つらいかな。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
よかった点:万年、頭痛もちでしたが、なぜか治りました。
あとは便通がよくなった。
悪かった点は特にないです。(戻る)
赤翁
体を大きくするためにステロイド漬けにされた牛や、卵を大量に産ませるために鶏に女性ホルモンのような薬品 を食べさせているとかいう話を聞いてから、 こんなの果たして食べても安全なのかと思っていたところ、 偶然、肉食の害について書かれた本を読んだのがきっかけ。

同僚との昼メシや、飲み会を断りきれずに行ったときに 食べるものが限られる上に、注文したものが余っていると、 何も食べてないじゃないかと残飯処理させられそうになることだとか、ふと風邪をひいたときに、普段栄養をとって ないからだと決め付けられる、そういう目で見られてます
ます肉食を勧められる点が苦痛。

男なのでどうでもいいですが、肌は綺麗になりますね。普段から焼肉命的な生活してる人はそれ っぽい肌や顔をしてるのが分かるようになった。
悪い点は、付き合い悪いなぁとか、食べ物残して行儀悪いなあとか言われることですね。 (戻る)

ぴぐれっと
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
膠原病ということがわかって、腎臓がやられていたので、 即菜食にしました。
あと最近教会に通い始めたのですが、この教会は菜食を 奨励しているので。

2)その後の苦労話
自分的には過去に糖尿病食やアレルギー食を経験しているので
特に苦労は感じないです。
ただ周囲の人の無理解には困り果てています。
病気で食べられないと言うと変な顔をされるんですよねぇ。
食べられない料理ばかりテーブルに並べられてしまう
飲み会にはもう行かないことにしました。
食べられない食べられないっていちいち主張するのも
何かいやらしいような気がしますし。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
よかった点はこれはもう食費が大幅に減った点ですね♪
野菜と果物と穀類などで充分満足して過ごせますし、
こころなしかお肌もきれいになってきたような気がします。
悪い点はリアルでの交友関係がこれから確実に減りそうなこと(苦笑)。(戻る)
鹿雄
野生の肉食動物が草食動物を捕らえて食べる場面を、映画やテレビで一般に公開する場合は、かなり遠い距離を置いた映像で、詳細はよく分からないような配慮やカットがされている。しかし、私が1997年に偶然見たテレビの映像は、事実を隠さずに伝えていた。肉食動物

 一つの場面は、夜、五、六頭のハイエナが一頭の鹿に似た動物を取り囲んで、その腹部を食いちぎっていた。動物は、もはや逃げたり抵抗する気力をなくして、そこに立ちすくんだまま、ハイエナの執拗な攻撃をなすがままに受けていた。たちまち、腹部の皮が引き裂かれて、血だらけになった肉が腹部一杯に露出した。動物の4本の脚はよろよろとしたが、崩れないで地面に立ち、傷だらけの体を支えていた。ハイエナはその露出した血だらけの肉に噛み付いて、肉片を噛み切って食べ始めた。それでもまだ、動物は倒れないで立っていた。この生きながら食べられている哀れな動物を助けようとするものは、誰も現れなかった。

 もう一つの場面は、雄ライオンの攻撃によって、既に立っていられなくなって座り込んでいる鹿に似た動物の傍らに、ライオンも座って、血だらけになった腹部を悠然と食べていた。動物は、まだ頭をすっと上に立てたままの状態で、大きな美しい目を開けて前方を見ていた。何事も起きていないような平常の状態の上半身だけを見ていたら、この動物は草原で一休みしていると思うだろう。しかし、食いちぎられて血だらけになった腹部を見ると、この動物の静けさは、恐怖と諦めから生じたものであることが分かる。

 この二つの場面を見ていた私は、自分の心と身体の全体で、このような事態が絶対に存在してはいけないことを直観した。たとえ人々がこの行為を自然の摂理として容認したとしても、私自身は断固として否認すべきだと思った。そして、生きながら食べられている動物を救うために、ハイエナやライオンを射殺したい衝動に駆られた。
 しかし、数日後に次の事に気がついた。「自分はハイエナやライオンを射殺する資格はない。なぜなら、自分も彼等と同様、肉を食べる生き方をしているから。」この気づきは、自分の肉食の習慣を反省して止めるきっかけになった。
ライオン
 もしも、偶然にこの映像を見る機会が無かったら、今でも肉食を続けていたかもしれないことを考えると、肉食している他の人々を、簡単に批判することはできない。何故なら、彼らが肉を食べているのは、昔の私のように自分がしていることの意味に気付く機会を持たなかっただけかもしれないからである。
今、私がベジタリアン運動をしているのは、人々が偶然によって気付くのを待っていては遅すぎるので、外部から働きかけて気付いてもらうためである。(戻る)

ゆっきー
きっかけは、アートオブリビングというNGOの呼吸法のコースをとったことです。 コース中 菜食を勧められ、すんなりできて体調もよかったので、指導くださった先生がもう20年以上菜食されているときいて、もう少し続けてみようか、と3年になります。 丁度 狂牛病や鶏のインフルエンザ騒ぎがあって「食べない」と言いやすかった時期なのはラッキーでした。 勧められたものを遠慮するのは心苦しいのですが、幸い周りの方のご理解もあり、続けさせていただいております。混んでいない時であれば、事前に申し出ると外食店でもご配慮いただけることが多いので、気軽にはじめられてはいかがでしょう? (戻る)
marilyn
私は飼い猫の病気を助けるために手術や入院費やらで総額100万円使いました。
それでチキン食べてたら矛盾を感じ、ベジタリアンになりました。(戻る)

MACO
人間は菜食で生きられる・・・人間は、本来菜食で生きられるんだよ、
そのほうが、ほんとうは自然なんだ・・と
話してくれた友がいました。

私が最初にそれを聞いたのは、
たぶん今から十数年くらい前のことです。

その時の私は、ただ「ふうん・・」と思っただけで
私は、自分が大好きなお肉やお魚を食べないでいるなんていうことはとてもとても考えられませんでした。

それに、私は、みんなで一つ鍋をつつくようなことが
大好きでした。

たとえば、誰かが「お土産だよ」といってなにかを持ってきてくれたら無邪気にみんなでそれを食べる、

そういう雰囲気というのか、そういう屈託のない人付き合いというのが
とてもとても大事だと思っていました。

なんでもありがたく、楽しく食べるのがいちばんいいんだと
思っていました。

友が大切なことを教えてくれてから
だいぶ長い時間がたち、
ある時、私はやっと
生き物に心があるということを
自分自身の心が、正直に受けとめることができる日がきました。

どんな動物も、親から引き離され、また子を失い、
命を断念しなければならないかなしみと
痛み、苦しみ、恐怖・・
そして恨み、くやしみ、無念、
そういったものがあるんだということ、
その事実を、私はある時
自分の心がはっきりと受けとめました。

大自然
そして、その日、私は
今より先、絶対に生きて動く生き物を口にしないと
誓いました。
私は、激しい懺悔の涙を流しながら、
あわてて冷蔵庫に入っていた
あらゆる肉と魚類、
冷凍庫に一切れづつラップにくるんでストックしてあった
魚の一片いっぺんを
全部袋に入れ、
その手を休める間もなく
亡き父と、他界している先祖の写真を飾っている小さな香爐を前に
ライターでお線香に火をともして
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と
心の中で、大声で叫んでいました。

あれから約7年半、
生き物は口にしていません。
菜食をして、はじめの1週間は
少しだけたいへんでした。
身体がなじまず、生理的に肉を要求しているのが
よくわかりました。
その頃は知識も少なかったですから、
肉を食べないと、栄養が足らないのだろうか・・?
などと思ったりしました。
でも、何とか意志を貫いて1週間ほどたつと
身体がとても軽くなり(体重は変わらないんですが!)
ふつうに歩いていても、雲の上を楽々移動しているような
不思議な感じを味わいました。
人間は、ほんとうはこんなに楽に生きられるんだな、
今までの重圧はなんだったんだろう、と思いました。

その後、菜食を続けていくうちにますます、
この「らく」な感じを実感していくに至りました。
身体が丈夫になり、疲れにくくなりましたし
(菜食してから、寝込むということがなくなりました。
以前はだいたい年に1度くらいは、いわゆる風邪で熱を出して
何日かふとんで生活するというということが常でしたが・・。)
生理も、以前は、七転八倒するくらいにお腹が痛くなることが
しばしばありましたが
菜食してからはとても軽くなり、痛くもつらくもなくなりました。
何よりはっきりわかるのは
食後の倦怠感がなくなったことです。
以前は必ず、食後にはある種の「だるさ」がありました。
それはしかたのないことなんだろうと思っていましたが
菜食するようになり、食後の「だるさ」は
まったくなくなりました。

菜食することに対して、反対されるようなことも
ないわけではありません。
「出されたら、食べるのが礼儀なのでは?」というふうに
考える方も多いですが
お料理してくださった方に対する礼儀と
命を奪われた者に対する礼儀と
両方あると思います。
お料理してくださった方は、目の前におられて
確かに、その面前でご好意をお断りする、そのことは
たいへん申し訳ないと思いますが
命を奪われた者は、いま物申すことができないだけです。
ですから、私は、誰に賛成されても反対されても
ただ自分として、礼儀を尽くすのみだと思っています。

コチニールという赤虫が、よくイチゴ味のお菓子などに使われていて
そういうものは口にしないのですが、
時々、地面を這っている虫を見て
「自分は、もう虫も食べないんだな・・(虫に対しても、命を重んじられるように
なった)」と、思うことがあります。
人間は、たとえ力があるといっても
弱いものをいじめたり乱暴したりするために、その力はあるのではなく、
たとえ話す口があるといっても
悪口を言ったり、人を傷つけるようなことを言うために
その口はあるのではない、という言葉を
聞いたことがあります。

手私は、今までまちがった心で
まちがった行いをたくさんたくさんしてきましたけれども、
また、今もまだ曇った心があり、
過ちも多いですが
自分のほんとうの心、
天賦のものに気づき
そのものでいられるように、
自分自身の舵取りをしていきたいと思っています。

これから日一日と、身体は老化していくけれども
心はますます晴れやかで、充実した境地に進み入っていく、と実感できるようになりました。

生きているってすばらしいなと
はっきり思えるようになったことが、
菜食して実感できるようになった、いちばんうれしいことだと思います。(戻る)

katsube
これだ!って言うきっかけはないのですが、美容と健康と動物のことを考えて1石三鳥だと思い少しずつ肉食をへらしていくうちに、精神世界や日月神示の本にも「人間は穀物菜食だ」ということが書いてあって、決心がついた次第であります。最初の頃は何を作ったらいいのか分からず困りましたが(料理)、今ではだんなに昔より頑張ってるとほめられました。そしてなにより自分の意思で生きてる!!って思えて気持ちがいいです。少しずつでもいいから私の存在が回りにいい影響を与えていけたらいいなと思います☆(戻る)

カナ
1 菜食を決意したいきさつ

動物実験を知ってからです。
動物実験反対・動物虐待反対と言いながら
動物を食べるのは矛盾してると思ったから。。

2 その後の苦労話

家族の理解がなかなか得られないこと。
外食しても食べられるものが限られてくること。

3 菜食を続けて良かった点

ベジになって4年ですが、肉を食べてた頃より体調が良くなりました。
昔は肉を毎日食べてたのに貧血で倒れたりしてましたが、
今ではそんなことはまったくないです。
風邪も滅多にひかなくなりました。

菜食を続けて悪かった点は
2のその後の苦労話と少しかぶります。
でも、最初は家族とかなりケンカしましたが、
今じゃあきらめて放っておいてくれてます。(戻る)
すべては一つ
生まれたときから食べれませんが、  
そして、食べれない状況・食べれない出来事が次から次へと起こりました。
今となれば 宇宙の計らいに感謝です! 

田舎で馬や牛さんのお世話をしているときに、
どうして、みんな、こんな大きな瞳を持つものを食べれるのかと 
不思議におもっていました。
食べれない私はみんなからは変でしたが
それでも周りの人に動物を食べれないと正直にいいますから 
みんな、それなりに協力してくれます。  そして、幼い頃からいつも、一緒にいる友だちも食べれないので食べれないことに違和感はありませんでした。

そんな私ですが「菜食のススメ」に出会い、動物を食べれないようにと生まれて来たことに本当に感謝ができました。 「菜食のススメ」の出会いのおかげで いろんな学びに出会い真実が見えて来ました。人間の生まれてきた目的もわかりましたので 大変、幸せです。  

日本人はもともと農耕民族のDNAが根本にあるので 地球上でも意識レベルが高いそうです。 この地球上のすべてのものの意識をあげる役割があるので 宇宙・ 世界中が応援してくれています。 はやく、それぞれが心の毒・体の毒を出して意識レベルをあげ  綺麗な心と素直な心、まじめな性質を取り戻し、宇宙のために地球にご恩返しをみんなでさせて頂きたいですね。(戻る)

kaya ko-sonmin
はじめまして僕のベジタリアンになった理由はラスタファリアンに会ったこと、動物すべてが友達に見えてきたこと。苦労は日本は外食でベジタリアン用のご飯が全然ないこと 、宗教家にみられること。ベジタリアンになって、前より環境、人、動物、すべての生き物 がすごく大切に見え愛せることができたこと。悪い点は僕は見当たらない。おいしい野菜をありがとう、農家の皆さん!!(戻る)
Asako.K(神奈川県23歳)
一 なぜ菜食か

若い子(というか同年代…)の肉好きが不思議です。
「焼肉食べに行こう」は人が喜ぶ代名詞みたいに言われているし、彼らが言うには、
なぜか分からないけど時々無性に肉が食べたくなったりもするそうです。
肉を食べないとイライラする、というのも聞いたことがあります。
恐らくそれが普通なのでしょう。私の家族も普通に肉を食べます。私は一般的な家庭、一般的な環境で育ったと思うのですが、なぜ家族でも私一人がそうなってしまったのでしょうか。

 まず菜食の考えを持つきっかけとなったのは、動物愛護の観点からです。私たちにとって馬はとても身近な存在・・
それは高校時代の馬術部での経験が大きく関わっているような気がします。
馬に乗るだけでなく部員には馬の世話も大きな役割だったので、休日にも持ち回りで厩舎に通い、ボロ取り(フン拾い)やチップ換え(馬のお部屋にしきつめているおが屑を取り替える)、シャンプー、時には怪我の看病などもありました。(と言っても看病なんかは学生に任されるのはそうそうないですが。)

彼等はブラッシングすると気持ち良さそうな顔をし、ひっかかってひっぱったら痛いと言って怒るし、人間が後ろに回ると恐がったり、下手な人がぐずぐず乗ってると嫌そうな顔して落とそうとしたりなど、私たちと同じように感情豊かです。私たちにとって馬はとても身近な存在で、愛情をもって接していました。そして、そのような馬を食べられなくなった事に端を発し、牛や豚に展開していきました。そして、菜食の実践は、親元を離れすべて自分の食事は自分で用意するようになったことで可能となりました。

 また、以前から関心のあった地球環境問題の視点からも肉食の及ぼす悪影響は甚大であることを知るなど、勉強するにつれ次第に菜食に対しての考え方はしっかりとしてきました。そうは言っても、まだまだ、知らないことがたくさんあります。私は今大学院生で、自分の研究はこれとは別のところにあるのですが、正直なところ、動物とか菜食とかについて勉強したり考えたりすることが、今、私の一番したいことです。そういうこともあって、ここで書くような思想についてはなかなか表立っては言えません。

 人が肉を食べるのは、まずそれがおいしいからというのがあります。私もそれは実感と
して分かります。また、家庭や学校では半強制的に肉を食べさせられ、大人になります。
では、なぜ動物を食べることに疑問を抱くことなく笑顔で食べられるのでしょうか。

 それにはまず、日本に肉食の文化をもたらした欧米のキリスト教の考え方があります。
「人間は神の像の通りに造られ、地上を支配する使命を帯びて造られた存在だが、動物は
、人間によって支配され、食糧にされてよい」という教えです。(「肉食の思想」鯖田豊之著 中公新書(欧米の肉食習慣の自然的、歴史的、社会的分析))

 次にデカルトの思想です。懐疑の結果たどり着いた「我思う。ゆえに我あり。」という彼の哲学の第一原理で説かれる「我」は、魂と同義語です。人間の体も、動物の体も精密な機械である点は似ているが、人間は魂を持っているのに反して、動物は魂を持っていない。そして、意識や感覚の主体は魂なので、動物は意識も感覚も持たない、たんなる精密機械に過ぎない。だから、動物は苦痛を感じない。と彼は考え、この考えによって人は肉食への罪悪感は払拭されるだろうと言っています。

 現代に生きる私たちの知識では、キリスト教もデカルトも、その動物観については明らかに事実に反している事は知っています。しかし、現代人が抱いている動物観の根底には、本質的には、これらの思想と同じように、人間と動物の間には断絶的な価値の差があり、その苦痛も顧慮するに値しないという価値判断が働いていて、肉食は許されるという暗黙の了解があるのでしょう。

二 肉食の弊害と菜食

簡単に3つ挙げるとすると、

1、肉食によるエネルギーの膨大なる無駄

2、温暖化と森林破壊

3、動物たちの苦痛
          があります。

簡単に言うと家畜にトウモロコシ等を食べさせてその家畜を食べるより、直接トウモロコシを直接トウモロコシを食べたほうが・・・食べた方がエネルギーの節約になる、ということです。牛肉に含まれる1kgのタンパク質を得るのには、大豆に含まれる18kgのタンパク質が必要です。これは単純に考えて18倍のエネルギーを無駄にしていることになります。日本において、家畜に与えている穀物の量は日本人が生きていくために必要な穀物量の倍量です。それだけの穀物を、肉食べたさのために無駄にしていると言えるでしょう。しかも家畜用穀物は全て輸入です。これを世界の飢えで苦しんでいる人たちに渡すことができたらどんなに救われるでしょうか。

家畜の出すメタンガスは温暖化の要因となっており、アメリカでは牧畜が水質汚染の第一の原因となっています。

牛も豚も鶏も、家畜動物たちは、一生を暗く狭く密閉された檻の中に閉じ込められ、心身を病んでいます。その解決法は、動物舎を改善することではなく、絶え間なくホルモン剤、食欲増進剤、殺虫剤、抗生物質などを投与し体を薬漬けにすることです。ストレスによる尻尾の噛み合いを防止するために、歯と尻尾を切り落とされる子豚、ひなのうちに嘴を切断される鶏。牛も豚も肉質を柔らかくするために麻酔なしで去勢されます。屠殺場へ行く動物たちはそれは嫌がって叫び声をあげたり逃げ出そうとするそうです。動物たちは誕生から死まで、苦痛に満ちた短い生涯を強いられています。食肉は大量繁殖の為に100%人口授精させられています。最近は、利潤追及をめざすクローン動物の研究など、遺伝子レベルでの生命の改変が進められています。生命としての全ての尊厳が奪われ、商品としてしか扱われていないのです。あまりにもむごい現実です。

 動物を食べる人はこれらのような事実を知っているのでしょうか。食卓あるいはスーパーに置かれたきれいな肉と、生きていて感情も持っている動物たちとを、同じだと認識しているのでしょうか。知らないだけか、あるいは分かってて目をつぶっているのでしょうか。

三 周りへの呼びかけと、現実

 私は、環境問題や肉食への意識の如何は、往往にして知識の問題だと思い、現実を知らせ、打開策を打ち出せば人の意識は変わると考えていました。身近な人からと、地道に友達や知り合いに話したりしていました。また生協に頼み、生協発行の冊子に環境ページを連載させてもらったりなどとしてました。説明は分かりやすさを心がけ、本当に些細なことを提案してきました。しかし、そうやって呼びかけたりいくら熱く語ってみても、意外なほど反響もなく、またその後の人たちを見ても影響は殆どと言っていいほど見られませんでした。悲しいことに私の期待は無惨にも崩れ去ってしまったのでした。

みんなに呼びかけて 人は生きてきた過程が全く違うから、同じ気持ちになることはありえません。みんな違う、そのことは分かっています。また私もあまりえらそうなこと言えるような人間でもなく、私が余暇に楽しんでいる趣味も、極力気を遣っているつもりではいても所詮”つもり”であって、地球に悪い影響を与えていることは事実です。それどころか、そもそも生きるためだけの最低限のもので暮らせればいいと思ってもそうする勇気もなく、趣味のものにお金を使ったり、甘いものも大好きで無駄に食べてしまったりもしています。それなのに、日常の中の節々で、動物が、地球が、かわいそうと感じ辛く思っている自分は偽善者なのかとも思います。

 こういうことに罪悪感を感じるのも、自分が生きているから、それも先進国に生きているから、出来ることです。先進国のせいではあるけど、その罪は先進国の人がかぶるべきだと思います。自分の親たちが築いてくれた暮らしやすい生活の、陽の部分だけでなく陰の部分も引き継ぐことは、楽に暮らしている自分たちの義務だと思います。途上国の人は環境問題はおろか絵を描くことすら、余裕がないですから。

 しかし、先日、真面目に話していて、私の言うことは所詮きれいごとである、自己満足なだけであると、批判されることがありました。熱くなっている人はその他のことに目を向けられないで一義的にしか考えられない子供だとも言われました。私の提案・呼びかけは、相手のことを思い遣ってない、全く自分勝手な押し付けだと。そういうのは自己満足なんだから、自分の中だけで思ってるに留めなさい、人に強く言ったりするのはだめ、人に対する思いやりや配慮が足りないよ、と。私の行いは私の為にしかなっておらず全く動物や自然の為にはなっていなかったのでしょうか。そう考えるととても辛く、やりきれない思いでいっぱいになりました。

 具体的には冊子には

「自然に親しむためのキャンプで使い捨て容器を使って、自然を汚して、これに対してどう思いますか」
「家庭排水の汚染(しょうゆをこれだけ流すと魚が棲める清水にするのにこれだけの清水が必要)」
「割り箸は間伐材と皆伐材とがあって、間伐材はいいが皆伐材にはこんなよくないことが!」
「洋服など繊維もリサイクルできる、捨てないで」

などなど、小学生にも読めるくらい簡単な表現を心がけて、このようなことを書いてました。
身近な人にも、このような身の回りの小さなことを言ってきました。それはよくないことだったのでしょうか。
私の思想を押し付けていたことなのでしょうか。
私としては、「ポイ捨てやめよう」という看板と同じレベルだと思ってやっていました。
「ポイ捨てはやめて」と言われて、「そんなこと言わないで。貴方の考えを押し付けないで。」と憤慨する人はいるでしょうか。まずいないでしょう。ポイ捨てがいけないということは皆分かっているからです。それなら、どうして「しょうゆを出しすぎないで」というのはダメなのでしょう。
どちらも環境負荷がある、という点では同じです。その境界線は一体どこにあるのでしょうか。
その主張がただ市民権が得てないからというだけではないのでしょうか。

 問題の最も効果的かつ確実な解決となるのは「人間への」でなく「地球(動物)への」感情(思いやり)や罪の意識だと思います。それがないと根本解決にはなりません。ですがそういった、「思想」は、ある意味宗教的です。それならば全員にそれを期待することは結局は無理なことだと諦める他はないのでしょうか。

 私の思いは自分の中だけに留め、人には要請しない、一人で悩み続けなければいけない、ことなのでしょうか。でも、この問題ばかりは、自分だけではどうにもならないことなのです。周りの協力あってのことです。一人より二人、二人より…そうやって、例えば醤油は余分に出さないようにするとか、小さな小さな行動だとしても、学校の人全員でも、小さな行動は大きな行動になります。私一人しかこれをやっていなかったら、努力空しくやっぱり地球にとっては何にも変わりません。

 批判され、その内容に納得できる部分もありました。私の考えも、まだ迷いもあり発展途上です。いっそ諦めてしまい、こんなこと考えずにすめばどんなにか楽でしょう。けれど、これは思想とか、自分の心の中だけで、とか、どうしてもそういうレベルの問題には思えないのです。理想の実現は不可能とあきらめて何もしないよりも、どれほど小さいことでもよいから自分にできることから始めることのほうが、はるかに価値のあることだと思います。人には快適に生活していくうえで譲れないところもできないこともあるだろうけれど、先進国に生まれた私たちはその中でも自分のできることを探して、小さなことでもやっていこうとしなければならないと思います。

参考文献
1)「食の思想」鯖田 豊之著 中公新書
2) 「地球生物会議 (ALIVE)」  http://www.jca.ax.apc.org/alive/index.html
3) 「動物実験を考える」 野上 ふさ子著 三一書房
4) 「ベジタリアンの健康学」 蒲原 聖可著 丸善ライブラリー
(医学的、栄養学的にみたベジタリアンフードの勧めについて書かれています。とても面白いです)
5) 「BONVENON,SALUTON KAJ DANKON」  http://www3.vc-net.ne.jp/~kubu/ 
(エスペラント語のページ)

(戻る)

R子
休暇で田舎へ行ったとき、悲しそうに鳴く牛の声がする小屋の前を通りました。そのあと、その小屋の付近で牛の屠殺が行われたと知りました。豚や鳥は食べますが、それ以来牛肉は食べれなくなりました。(戻る)

MI.MIKA
両親は肉屋を経営しています。店にはいつも牛の胴体がぶら下がっており、細かく切るのが両親の仕事です。中学になってから私も手伝っていますが、牛肉だけは食べれません。(戻る)

DAR
縁日でひよこを5匹買いました。おばあちゃんがひよこの育て方に詳しいのでいろいろ教わりながら、学校から帰ってくるとすぐに見に行って世話をしていました。鶏が大きくなった頃、ある日おばあちゃんが「ごはんできたよ、今夜は鳥鍋だよ」と言ったので、ハッとして庭へ走っていきました。すると・・・・鳥は5匹ともいなくなっていました。それ以来、鳥は一口も食べれませんでした。僕はおばあちゃんを今だに恨んでいます。(戻る)

natsuki
子供の頃、鶏を飼っていました。とてもかわいがっており、名前までつけて大切に育てていました。ある日、家の者が私の目の前でその子たちの首をはねました。その子(鶏)は首がないまま走りだしました。それは私にとって強烈なショックでした。それ以来、鶏肉を見て食べものとは思えません。40年がたち、主婦もやってきたので肉は、人のために料理はしますが自分が食べることはできません。(戻る)
ゆうき18才
わたしは道徳的生き方を探求してきました、真実を求めてきました
そしてこのサイトを見て、こう思いました「何故今まで肉を食べる時、
これは残酷に殺されて切り取られたかわいそうな、この世の影の部分(トサツ)の証拠
だっ」と気づかなかったのでしょう。菜食のススメのトサツの映像をみました。
涙が出ましたこの世は今まで平和だと思ってきました。
しかし、これが現実です。
かわいそう
かわいそう
助けてあげたい
私は最近ベジタリアンになり、動物へ無意識に愛みたいな
なんか、かわいく感じれるようになりました。
猫を飼っているのですが、
豚も牛も、鶏もかわいがってほしいのだとおもいます
彼らと、ペットはどう違うのでしょうか??

私はこれからも動物愛護ベジタリアンをつずけるつもりです。(戻る)

あい
牧場に行って豚と遊びました。豚はワンちゃんみたいに飛びつき、喜び走り回って嬉しそうでした。今まで、この子たちを殺して食べていたことに気づき、ショックを受けました。(戻る)

私が菜食になったわけ        

菜食のススメ