私が菜食になったわけ        


鹿雄
野生の肉食動物が草食動物を捕らえて食べる場面を、映画やテレビで一般に公開する場合は、かなり遠い距離を置いた映像で、詳細はよく分からないような配慮やカットがされている。しかし、私が1997年に偶然見たテレビの映像は、事実を隠さずに伝えていた。肉食動物

 一つの場面は、夜、五、六頭のハイエナが一頭の鹿に似た動物を取り囲んで、その腹部を食いちぎっていた。動物は、もはや逃げたり抵抗する気力をなくして、そこに立ちすくんだまま、ハイエナの執拗な攻撃をなすがままに受けていた。たちまち、腹部の皮が引き裂かれて、血だらけになった肉が腹部一杯に露出した。動物の4本の脚はよろよろとしたが、崩れないで地面に立ち、傷だらけの体を支えていた。ハイエナはその露出した血だらけの肉に噛み付いて、肉片を噛み切って食べ始めた。それでもまだ、動物は倒れないで立っていた。この生きながら食べられている哀れな動物を助けようとするものは、誰も現れなかった。

 もう一つの場面は、雄ライオンの攻撃によって、既に立っていられなくなって座り込んでいる鹿に似た動物の傍らに、ライオンも座って、血だらけになった腹部を悠然と食べていた。動物は、まだ頭をすっと上に立てたままの状態で、大きな美しい目を開けて前方を見ていた。何事も起きていないような平常の状態の上半身だけを見ていたら、この動物は草原で一休みしていると思うだろう。しかし、食いちぎられて血だらけになった腹部を見ると、この動物の静けさは、恐怖と諦めから生じたものであることが分かる。

 この二つの場面を見ていた私は、自分の心と身体の全体で、このような事態が絶対に存在してはいけないことを直観した。たとえ人々がこの行為を自然の摂理として容認したとしても、私自身は断固として否認すべきだと思った。そして、生きながら食べられている動物を救うために、ハイエナやライオンを射殺したい衝動に駆られた。
 しかし、数日後に次の事に気がついた。「自分はハイエナやライオンを射殺する資格はない。なぜなら、自分も彼等と同様、肉を食べる生き方をしているから。」この気づきは、自分の肉食の習慣を反省して止めるきっかけになった。
ライオン
 もしも、偶然にこの映像を見る機会が無かったら、今でも肉食を続けていたかもしれないことを考えると、肉食している他の人々を、簡単に批判することはできない。何故なら、彼らが肉を食べているのは、昔の私のように自分がしていることの意味に気付く機会を持たなかっただけかもしれないからである。
今、私がベジタリアン運動をしているのは、人々が偶然によって気付くのを待っていては遅すぎるので、外部から働きかけて気付いてもらうためである。(戻る)

ゆっきー
きっかけは、アートオブリビングというNGOの呼吸法のコースをとったことです。 コース中 菜食を勧められ、すんなりできて体調もよかったので、指導くださった先生がもう20年以上菜食されているときいて、もう少し続けてみようか、と3年になります。 丁度 狂牛病や鶏のインフルエンザ騒ぎがあって「食べない」と言いやすかった時期なのはラッキーでした。 勧められたものを遠慮するのは心苦しいのですが、幸い周りの方のご理解もあり、続けさせていただいております。混んでいない時であれば、事前に申し出ると外食店でもご配慮いただけることが多いので、気軽にはじめられてはいかがでしょう? (戻る)
marn
私は飼い猫の病気を助けるために手術や入院費やらで総額100万円使いました。
それでチキン食べてたら矛盾を感じ、ベジタリアンになりました。(戻る)

MACO
人間は菜食で生きられる・・・人間は、本来菜食で生きられるんだよ、
そのほうが、ほんとうは自然なんだ・・と
話してくれた友がいました。

私が最初にそれを聞いたのは、
たぶん今から十数年くらい前のことです。

その時の私は、ただ「ふうん・・」と思っただけで
私は、自分が大好きなお肉やお魚を食べないでいるなんていうことはとてもとても考えられませんでした。

それに、私は、みんなで一つ鍋をつつくようなことが
大好きでした。

たとえば、誰かが「お土産だよ」といってなにかを持ってきてくれたら無邪気にみんなでそれを食べる、

そういう雰囲気というのか、そういう屈託のない人付き合いというのが
とてもとても大事だと思っていました。

なんでもありがたく、楽しく食べるのがいちばんいいんだと
思っていました。

友が大切なことを教えてくれてから
だいぶ長い時間がたち、
ある時、私はやっと
生き物に心があるということを
自分自身の心が、正直に受けとめることができる日がきました。

どんな動物も、親から引き離され、また子を失い、
命を断念しなければならないかなしみと
痛み、苦しみ、恐怖・・
そして恨み、くやしみ、無念、
そういったものがあるんだということ、
その事実を、私はある時
自分の心がはっきりと受けとめました。

大自然
そして、その日、私は
今より先、絶対に生きて動く生き物を口にしないと
誓いました。
私は、激しい懺悔の涙を流しながら、
あわてて冷蔵庫に入っていた
あらゆる肉と魚類、
冷凍庫に一切れづつラップにくるんでストックしてあった
魚の一片いっぺんを
全部袋に入れ、
その手を休める間もなく
亡き父と、他界している先祖の写真を飾っている小さな香爐を前に
ライターでお線香に火をともして
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と
心の中で、大声で叫んでいました。

あれから約7年半、
生き物は口にしていません。
菜食をして、はじめの1週間は
少しだけたいへんでした。
身体がなじまず、生理的に肉を要求しているのが
よくわかりました。
その頃は知識も少なかったですから、
肉を食べないと、栄養が足らないのだろうか・・?
などと思ったりしました。
でも、何とか意志を貫いて1週間ほどたつと
身体がとても軽くなり(体重は変わらないんですが!)
ふつうに歩いていても、雲の上を楽々移動しているような
不思議な感じを味わいました。
人間は、ほんとうはこんなに楽に生きられるんだな、
今までの重圧はなんだったんだろう、と思いました。

その後、菜食を続けていくうちにますます、
この「らく」な感じを実感していくに至りました。
身体が丈夫になり、疲れにくくなりましたし
(菜食してから、寝込むということがなくなりました。
以前はだいたい年に1度くらいは、いわゆる風邪で熱を出して
何日かふとんで生活するというということが常でしたが・・。)
生理も、以前は、七転八倒するくらいにお腹が痛くなることが
しばしばありましたが
菜食してからはとても軽くなり、痛くもつらくもなくなりました。
何よりはっきりわかるのは
食後の倦怠感がなくなったことです。
以前は必ず、食後にはある種の「だるさ」がありました。
それはしかたのないことなんだろうと思っていましたが
菜食するようになり、食後の「だるさ」は
まったくなくなりました。

菜食することに対して、反対されるようなことも
ないわけではありません。
「出されたら、食べるのが礼儀なのでは?」というふうに
考える方も多いですが
お料理してくださった方に対する礼儀と
命を奪われた者に対する礼儀と
両方あると思います。
お料理してくださった方は、目の前におられて
確かに、その面前でご好意をお断りする、そのことは
たいへん申し訳ないと思いますが
命を奪われた者は、いま物申すことができないだけです。
ですから、私は、誰に賛成されても反対されても
ただ自分として、礼儀を尽くすのみだと思っています。

コチニールという赤虫が、よくイチゴ味のお菓子などに使われていて
そういうものは口にしないのですが、
時々、地面を這っている虫を見て
「自分は、もう虫も食べないんだな・・(虫に対しても、命を重んじられるように
なった)」と、思うことがあります。
人間は、たとえ力があるといっても
弱いものをいじめたり乱暴したりするために、その力はあるのではなく、
たとえ話す口があるといっても
悪口を言ったり、人を傷つけるようなことを言うために
その口はあるのではない、という言葉を
聞いたことがあります。

手私は、今までまちがった心で
まちがった行いをたくさんたくさんしてきましたけれども、
また、今もまだ曇った心があり、
過ちも多いですが
自分のほんとうの心、
天賦のものに気づき
そのものでいられるように、
自分自身の舵取りをしていきたいと思っています。

これから日一日と、身体は老化していくけれども
心はますます晴れやかで、充実した境地に進み入っていく、と実感できるようになりました。

生きているってすばらしいなと
はっきり思えるようになったことが、
菜食して実感できるようになった、いちばんうれしいことだと思います。(戻る)

katsube
これだ!って言うきっかけはないのですが、美容と健康と動物のことを考えて1石三鳥だと思い少しずつ肉食をへらしていくうちに、精神世界や日月神示の本にも「人間は穀物菜食だ」ということが書いてあって、決心がついた次第であります。最初の頃は何を作ったらいいのか分からず困りましたが(料理)、今ではだんなに昔より頑張ってるとほめられました。そしてなにより自分の意思で生きてる!!って思えて気持ちがいいです。少しずつでもいいから私の存在が回りにいい影響を与えていけたらいいなと思います☆(戻る)

カナ
1 菜食を決意したいきさつ

動物実験を知ってからです。
動物実験反対・動物虐待反対と言いながら
動物を食べるのは矛盾してると思ったから。。

2 その後の苦労話

家族の理解がなかなか得られないこと。
外食しても食べられるものが限られてくること。

3 菜食を続けて良かった点

ベジになって4年ですが、肉を食べてた頃より体調が良くなりました。
昔は肉を毎日食べてたのに貧血で倒れたりしてましたが、
今ではそんなことはまったくないです。
風邪も滅多にひかなくなりました。

菜食を続けて悪かった点は
2のその後の苦労話と少しかぶります。
でも、最初は家族とかなりケンカしましたが、
今じゃあきらめて放っておいてくれてます。(戻る)
すべては一つ
生まれたときから食べれませんが、  
そして、食べれない状況・食べれない出来事が次から次へと起こりました。
今となれば 宇宙の計らいに感謝です! 

田舎で馬や牛さんのお世話をしているときに、
どうして、みんな、こんな大きな瞳を持つものを食べれるのかと 
不思議におもっていました。
食べれない私はみんなからは変でしたが
それでも周りの人に動物を食べれないと正直にいいますから 
みんな、それなりに協力してくれます。  そして、幼い頃からいつも、一緒にいる友だちも食べれないので食べれないことに違和感はありませんでした。

そんな私ですが「菜食のススメ」に出会い、動物を食べれないようにと生まれて来たことに本当に感謝ができました。 「菜食のススメ」の出会いのおかげで いろんな学びに出会い真実が見えて来ました。人間の生まれてきた目的もわかりましたので 大変、幸せです。  

日本人はもともと農耕民族のDNAが根本にあるので 地球上でも意識レベルが高いそうです。 この地球上のすべてのものの意識をあげる役割があるので 宇宙・ 世界中が応援してくれています。 はやく、それぞれが心の毒・体の毒を出して意識レベルをあげ  綺麗な心と素直な心、まじめな性質を取り戻し、宇宙のために地球にご恩返しをみんなでさせて頂きたいですね。(戻る)

kaya ko-sonmin
はじめまして僕のベジタリアンになった理由はラスタファリアンに会ったこと、動物すべてが友達に見えてきたこと。苦労は日本は外食でベジタリアン用のご飯が全然ないこと 、宗教家にみられること。ベジタリアンになって、前より環境、人、動物、すべての生き物 がすごく大切に見え愛せることができたこと。悪い点は僕は見当たらない。おいしい野菜をありがとう、農家の皆さん!!(戻る)

私が菜食になったわけ        

菜食のススメ