私が菜食になったわけ        


サスケ
1)菜食を決意した理由といきさつ

私たちがごく当たり前のように目にする動物の肉ですけども私たちは、どのようにこのように加工されるか、そして、私達人間同様の生き物の肉だと意識したことはほとんどないでしょう。
私の家のすぐ近くに豚舎があり、私はしばらく観察をしていました。
人間に食べられる動物たちは皆、大量に飼育 されるため、ペットのようには扱われません。一歩たりとも歩けない檻の中に入れられていました。
彼らも私達同様、運動することが自然の状態であるため、その自然の状態を奪われるということは、かなりの苦痛でしょう。想像してみてください、朝起て、その場から動いてはいけないのです。その状態で一歩たりとも動けづ硬いコンクリートの上で一生をいきるのです。
我々は一ヶ月でもやったならば、うつ病になってしまうでしょうね。
それが彼らには何年間も続き、一度も開放はされないのです。一度も緑の自然は触れられないのです。
彼らを我々同様の生命であると見ることのできる人は、あまり多くはないでしょう。
しかし、彼らは正真正銘の生命なのです。彼らの幸せを奪う権利は全く我々にはありません。
現在の肉食用に粗悪な環境下のもとで育てられ、最終的に殺される生命たちは本当に無実な囚人達です。
「なぜ、罪なき純粋な動物がこんなにも苦しめられなくては、いけないのでしょうか」
自然と戯れ自然な状態を奪われた彼らは、うつ状態のような精神病にかかってしまうと{豚は月夜に歌う}という本で読みました。
私は自分がこうされたら「マジ、ありえない」と感じ恐ろしく感じました。この状態が1日や3日ではないのです。一生なのです ありえませんよね。
そしてすぐに肉は止めました。 親に怒られましたが、なんとしても食べない決意を固めました。あまり善いことをすることが無い私でも他の生命を尊重して生きると決めたのです。
毎日静まることの無い豚の悔しさ、ストレスが感じられる悲鳴は度々、私に悲しみを抱かせます。
彼らをこの苦しみの中においているのは、人間の無知とエゴだと感じました。
私はいつか必ず肉食を気違いじみた行為だと思い出される未来が来るのだと信じています。
「私は必ずいつか、彼らの子孫が自然に戻れる日が来るのだと、信じています」

2)その後の苦労話

ここ日本では菜食主義者を変わり者だと思われてしまうので、まだこの国の動物愛護の意識は低いのだと感じさせられます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
よかった点は 心に精神に落ち着きが出来ました。
怒ることがすごく減りました。
道徳的な生き方を進歩させ自分の信条に合った生き方なので、自信がすきました。
あと、インドのスピリチュアリティは菜食をかなりのアドバンテージだと
多くの聖者は言われています。
悪かった点は特に無いですが、菜食主義者のヴィジョンから見るとレストランは肉しかないのかと思うほど、どの料理も動物が入れられています。

香音
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

一番最初の私に考えるきっかけを与えたのは中学だか高校の英語の教科書でした。内容はあるアメリカ人が日本に来た時の話で、日本人との食事をテーマに書かれた話の中に「山で自分で狩をしてそれを食べた、というと日本人、特に女性はそんな野蛮なというような嫌な顔をする。けれど、自分達は食卓に並ぶ肉を食べているのに。」という物がありました。それを読んで以来、自分でさばけないものを食べる資格があるのだろうか?私はそういう状況になったときに自分で動物を殺して食べるだろうか?と考えるようになりました。それが出来る肉食の方に文句をいう気はありません。でも、それが出来ないのなら私は自分でそれを体験する日まで肉を食べる資格がないように思えてきたんです。高校時代にお世話になったホストファミリーが厳格なベジタリアンだったこともあり、その頃からセミ・ベジタリアンとノン・ミート・ベジタリアンを行き来してる状態だったんですが、また突然肉を食べる食生活に一度戻ってしまったんです。それでもベジタリアンの生活をしている時の方が体調はよかったことから、ベジタリアンに戻ろう戻ろうという意識はあったのですが、なかなか出来ずにいました。やはり何かきっかけがないと普段の食生活を変えるというのは難しいと感じていたところに、あまりにも忙しすぎる生活が始まりました。普段から朝7時前に家を出て帰宅は夜中の12時をまわる頃という生活が続いていた中で、睡眠時間が毎日2時間から4時間で食事をする時間が本当にないという状況までひどくなりました。本当にそんな生活があるのかと自分でも思いましたがそれが2週間ほど続きました。夕方まで何も食べていないことの続いた私を見て、周囲の人間が食べ物を買いに行く時間もないほどに切羽詰った私に食べ物を与えようと「何が食べたい?」と聞いてきました。その度に「肉以外」と答えるようになっていました。こちらのサイトにも"肉を食べると元気になるという常識のウソ"というアーティクルが紹介されていますが、その頃はそんな知識はなかったにも関わらず体が極限状態に追い込まれて本能的に察したのか、「今肉なんて食べたら倒れてしまう。」と思ったんです。それ以来また肉は食べなくなりました。
現在はノン・ミート・イーターにあたると思います。でも、周囲の友人にはペスコ・ベジタリアンと認識されているようです。家では乳製品も全て大豆で出来ス物かライスミルクしか取らないのですが、外食となるとチーズや牛乳を摂取してしまうもあるので、そのあたりが曖昧な状態になっています。たまにタンパク源と思って卵を食べていたのですが、このサイトを拝見させていただいてその必要がないことを知り、卵もやめようと思うきっかけを与えてもらいました。何より、大豆製品が大好きで冷蔵庫にはかならず豆腐、納豆、豆乳、があり、たまに食べるヨーグルトも大豆で出来たものなので、もとから十分すぎるほど植物性たんぱく質は取れているんですよね。そして、子供の頃からたまに出ていた蕁麻疹。その度に乳製品や卵の摂取を控えなくてはならなかったことを考えても私の体には必要ないということの表れのような気がします。今後外食での乳製品ももっと厳しく取り除いていこうと思っています。自分の体が欲していないのに尊い命を犠牲にすることはできません。といいながら、魚はたまに食べているんですが。魚介類で体に影響が出たことはまだありません。

2)その後の苦労話
アメリカで生活をしていることもあり、ベジタリアンへの認識も高くあまり苦労はしていないと思っています。友人知人にもベジタリアンは多いので。肉を食べないと知ると「思想上のためか?健康のためか?」とよく聞かれますが、実際は両方なのにめんどくさいと感じてしまうことが多々あり、アレルギー体質ということを利用して「健康のため」とだけ答えるようにしています。肉食の人たちと思想上のことで論争をする気は毛頭ないのですが、時にはっきりと自分の意見を言うということを抑える行為に疑問を感じないことがなくもありません。でも、思想上のことは分かり合えない人とぶつかっても溝を深めるだけだと思うので、それが多少のジレンマです。どちらかといえば、こちらにいる日本人の方に説明する時の方が多少気を使います。友達にはすらっと言えてしまいますが、知人程度の人だとベジタリアンの多い国にいるとはいえ日本人の私がベジタリアンということで、多少奇妙な目で見られるところがあり、気を使いますね。向こうにも気を使わせてしまうのが感じ取られるのが不便に感じます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
明らかに体調がいいです。


Y
始めたのは健康上の理由からです。余りにも疲れやすく旅行や通勤も儘ならなかったので本を読みながら自分に合うことを試し続けてvegetarianになりました。
始めたら快適に過ごせるようになり止められなくなりました。
食べるものを変えると人生が変わります、環境も友人も。これはほんとうです。興味の対象に人の心に関することが多く入り込むようにもなりました。買い物をするたびに「大切な何か」について考えるって、積み重ねれば内面は変わってきて自然です。
元の食事(日本人の一般的な食生活)に一月だけ戻ったことがありました、そのときにそれまでまったく無かった白い髪を何本か発見して、即刻veganになりました。こんなに情報があふれているのに、多くの人がまるで見ない振りしてるみたいで不気味です。自分の体をいじめてるみたいです。

vegetarianが少数なのは、日本のimmature度の現われかな?!誰に何と言われようとこっちが良いので、今から普通の日本食に乗り換えることはありません。

coco 
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
ガゼル
アフリカのサバンナへ行ったとき、狩のシーンを目の前で見てしまいました。母親の目の前でまだ小さなガゼルの子がチーター親子の餌食になりました。母ガゼルは群が遠くはなれてしまっても、日が暮れて真っ暗になっても、ショックでその場から身動きができず、呆然と立ち尽くしていました。目の前で子どもを殺される悲しみは動物も同じだったことに気づいたのです。気がつくと自分もこれまで間接的とはいえ、母たちから何千匹もの子どもたちを奪ってきてしまったことに気づいて、恐ろしくなったのです。それ以来、子育てをする哺乳類を食べることが嫌になりました。
 その後、夫の勤務でアメリカに渡り、人間には肉食の必要が全くないこと、また動物たちの飼育方法、屠殺状況のひどさを知り、卵や牛乳でさえも、恐ろしい虐待に加担していることがわかりました。アメリカではベジタリアンが既に市民権を得ているどころか、都市部、有名人、知識層、富裕層ほど動物愛護に熱心で、菜食主義だったりするのです。ベジタリアン食材も豊富に揃っていますし、レストランにも必ずベジタリアンメニューがありますので、全く不自由することはありません。夫も健康に支障がないことを納得し、私がビーガンになることを認めてくれました。(それまでは健康を害すと思い込んでおり、お肉を食べないとひどく怒って無理やり私に食べさせていたのです。)

2)その後の苦労話

日本へ帰ってきて、ビーガン食材が少ないことと、食材にそのような表記がなされていないことですが、もともと豆製品は豊富な国なので、それほど苦労はしていません。機会あるごとに知人・友人に飼育と屠殺の惨さと菜食のすばらしさを伝えていますが、今のところ、みなさん好意的に聞いて下さって、お肉を控えるように、または止めるようにしてくださっています。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点

悪い点は何もありません。良い点は、肉食の悪に気づいたこと自体が、私にとっては幸運なことで、誇りに思っています。食べ物に感謝する気持ちが沸いてくるようになりました。今日も動物を傷つけずに済んだ、それだけで十分です。それでいて健康にもいいので最高です!
 アメリカンベガニズム

Buzz☆
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

毛皮反対の活動を知って少し手伝ったりしていて、ネットで動物愛護系のHPを見ていると,毛皮はだめでお肉はいいのか、って考えるようになりました。またひどい屠殺の場面などを写真で見てショックを受けたり、屠殺場に向かうトラックの豚、かんかん照りのなかぐったりして詰め込まれて運ばれている鶏を見たことが重なってやめることにしました。
卵や乳製品は食べていましたが、2週間ほど前からやめています。

2)その後の苦労話
田舎なので、ベジレストランもないですし、外食は一部の和食以外できなくなりました。周りに気を遣わせていることや、どうして食べなくなったのかという話題に触れたがらないそぶりを見せられるのがつらいです。知ってほしいと思うけど強要はできないですしね。家族にも、「あんたが食べんかったら食べにくいやろ、感謝して食べることも必要」と言われ、なんと答えていいのか分からなくなります。人は人、自分は自分だから批判なんてしないし食べて、って言うのですが、関係ないことないでしょって怒られます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
他の方も書かれていましたが、食後の苦しさがないのにはびっくりです。あと人付き合いも減っていくと思いますが、理解してくれる親しい人と付き合えるので逆にいいと思います。
でも買い物に行っても、原材料をすべて見ないといけないし、新しい人やまだ知らない人に自分がベジになったことをカミングアウトしてその反応を受け止める力もいるし、そういうのが一通り終わるまでにエネルギーがいりそうだな、と思います。

紅い小熊
1)菜食になったわけ。
毛皮惨業、と殺の実態、を調べ始め本を何冊か読み漁った結果です。以前みた「まぐろの漁」「保健所での殺処分」「海獣の撲殺漁」などのドキュメンタリーを沢山、思いだしました。鳥インフルエンザ騒動で、生きたまま無造作に袋詰めされいき埋められる鳥たち。お腹を空かして里に下りて射殺される熊たち。いろんなことが頭をかけめぐり・・・「死体の晩餐」という本を読んで決心がつきました。
2)その後の苦労話
インドにいってからしばらくラクトベジをしていて、数ヶ月(半年以上は続けたが、忘年会、正月で落ちた。汗)挫折したことがある私なので周囲の目は冷めていました。また、変なことはじめて・・・という感じで。今回は諸々の行動も言動も変化が著しいのに気づいた家族は 最初猛烈に足をひっぱりました。「ベジタリアンの医学」という本やベジ・レシピの分厚い本、「永平寺の精進料理」などを読み漁っていたので 今は様子を見てくれています。
・・・料理がしんどい。もともと健康オタク?なので添加物を抜くとなると、もうほとんど手づくり。甘いもの好きだけどビーガンを目指しているので、大好きだったミルク、チーズ、バターが使えない。ゼラチンもだめ。でもやっと最近、光が見え出しました。豆乳で作る植物性ヨーグルトを知ったのです!まだ大々的には売り出していませんが、「手始めキット」?を買って、今回作っています。
3)良かった点
何といっても心が軽い!こんな感覚は はじめてです。これを続けられたら 心に叶う生き方も出来るのかも。良心に恥じない生き方ができれば、真に人生を生きることができそうです。
悪かった点。
家族と揉めた。友人にはまだ 話していない。(することが増えたので{料理とか}説明するのが今は面倒)
外食が出来ない。物事を批判的に見すぎて 人と会話しにくい。でも最近は平衡がとれはじめています。人は人。関心があればいくらでも説明するけど、・・・って、思い始めました。命の時間は 誰にとっても有限だから。 (戻る) HP http://blog.livedoor.jp/ski999/

konnichiwa
ベジタリアンに対して、ずっと偏見を持っていた(偽善者とバカにもしていました)、そんなわたしですが、最近、ベジタリアンに転身しました。
 
色んな出来事が重なりそうなりましたが、食肉の裏に潜んでいる問題、菜食主義や動物愛護を唱える人の地道な努力、そういうものに目を背けていたどころか、バカにしていた自分が今ではとても恥ずかしいです。
 
ベジタリアンになることは、理解の少ない日本では特に、強い思いが必要だと思います。なので、私は全ての人が菜食主義になるべきだとは思いません。私自身も、卵や乳製品はまだたまに食べ、魚介類も出された場合は食べるタイプのベジタリアンで、厳格なべーガンにはまだまだなりきれません。でも、少しだけ食肉について考えてみて欲しいと思います。そして、スーパーやファストフード店で見る肉の量が少しでも減っていけばよいと思っています。
 
ベジタリアンでは栄養が偏る、肉を食べなきゃ元気が出ないと思い込んでいる人が多いけど、それは単なる偏見だと知っていましたか?菜食なら、余計に植物を刈るのだから自然破壊になる!植物も同じ生き物なんだから、動物だけ食べないというのは間違ってる!と思うかも知れませんが、肉食のために破壊されている自然がどのぐらいか知っていますか?地球温暖化のために、こまめに電源を切る・・・などの地道な努力をしている方も多いと思いますが、食肉によるCo2の排出量、消費する化石燃料の量がどのくらいか知っていますか?確かに、人の生活は他の生き物の犠牲の上にあるけど、必要以上に犠牲にしていないだろうか?
 
元アンチ・ベジタリアンの私でしたが、菜食について本やネット調べれば調べるほど、肉を食べたい気が失せてきました・・・。下に、いくつかのよくまとまったサイトを紹介します。興味を持ったからがいましたら、是非、ご覧になって見てください。アンチ・ベジタリアンの立場の方も。 (戻る)
http://rayinfo.koizumiengei.com/...
http://www.jpvs.org/..

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