Q:動物がかわいそうというのならば、
植物の生命に関してはどうお考えですか。
A:植物にも生命があります。感情もあります。
愛情をかければそれなりに育ち、憎しみを込めて育てた花はすぐ枯れると言う報告もあります。
でも、あなたはリンゴをもぐように、鶏の首をしめあげて殺せますか?その二つの行為は、あなたにとってまったく同じですか?
「まったく同じ」とお答えになる方は、屠殺場で、実際の「殺し」を自ら体験し、自信をもって肉食を続けられることをお勧め致します。
私の場合は、トマトをもぎとる気分で鳥を殺せません。稲を刈る気分で牛を殺せません
ほうれん草を引っこ抜く気分でブタを殺せません。
Q:動物達に成仏してねと思いつつ、残さず食べてあげるのも供養かと思うのですが?
A:もちろん、すでに殺されてしまった動物達を粗末にするのは、とんでもないことです。
でも、もう1歩踏みこんで考えてみませんか?
殺人犯が、『殺すけど、あとでちゃんと供養するからいいでしょう』と言って、世の中がゆるすでしょうか?
残された遺族は、納得するでしょうか?
私達は肉を食べなくては死ぬというわけではないのですから、供養するくらいなら始めから殺さないのがよいのでは?
Q:動物にはカルマがあり、人間は動物を食べる事によってその動物のカルマを解消してあげているのでは?
A:もしそうだとしたら、畜生界の食物連鎖に人間が参加していると言う事になります。畜生と同列なわけです。これはマハトマガンジーも言っています。
そして、殺して食べてカルマを解消してあげても、間違いなくカルマを背負うことになります。
もし、殺す事によって相手のカルマを解消する事を善の行為とするならば、
地下鉄サリン事件で有名なオ○ム教の『ポアしなさい』という行為を認めることになります。
(教祖:麻原彰晃がとなえる救済計画として毒ガスやサリンなどを撒き、無差別殺人を行った。ポアの意味は悪業を積んでいる場合はそれ以上積ませないため殺害するという麻原彰晃の説法)
Q:お肉を食べる時、感謝して食べていますので問題はないと思いますが?
A:動物に何かしてもらったならば動物に感謝をしなければなりません。
しかし動物からは強引に命を奪っているので(動物が自殺のごとく食べられるために献体したのではありません。)何かを強引に奪ったものは罪になります。
命を奪ったら感謝ではなく、謝罪または懺悔でしょう。
Q:自分ひとりが肉食をボイコットしたとてなんの力になろうか。 A:私も肉食の時はそう思っていました。 しかし、一人の人間が肉食をやめれば、年間80頭の動物が屠殺されずにすみます。またそういう行動が、まわりの人たちの気づきのきっかけともなるかも知れません。そしてそれがある一定の数に達した時、猿の芋洗いのように(右記※参照)世界がかわってゆきます。そしてそれは地球や生命への影響力は大きいのです。 Q:自分は毎日あえぎ苦しみながら人生を生きていて、食べる自由までうばわないでほしい A:いま飽食の時代に食べる事でストレスを発散している方が多いですが、この体は過去食べたものの蓄積の結果です。太る食べ物ばかり食べる人は太っており、肉食する人は気分、コレステロール、屍肉特有の悪玉菌発生によるさまざまな成人病、ガンなどの原因を作ります。食生活(たべ方)もまたその人自身の気質を表しています。厳格に食べ物を選ぶ事は自分を大切にする(自分を愛する)ことにもつながります。イライラするからたばこを吸う、むしゃくしゃするから肉を食べる、では人生の課題を置き去りにして一時的な逃避にすぎないと私は考えます。また、本心から理解するまでは禁煙もむずかしいように、肉食も本心から考え直して理解することが必要だと思います。 |
|
Q:ペットを飼っています。 ペットも菜食主義にさせるべきでしょうか。 |