人間に許された食べ物
●現代栄養学の誤り
栄養学とは、短直に言って栄養について研究する学問です。
栄養素の代謝、所要量、過不足による病態、そして食品からは各々の種類、組成、調理法で、更に疾患時についての食事は生理学、生化学、病理学、衛生学の立場から探究研究しようとする近年に始まった新しい学問です。
しかし新しいだけに、背後には何者かの作為が感じられるのも、また事実です。こうした現状の中からアメリカ発の「現代栄養学」が学問的な産声を上げました。
さて、近年に行った総理府の「食生活調査」と「農村の役割に関する世論調査」には、次のような結果が上げられています。
まず国民の食生活には、
・第一位、栄養のバランスを考える……57.11%
・第二位、カロリーや塩分の摂り過ぎに注意する……51.2%
・第三位、規則正しい食生活をする……42.5%
・第四位、安全な食品を摂るようにする……41.2%
・第五位、品質や鮮度のいい物を摂るようにする……40.4%
・第六位、好き嫌いをなくす……28.3%
・第七位、家族揃っての食事を多くする……27.5%
・第八位、美味しい物や好きな物を食べ、食生活を楽しむ……21.6%
・第九位、安い食品の利用を積極的に行い、食費を抑える……14.8%
・第十位、食事の楽しみ方を工夫する……14.5%
この結果を見ますと、第一位の「栄養のバランスを考える」と、第六位の「好き嫌いをなくす」の合計を合わせると約85%の人が、同じ意識を持っていることになります。
さて現代栄養学では「六つの基礎食品」というものがあります。
その第一群としては魚、肉、大豆製品が上げられ、主に良質蛋白質の供給源をこれに求めよとしています。
次に第二群としては牛乳、乳製品、骨ごと食べられる魚を上げ、主にカルシウムの供給源としています。
また第三群としては緑黄色野菜を上げ、主にカロチンの供給源。
第四群としてはその他の野菜、果物を上げ、主としてビタミンCとミネラルの供給源。
第五群として白米、白パン、麺類、薯類を上げ、主として糖質性エネルギーの供給源。
第六群として油脂を上げ、主として脂肪性エネルギーの供給源として、以上をもって現代栄養学の「六大基礎食品」としています。
ところが六大基礎食品を食することと、長寿を維持し、元気で働くという現実は、必ずしもこうした六つの食品を食べる事と、全く一致しません。
明治生まれの八十歳以上の老人達の多くは、その食事メニューの内容が、「朝ばく、昼ばく、おこじゅばく、夕めしゃ、おこじゅの残りばく」と言って、肉や牛乳、チーズなどの乳製品など殆ど食べた事のない時代を経験し、高齢者のメニューから窺えることは「少食」であり「粗食」であったということです。
更に婦人に至っては、僅かこれだけのメニューで、よく野良仕事の重労働にも耐えたと言えます。
それが最近では穀物菜食主義が忘れ去られ、米は食べても精白米一辺倒になり、肉や大型高級魚(まぐろ、鯛、はまち、ひらめ等)、牛乳や乳製品、そして卵中心の食生活に変わり、この欧米式食生活の模倣によって育った戦後生まれの若い世代は、皮肉なことに三大成人病で苦しんでいるという現実があります。
そして現代栄養学に掲げられている学問のテーマで、最も恐ろしい事は、肉、牛乳、乳製品、卵といった動物性蛋白質食品を、優秀な食品であると指定・指導していることなのです。
また以上を「完全栄養食品」と題しています。
八十歳以上の老人が、若い頃殆ど、「完全栄養食品」と自称する食品を殆ど食べず、今でも元気な老後を過ごしているのに、完全栄養食品を食べた若い世代は、成人病で倒れているという現実を見れば、現代栄養学の示す方向は誤った方向を示していることは一目瞭然になります。
さて、では何故「肉、牛乳、乳製品、卵といった動物性蛋白質食品を優秀な食品である」と断定しているのでしょうか。
どうやらこの裏側には、巧妙なアメリカの食物メジャーの仕掛けがあるようです。
それはFOAが示す「蛋白質のケミカル・スコア」に仕掛けがあります。これは一般庶民の栄養学と医学の無知をついた巧妙な仕掛けです。
このケミカル・スコアは、窒素1gあたりの各必須アミノ酸の量を「FOA基準配合」としているからです。
そしてこの中で注目すべきことは、肉や牛乳を「良質の蛋白源」とするために、「卵を最初から100の基準値」に置き、卵と比較してケミカル・スコアが作られていることです。
卵を100の基準値において他の食品と比較すると、牛乳が80、カゼイン80、卵アルブミン100、牛筋肉80、牛心臓80、牛肝臓85、牛腎臓80、豚ヒレ肉85、大型高級魚75、精白米75、精白小麦80、ライ麦80、大豆75、各チーズなどの乳製品75〜80とし、小魚や玄米などの穀類は50以下の低い数値に抑えられています。
これから考えると、プロテイン・スコアやケミカル・スコアをもって、肉は良質の蛋白質であるという作為的な意図が窺われ、大衆・庶民に向けられた食の理想像が、最初から固定されているということになります。
つまり仕掛けの段階で、肉や牛乳や卵を「良質の食品」と決め付け、これをケミカル・スコアにして証明したに過ないといういうことが分かります。
そしてこうしたことが国連の下部機関のFOAで発表されているということは、国連が、もともと第二次世界大戦当時の連合軍であり、これがいつしか国際連合軍になって、敗戦国・日本に食事情を押し付けるという現実が否めないのです。
これは国連の示す「United Nations」が国際連合軍の意味であり、日本人はこれを「国際連合」と誤訳したところに、日本人の悲劇が始まっています。
そしてこの悲劇は、国連FOAが示す「ケミカル・スコア」によって表面化しました。
●国連が作り上げた牛乳神話と、
肉はスタミナ源の根源という大嘘●
日本人は安易に「牛乳イコール健康」「牛乳イコール骨太」という迷信を、現代栄養学の大嘘によって騙され続けてきました。
国連FOAが示す「ケミカル・スコア」は、どこまでも日本人を徹底的に叩きます。その仕打ちの最たるものが、日本人に押し付けられた「牛乳神話の実態」です。
急激な勢いで増加するアレルギー体質や白血病は、ズバリ言って牛乳の実害です。また小学校で実施されている学校給食の牛乳が輪を掛けて多くの虚弱体質児童を増やしています。
それほど牛乳は不向きの食品でありながら、何故日本人は未だに牛乳信仰を捨て切れないのでしょうか。
牛乳に含まれる蛋白質の大部分は人体に不要なカゼインです。このカゼインを摂取すれば、当然の如くアレルギー反応を引き起こします。
こうした単純明快な医学上の事実が横たわりながら、多くの人は牛乳神話に入れ上げるのでしょうか。
こうした裏にはテレビなどを通じた食番組や、それを一段アップさせた食品産業提供のグルメ番組が上げられます。こうした番組にはNHKはおろか、民放までが著名な料理人や栄養学者を出演させ、権威で庶民を愚昧化する巧妙な工作が行われているからです。
料理人や栄養学者は牛乳のカルシウムに眼を付け、これを強調します。ところが牛乳の大きな欠点は、ミネラルの組成が人体向きでないのにもかかわらず、これは隠されたまま、牛乳のカルシウムを中心にした、ビタミンB12、パントテン酸、鉄分、ビタミンA、ビタミンE、ビタミンB2の栄養所要量を取り上げ、こうしたものの優秀性を強調します。またドコサヘキサエン酸(DHA)やリノール酸の配合も忘れずに付け加えます。
しかし牛乳は、例えば乳幼児が飲むと、水分・電解質代謝の混乱が起こって、水膨れ状態になったり、骨や歯を脆くします。
「牛乳イコール骨太」という信仰を持ち、毎日牛乳を飲みながらも、転倒すると、直ぐに骨折する小学生児童の骨の脆さは、一体何処から起こっているのでしょうか。
「牛乳イコール骨太」あるいは「牛乳イコール健康」という図式は、果敢なくも、こうした現実で崩壊してしまいます。
それに加えて、牛乳を生産する際の、滅菌処理法が問題になります。この滅菌処理法は、各牛乳メーカー共通のウルトラプロセス法という高加熱による滅菌処理がなされているために、蛋白質変性が起こり、乳糖は乳酸菌を増殖する力を失い、乳酸菌自体が壊滅状態にあることです。
こうした理由から、牛乳は必ずしも人間が飲まなければならないという食品ではないのです。
そして飲めば、アレルギー体質や白血病の脅威に悩まされ続けなければなりません。
さて、今度は「肉はスタミナ源の根源」という大嘘について迫ってみましょう。
一昔前まで「肉は酸性食品であるので食べ過ぎるとよくない」「肉を食べる時は、同量の野菜を食べるべきだ」「肉食・イコール・コレステロールを増やす」等と安易に因果関係が考えられ、また今日に至っては「肉はスタミナ源のもと」などというとんでもない神話が浮上しています。
さて、肉はスタミナ源のもととする考え方は、多くの日本人がこうした考え方を持ち、これが固定観念として脳の中枢にこびりついているためです。
スタミナ源とするのは、多くが「肉には多少マイナス面があっても……」という意識があり、まずは、スタミナをつけることが先決問題であると安易に考えてしまうことに端を発しています。
しかしこれは医学上から見て大きな矛盾があります。
人体は小宇宙と評されている通り、一つの秩序だった働きをしています。
食肉が血液を酸毒化させ、コレステロールを増大させて動脈硬化を引き起こす一方で、躰にスタミナを付ける等という、相矛盾した作業は出来るはずがないのです。
躰にスタミナがつく条件としては、まず血液が弱アルカリ性(生理的には中性)で、奇麗な状態であり、しかも血液がサラサラが必要条件であり、動脈はしなやかであり、弾力性があって、こうした総ての条件が揃った場合に、基本的な現象が総合されて、はじめてスタミナアップが図れるのです。
家族揃って焼き肉の店に出向き、あるいは週末の一時を利用して親子で郊外レストランに車を走らせ、そこで肉を食べてスタミナ源のもとと信じ込んで食べたとしても、躰の方は悲鳴を上げています。
しかしこれもで、更に食べ続けると、今度は頭重感に悩まされることになり、イライラしたり、顔色がどす黒くなったり(肉食家で喫煙者は特にこの傾向が激しい)、脂ぎったりして、ついには肝臓病や腎臓病、心臓病、不妊症、精神分裂病へと移行して、ついに様々な臓器癌を招くことになります。
食肉がどうしてこうした弊害を生むかというと、それは単純明解であり、腸内で腐敗する為です。
もともと草食性の日本人の腸では、食肉がスムーズに消化処理できる構造になっていないからです。これに併せて牛乳や卵も同じであり、腐敗の結果、アミン、アンモニア、硫化水素といった腐敗物質が血中に持ち込まれる為に成人病や難病を齎すというのが実態です。
●朝食をしっかり摂る、は現代栄養学の大間違い ●
「朝食をしっかり摂る」という愚行は、飽食の時代を演出した食糧メジャーの指令に基づいて走狗する、医学者や栄養学者の陰謀です。
したがって「朝食は一日の活動エネルギーの源」とする提言は大嘘です。
この提言は人体(生体)と、動力機械や車などとを同一視して、本質的な違いを無視した短絡的な発想に他なりません。
例えば、動力機械は何らかの燃料を入れなければ動きませんし、車の場合はガソリンを入れなければ走りません。
ところが人体の場合、食べたものは少なくとも7〜8時間後でなければエネルギー化しません。食糧がエネルギーに変換される過程は、複雑な物質代謝系を経なければエネルギー化する事は出来ないのです。したがって朝食が、その日の活動源になるという事はありえません。
ちなみに理想的な食事回数は、朝餉、夕餉の言葉がある通り「一日二回」で、人間の人体構造は「水冷式哺乳動物」の形体をとり、一日二食というリズムを以って人体が維持できるように造られています。
ところが現代は一日三食の、明らかに食べ過ぎと思える状態に上乗せして、一日四食(間食の習慣で、食品会社のインスタント食品が元凶)が常識のようになりつつあります。
これは政府の食糧政策と、現代栄養学という似非(えせ)学問が、栄養士と医学者を巻き込んで起こした、食産業との「利権争い」で、多くの国民は彼等の仕掛けに踊らされているという実情があります。
あなたはテレビで、グルメ番組や料理番組が多過ぎると思ったことはないでしょうか?
私達は、常にご都合主義の縮図の中で、マスコミに操作されながら生きており、利潤追求の資本主義・キャピタルニズムの社会構造の中で、「仕掛人に踊らされる日常生活」を余儀なくされいます。
国民の胃袋は、こうしたご都合主義の競争原理に焦点を合わせた食品企業のゴミ箱であり、毎日知らないうちに、直ぐに死なない、微量の毒を投げ込まれているのです。そしてその毒が数年単位で猛威を振るい始め、気付いた時には手遅れで、末期癌だったということも珍しくありません。
この最たるものが牛肉を使った、某外食産業のハンバーガーや、某食品企業のインスタント・ラーメンや、薬漬けのカップ麺などであり、これはジャンクフードといわれる石油を媒介に使った危険な加工食品です。
私達の胃袋は、利潤追求が目的である、ご都合主義を掲げる企業体のゴミ箱であり、テレビのCMに踊らされているという現実に即刻気付く必要があります。
かつての日本人の食餌(しょくじ)の原形であった「直会(なおらい)」の精神に戻りましょう。
直会とは、ナオリアイの約語で、斎が直って平常にかえる意味の事で、 神事が終った後、神酒や神饌(稲・米・酒・魚介・蔬菜・塩・水などの供物)をおろして頂く「宴」の事を指します。
ゆったりとした気持ちで、私達に命を与えてくれた食物に感謝し、食べ物を粗末にしない心構えが出来れば、自然と粗食になり、その食べる量も従来の半分で済みます。また、食べられる食べ物を、みすみす残飯にしてゴミとして捨てるのは、節食の面から言っても、間違っているのではないでしょうか。
粗食・少食に徹し、命を育む食べ物に感謝の念を抱く事が出来れば、運も自ずと開け、これこそが開運の秘訣なのです。
最後にもう一度繰り返しますが、動物性蛋白質を摂ると、霊的神性が曇らされ、血が穢れます。また彼等とは同じ哺乳動物で性が近いために、彼等の殺された恨みの念がそれを食する事で肉体に蓄積されます。霊的にも肉体的にも、これで異常が起こらないのが不思議です。
霊肉ともに、揺るぎない安定した健康体を取り戻すためには「食への慎み」が急務です。食が慎みを覚えれば、色も自然と収まるものです。
●異化作用と同化作用●
もう一度、ここで異化作用と同化作用を復習して見ましょう。
今日一日の活動エネルギーは、既に昨日の夕食によってちゃんと確保されているのです。
生体を根本的に支えている生理機能は、「同化作用」と「異化作用」です。
この機能は各々に役割があり、相反する方向性を持って生体に作用します。
同化作用とは、生体物質を合成し、エネルギーを蓄積していくものであり、異化作用とは、生体物質を分解し、エネルギーを燃焼(消費)させていくものです。
そしてこの作用は、夜と昼で交互に切り替わります。
日が暮れて暁方までの夜間においては同化作用が優勢になり、夜が明けて日中になると異化作用が優勢になります。
具体的な生理現象として、「食事と睡眠」は同化作用の営みであり、「排泄と活動」が異化作用の営みです。
人間はその日の一日のうちで、最後の食事である夕食を摂る事によって心身がリラックスし、やがて眠気が訪れて睡眠に就きます。この睡眠中に同化作用が起こり、暁方までにこれが完了します。明日一日の活動エネルギーはこの時に造られます。
そして眼が覚めたら、不要物を排泄するために排泄作用がおこり、身軽になって、ここから異化作用が始まります。異化作用で得たエネルギーを以て、今日一日存分に頑張る事が出来るのです。
以上は生体における一日のサイクルであり、これを無視して、一部の医学者や栄養学者がテレビなどで、大衆・庶民の無知をいいことにして「朝食は一日の活動エネルギーの源」と、嘯(うそぶ)くのです。
●肉はスタミナ源の根源という呪術から解放されよう●
日本人は安易に「牛乳イコール健康」「牛乳イコール骨太」という迷信を、現代栄養学の大嘘によって騙され続けてきました。
牛乳の実害については既に述べましたが、次ぎは「肉はスタミナ源の根源」という大嘘について迫ってみましょう。
一昔前まで「肉は酸性食品であるので食べ過ぎるとよくない」「肉を食べる時は、同量の野菜を食べるべきだ」「肉食イコールコレステロールを増やす」等と安易に考えられ、また今日に至っては「肉はスタミナ源のもと」等という不可解な神話が浮上しています。
さて、肉はスタミナ源のもととする考え方は、多くの日本人がこうした考え方を持ち、これが固定観念として脳の中枢にこびりついているためです。
スタミナ源とするのは、多くが「肉には多少マイナス面があっても……」という意識があり、まずはスタミナをつけることが先決問題であると安易に考えてしまうことに端を発しています。
しかしこれは医学上から見て大きな矛盾があります。
人体は小宇宙と評されている通り、一つの秩序だった働きをしています。食肉が血液を酸毒化させ、コレステロールを増大させて動脈硬化を引き起こす一方で、躰にスタミナを付ける等という、相矛盾した作業は出来るはずがないのです。
躰にスタミナがつく条件としては、まず血液が弱アルカリ性(生理的には中性)で、奇麗な状態であり、しかも血液がサラサラが必要条件であり、動脈はしなやかであり、弾力性があって、こうした総ての条件が揃った場合に、基本的な現象が総合されて、はじめてスタミナアップが図れるのです。
家族揃って焼き肉の店に出向き、あるいは週末の一時を利用して夫婦で郊外レストランに車を走らせ、そこで食肉を食べてスタミナ源のもとと信じ込んで食べたとしても、躰の方は悲鳴を上げています。
しかしこれもで、更に食べ続けると、今度は頭重感に悩まされることになり、イライラしたり、顔色がどす黒くなったり(肉食家で喫煙者は、特にこの傾向が激しい)、脂ぎったりして、ついには肝臓病や腎臓病、心臓病、不妊症、精神分裂病へと移行して、ついに様々な臓器癌を招くことになります。
食肉がどうしてこうした弊害を生むかというと、それは単純明解であり、腸内で腐敗する為です。
もともと草食性の日本人の腸では、食肉がスムーズに消化処理できる構造になっていないからです。これに併せて牛乳や卵も同じであり、腐敗の結果、アミン、アンモニア、硫化水素といった腐敗物質が血中に持ち込まれるために成人病や難病・奇病を齎すというのが実態です。
●三白癌の愚を避けよう●
三白癌には「精白米」「白砂糖」「精白塩」の三つが上げられ、これを順に説明することにします。
精白米は、玄米の有効成分を総て削ぎ落とした米であり、これは一転して造病食品となっています。白米の実害は古くからあり、明治の日本陸軍では白米の食べ過ぎによって、多くの将兵に「脚気」が蔓延しましたし、江戸時代の元禄中期以降からは「江戸患い」(えどわずらい)と称されて、ビタミンB1欠病症の原因となって、これは現代に至っても変わっていません。
まず、糠を削ぎ落とした白米には食物繊維が少なく、便秘になりやすい体質を造ります。
更には動脈硬化や糖尿病を招いて、食後に血糖値が急増することは、白米が多くの場合、糖尿病の病因と大きく関わっていることを如実に物語っています。
白米を食べると、インシュリンが膵臓から分泌されて、血糖値を抑えようとする働きが起こりますが、また白米は膵臓を疲労状態にする為、糖尿病を招きます。疲労状態に陥った膵臓は自らのインシュリンだけでは不十分のため、動脈壁のインシュリンまでもを動員して、急遽この措置に当たります。その為に動脈が硬化して脆くなり、動脈硬化が引き起こされるのです。
さて白米の構造は、まず玄米に比べて、総ミネラル量が圧倒的に少ないことが上げられます。ミネラル不足は慢性病体質を生む最大の原因となります。
また植物性繊維は不足するため、腸や血液の大掃除をすることが出来ません。そしてビタミンEが欠乏しているために、植物性油脂に多く含まれる脂溶性ビタミンが存在せず、脂肪などの酸化防止作用および膜安定化作用を保つことが出来ません。
更にビタミンB1の欠乏症である脚気を招きます。脚気は、末梢神経を冒して下肢の倦怠、知覚麻痺、右心肥大、浮腫を来し、甚しい場合は心不全により死亡します。これを「衝心」といいます。
脚気は白米を主食とする地方に多発した病気で、「江戸患い」の他にも、江戸やまい、乱脚の気、脚疾、脚病、乱脚病、あしのけ等と呼ばれました。この病気は単に脚気にとどまらず、倦怠感を抱いたり、疲労感を抱いたり、肩凝りや足のむくみといった「脚気体質」の陥れます。
そして便秘を起こす張本人が白米であることを見逃してはなりません。
【1.三白癌を齎す魔の精白米】
白米は精白食品であるため、腸の蠕動運動を弱め、腸内容がスムーズに流れていかなくなる原因を造ります。これは一番大事な炭水化物の代謝を悪くしますので、その燃え粕が残り、肥りやすい体質になるばかりか、腸内で腐敗ガスが発生して、このガスを腸は再び吸収するという「腸マヒ現象」を起こします。
このために十代で若白髪になったり、二十代で若禿げになったり、三十代で肥満体になったり、あるいは女性の場合、常時貧血を起こしたり、とにかくスタミナ切れの体質になってバテやすい躰になります。
これは若返りのビタミンである、ビタミンEが脱け落ちている為です。
ビタミンEはその大部分が胚芽という「糠」に含まれていて、白米は栄養が脱け落ちた「老化食品」であることがわかります。
ここで、精白米が駄目なら、ではパンがあるではないか、と思う人がいるかもしれません。しかしこれも早計です。
確かに小麦は胚乳部を構造として持ち、ビタミン類も多く含まれ、白米に比べればB群の含有量も多いわけですが、これは決してこれだけで十分と言うわけではありません。一般に市販されているパンの多くは、漂白された白パンであり、元々食品としての成分組織は、麦は米より劣ります。
そしてパンは小麦粉(またはライ麦その他の穀粉)を主材料とし、これに水とイーストなどを加えてこね、発酵させてから焼き上げた食品ですから、不自然な加工がなされています。白パンは白米より、更に有害な食品と考えなければなりません。
【2.三白癌を齎す魔の白砂糖】
次に白砂糖を上げて見ましょう。
白砂糖の恐さは、体細胞に直接働いて機能を鈍らせるという病因を造ります。
白砂糖を毎日少量でも常食すると、腸の蠕動運動は大変鈍くなり、腸の組織は低迷して、便秘状態を作り出します。ケーキやあんみつ、お汁粉などの甘いものが好きな女性に便秘が多いのもこの為であり、直接の因果関係は白砂糖にあります。
また白砂糖は、細胞内のミネラル分を排出するように作用し、特に骨に蓄えられたカルシウムを浪費させて、骨を溶かし、疲労しやすい体質を造ります。
その上に蠕動運動を鈍らせる為に、腸内腐敗を引き起こし、病的な微生物を発生させて病変組織(病気になったために現われる変化)が組成されます。そして病変組織が崩壊する時には、体細胞がバクテリアやウイルスに姿を変える現象が起ります。
病気のメカニズムは、自分の無知から自分自身で腸内に腐敗を起こす食物を取り込み、病的な微生物を増繁させて、その結果として、自分が勝手に病気に掛かるというのが「発病」の真相であり、現代医学でいわれているような、「病原体」などというものは何処にも存在しません。
病変組織を調べると、病的バクテリアや、病的ウイルスが発見されることもありますが、それは腸内から吸収されたものか、あるいは自然発生したかのいずれかです。
そしてこれは悪性腫瘍へ変化することが多く、癌遺伝子(oncogene) 発癌に関与する遺伝子は、正常の動物細胞に存在します。これは細胞増殖を促す原癌遺伝子が変異したものとされます。レトロ・ウイルスが原癌遺伝子を取り込んで変異を起し発癌性をもつようになったものが腫瘍ウイルスです。
その為、白砂糖の常食は腸内腐敗物質を大量に、長時間停滞させ、特に大腸ポリプ(大腸粘膜に生じるポリプ。多発するものを大腸ポリポージスという。悪性化し癌化するものもあるとされる)、大腸癌(大腸に発生する癌。多く円柱上皮性腺癌で中高年に好発。脂肪に富む洋式食事が普及して以後増加した。しばしば肝転移を起す)、結腸(colon/大腸の主要部分。上行・横行・下行およびS状結腸の別があり、直腸に続く。小腸で消化された食物から水分を吸収する)癌、あるいは腺癌、直腸癌に因果関係を持っています。
私達は、疲れた時に甘い物がいいというのは迷信であり、仕掛人の仕掛に嵌って一種の神話を信じる先入観ができ上がってしまっているのです。
【3.三白癌を齎す魔の精製塩】
最後に精製塩について述べましょう。
精製塩は「化学塩」と言う名で呼ばれ、イオン交換樹脂法という製造法で造られています。食卓にある「食塩」がまさにこれであり、イオン交換樹脂法とは、イオン交換を行う不溶性の合成樹脂のことです。
この合成樹脂には、陽イオン交換樹脂と陰イオン交換樹脂があり、現在では硬水軟化・純水製造・製塩・金属回収・薬品精製など、広い用途を持っています。
こうした交換樹脂で精製された化学塩は、塩化ナトリウムを主成分とする、しおからい味のある白色の結晶であり、陽イオンと陰イオンがイオン結合で結びついて出来ている結晶がこれです。その中の結晶の一つが食塩の結晶です。
これはイオン結晶によって造られたものです。
イオン結晶とは、ある種の物質を塩類の水溶液と接触させた場合、この物質中のイオンと、水溶液中の同符号イオンとが入れかわる現象を利用して、陽イオン交換と陰イオン交換を入れ替えた物を指します。
そのため、ミネラル分は殆ど存在せず、0.01%にも満たない量で、特にニガリ成分が無く、ここが自然塩と大きな大差があります。
また化学塩(食塩)はミネラル成分が皆無に近い為に、発癌を促し、これを常食すると、癌を含めて、病的脱毛(若禿げ)、基礎体力の低下、精力減退、無気力などの症状が現われ、また、高塩分の食事によって高血圧症が促進されますが、高血圧症が自然塩ではなく化学塩であるところに注目しなければなりません。
現在、厚生労働省が食生活において、塩分の摂り過ぎを抑えるような指導を打ち出していますが、これは「塩分摂取量」ではなく、化学塩の摂り過ぎに警告を発している政策です。
しかし何故か、自然塩ではなく、化学塩が有害であるという表現は避けています。ここにも食糧メジャーの政治的策略が窺えます。
その他、化学調味料も有害である事は言うまでもありません。
化学調味料は化学塩同様、人体の生理機能を狂わせる元凶であり、乳加工食品や食肉加工食品の中には、これらがふんだんに使われ、特にインスタント食品にはユーザー(コンビニ愛好の若者が対象)の好みを味を追求し、売れればいい、儲かればいいというコンビニチェーンのご都合主義に、利益の追求を求めているので、不自然な化学調味料が大量に使われて若者を見掛けと舌先魅了します。切れやすい若者の実体は、これに起因します。
また「無添加」と表示されていても、化学調味料は殆ど使われているので要注意が必要です。
以上述べた三種類の精製加工食品が、「三白癌」の元凶を作っているのです。
「災いは口より入る」とは人生を通しての、人間が決して忘れてはならない名言です。
同時に「災いは口より出ずる」という、「失言」をも慎まなければなりません。こう考えていくと、人間の口は様々な災いが出たり、入ったりしていることがわかります。
浄血の薦め
人間の血は食生活によって、その方法や食体系が間違っていれば、汚れ、濁り、ドロドロになります。また霊的にも、穢れます。
そして日本人の食生活や食体系は、戦後欧米化によって欧米的な食事が主流になってしまいました。
更には、現代人の食生活の三本柱は「白米」「食肉」「白砂糖」であり、これが難病・奇病を招き入れ、禍根の重荷を背負うような現実を作り出してしまったのです。
そして残念なことは、高度成長期に達する昭和三十年代前半までの、「貧しかった時代の食生活」が完全に忘れ去られてしまったということです。
粗食・少食でベストを保っていた日本人の食生活は、これを機に、「腹一体食べたい」という願望が先行し、次に「美味しい物を、腹一体食べたい」というふうに移行しました。
日本人は戦中・戦後の食べ物の貧しい時代を経て、「十分に食べること」が第一の目標でした。沢山食べるという贅沢の中に、欲望を満たし、次の時代は「美味しい物を、腹一体食べたい」ということが次の時代に欲望になりました。
ところが今日、これ等の時代を経た欲望は目的が達成され、次はお金だけ出せば何でも手に入るという資本主義の金銭至上主義にものを言わせ、美味しい物にお金の糸目をつけず、食道楽に趨るという食通主義が流行しました。うまいものと聞けば、何処にでも出かけていくという日本人の食へのこだわりは、飽食と美食の結果、一方で病める躰を抱え込んでしまったのです。
パリのマキシムのローストビーフに舌鼓を打ち、四川省のギラギラとした中華料理の大皿を取り囲み、宮廷料理さながらの、美食に明け暮れるその食傷に犯された日本人の姿は、まさに精神と肉体を為体(ていたらく)させた近未来の末期癌患者を彷彿とさせます。食べ過ぎの害に合わせて、不治の病を背負い込む食傷の最たるものではないでしょうか。
昨今、欧米では日本型食事法に注目の目が注がれていると言いますが、これは現在の「白米」「食肉」「白砂糖」がふんだんに使われた日本食ではなく、昭和三十年代前半までの貧しかった時代の「和食」なのです。
この和食には、肉食の国・欧米での健康失墜度が、ケタ違いに低く、優れた利点が多く含まれているからです。
主食である「ご飯」の中にも、100%白米ではなく、大半は彼等がブラウン・ライスと言って珍重している玄米や玄麦であり、時には赤米(あかまい)や粟(あわ)や稗(ひえ)なども混じった雑穀米です。
昭和三十年代、あるいは四十年代初期、欧米人から見る日本人は、理想に近い体躯と健康状態を維持しているという風に映りました。
概ねがスリムな体型をして、その上、若く見えるという特長を持っていました。そして探究心旺盛な彼等は、その秘密を暴き始め、分かったことが「和食」のその原因があるということだったのです。
しかしこの和食は、今日の日本人が食している日本食とは大きく異なります。
今日の日本食は今述べたように、「白米」「食肉」「白砂糖」が食の三本柱になっています。これ等が有害であることは既に述べた通りです。
また今日の日本食は、健康失墜度を欧米人のそれより、遥かに上回った数値を示すようになりました。
肉食常習者は早熟で異常性欲状態になり、肉食の結果、大量に造られた精液を持て余して、夜な夜な男は風俗地帯を出入りし、また女は犬のような眼をして、男漁りに余念がありません。男女とも、性欲を持て余す気怠い欲望にギラギラしているのです。不倫の流行も、こうしたことが起因しています。
早々と下腹に大量の脂肪をつけ、頭髪も三十代で薄くなり、若くして痔瘻(じろう)・痔疾を煩っている男女も決して少なくありません。アルコールの呷(あお)り過ぎから、咽喉(のど)を焼いて、金属音のような声になり、肝臓を傷め、心臓病や糖尿病などの成人病が青少年期から激増し、こうした現状を全体的に見ると、何よりも厄介なのが慢性病である癌が死因のトップに上げられています。
これこそが禍根であり、今こそ日本人は食事を改めなければならない時期に来ているのです。
そして非常に残念なことは、日本型食生活の理想像を追って、「現代栄養学」という学問が構築され、この学問が非常に的外れなことを提言しているので、大衆・庶民は救われないという現実があります。
最近、現代栄養学者達が集まって「食生活懇談会」なるものものを開催しました。
そして彼等がまとめ上げた結論は「八項目」からなる回答でした。
しかしこの回答は八項目のうち、真当に正しい答(正解)を出せたのは、「だったの一項目」に過ぎませんでした。
栄養の専門家が、こうした間違いをするのですから、真当(ほんとう)の「健康の原理」を知っている人は、その実践の中で皆無と言わざるをえません。
では、ここで栄養学の権威、栄養の専門家と称する彼等の八項目を追って見ることにしましょう。
これに当たってその評価については、九州科学技術研究所独自の調査と、研究チームの学説意見に基づいて、医学的に評価を下したものです。その評価基準は「間違い=×」「間違いではないが、順当の域を出ない=△」「正解=○」と三段階の評価をつけました。
【第一項目】
総熱量の過多を避け、適正体重を維持する。
九州科学技術研究所評価「△」
【第二項目】
多様な食物をバランスよく食べる。
九州科学技術研究所評価「×」
好き嫌い無く、多様なものを口から入れるとマイナス面もあることを知っておかなければなりません。現代栄養学はアメリカの食物メジャーがFOAと結託して作った学問であり、何でも食べようという総花主義によって、具体的な数値を打ち出すことによって、誤った考え方と先入観を大衆・庶民に植えつけ、それを固定化する目的を持っています。また現代栄養学では、「栄養のバランスのためには、一日30種類の食品を食べることが必要」としています。これは人間が何を食べたら健全に生きられるかという本質的な考えを見失っています。つまり彼等の学説は「食性」を見極めていないということになります。
食性においては人間の歯の形であり、門歯とは「菜歯」を指しているのです。
【第三項目】
米の役割と大切な意味を認識する。(ここでの米は「精白米」の意味)
九州科学技術研究所評価「×」
精白米の実害は繰り返し述べてきたので、あえて理由はつけません。
【第四項目】
牛乳の摂取を心がける。
九州科学技術研究所評価「×」
牛乳の実害も既に述べました。
【第五項目】
動物性脂肪の摂り過ぎに注意する。
九州科学技術研究所評価「×」
理由は、肉食は少量であっても人間向きではないからです。生物学上「ヒト」と名付けられた水冷式哺乳動物は、もともと「穀物菜食性動物」なのです。
穀物(五穀/玄米、あわ、ひえ、きび、玄麦)を主食にして、適量の野菜を副食として食事をとることによって、生理機能が健全に営まれるという、人間とはそういう生き物なのです。
【第六項目】
塩分や砂糖の摂り過ぎに注意する。
九州科学技術研究所評価「×」
理由、彼等の指す「塩分」とは化学塩と自然塩を混同し、また「砂糖」を白砂糖とその他の天然自然の蜂蜜や黒砂糖と混同しているためです。人工的なものと自然のものとは大きく異なります。
【第七項目】
緑黄色野菜や海藻の摂取に心がける。
九州科学技術研究所評価「○」
【第八項目】
朝食をしっかり摂る。
九州科学技術研究所評価「×」
現代医学や現代栄養学の兼行理論で大きな間違いを冒している最大の誤りは、「朝食をしっかり摂る」「これが今日一日の原動力になる」としている点です。
●脳中枢を狂わす有害な音について ●
私達の健康を害し、思考回路が狂わされている実情に一つに、ロック音楽が挙げら
れます。
そして私達は知らず知らずのうち、あるいは無意識状態において、ロック音楽の激しいビートに聞き慣らされ、それが次第に脳中枢を蝕む状態におかれています。
ロック音楽(rock music)は、もともとポピュラー音楽の一つで、1960年代半ば、アメリカやイギリスで始まったものです。この音楽は、ロックン・ロールなどから発展したもので、電気楽器を使用し、重低音(霊的には低級霊を目覚めさせる)を爆発させ、強烈なビート(強いアクセントとリズム)をもちます。そしてこの強烈なビートは、脳の思考回路を破壊し、やがて中枢神経(中化した神経系の中心部。受容器からの刺激を受け、それを筋肉などの効果器へ連絡する働きをする部分)を蝕みます。
しかしこうした有害な破壊と刺戟を齎す音が、テレビから、ラジオから、あるいはイベント場の様々な所から流れています。
激しいビートは重低音と金属音の波動で、人間の持つ感性を破壊し、暴力的で好戦的な思考へと向かわせます。一部の若者が運転する車の中では、こうしたロック音楽が大きな音で車内に流れています。麻薬と同じ様な、音の中毒症状といってもいいでしょう。
これが進行癌のような末期症状に至りますと、こうした音楽に慣れ親しむ人は、やがて純粋性、素朴性、謙虚性などを失い、逆に傲慢で横柄な奢り高ぶるという人間の本来持っていた「無垢な心」を喪失し、道に外れた方向へと向かいます。
今日の青少年犯罪が多発し、年々それが低年齢化していることは、こうした、私達が日常無意識のうちに聞き慣らされているロック音楽に、大きな影響があることは否めません。
しかし、こうした激しいビート音と感性の問題が、脳の感覚器で受信してそれがやがて、脳を破壊するという危険性を指摘する医学者などは殆どいません。
●清貧と求道の発想●
日本精神はその昔、何が本当の事か、何が正しいのかという事を追い求める求道者の道がありました。そうした道を進む事によって、今までの間違いを軌道修正し、そこを歩む事によって、美意識を感じ取ったのが「日本人の心」でした。
こうすることで、人生の中に美が追求され、美の中に人生が追求されました。
ところが今日の現実社会はどうでしょう。
何処にも「道」と言ったものは感じられず、人生は、安易な金儲けの人生であったり、企業家に利益奉納で働き詰めの献身的人生であったり、税金を払う為や、ローンの支払いをする借金漬けのような人生が展開されています。
そしてこうした事も、今は当り前のようになり、常識化されたというのが率直な現実です。
私達はこうした現実社会の現状を振り返って見て、人がどう生きるのが美しいか、人がどう美しく生きるかという、人間の根本を見逃してしまったという観が否めません。
単に、争いを好み、権力抗争に明け暮れて、保身のための走狗となり、黄金の奴隷と成り下がって、落ち着く事の無い世界に、足を踏み入れてしまったという事も否定できません。
今や、肉食主義の肯定によって、性欲は異常と思えるほど露(あらわ)になり、美食を求めて巷を徘徊する食欲は、味覚をマヒさせて食傷を患い、精神と肉体を破壊に導こうとしています。
そして日本国民の大半が、食生活の間違いから、食を乱し、食への慎みを忘れてしまいました。暴飲暴食で、強引にうまいものを貪り、貪欲にうまいものなら何でも喰らうという動物的な生き方をしている人も少なくありません。
したがってこうした間違いは、異常性欲という哀れな人間の性(さが)を剥き出しにする選択をしてしまった現実があります。
こうした現実を踏まえて、森下敬一医学博士は、次のように指摘しています。
「肉及び動物性蛋白食品は、腐敗物の主役である。もともと穀物菜食型の動物である人間は、肉食獣と違って、動物性蛋白質を還元する酵素は殆ど無く、したがって腸内の異常発酵を招いてしまう。
肉食者が概して短命なのは、内臓機能の老化が早いからである。肉の分解によって生じた強酸類は血液も酸毒化し、新陳代謝を根底から狂わせる結果、性的な病的興奮や深刻な排泄障害を引き起こす。
慢性化すると心筋梗塞、狭心症、肝炎、腎炎、ガンなどの疾病に掛かり易くなる」と述べています。
そして食肉の害作用として、血液中の過剰な酸類の有害性を上げています。
それは性腺を刺激して、異常な性的興奮状態となることの指摘です。
血液中に停滞する異常老廃物は、粘膜を刺激して異常な粘液分泌(例えば痰)を引き起こしたり、組織細胞における血行不良(炎症)や破壊(壊疽)が起こりやすくなります。多くの病気は血液性状の異常から起こると、同医学博士は指摘しています。
こうしたことから、心身ともにバテやすくなり、酸毒思考(こと勿れ主義と無気力)に陥るのです。
昨今の青少年が傲慢で、無礼で、横柄な態度をとったり、直ぐに「切れる」という衝動的な発作は、全てこうした食肉などの動蛋白の摂取過多によるもので、若者の多くが思慮深さを失っているのは酸毒思考に蝕まれているということに他なりません。
また、老廃物の充満は肉体的にも精神的にも疲労しやすくなり、考え方が単純になります。そして皮相的な物の見方しか出来なくなります。白か黒か、右か左か、○か×か、こうした単純な答えのみで物事を割り切り、安直な挙動に出てしまうのです。
しかし現代栄養学者達はこれに対して、次のように反論します。
彼等の言は一様に「肉が悪いのではなく、肉に含まれる動物性蛋白質が悪いのであって、蛋白質は必要である。したがって肉は良質な蛋白源である」と言っています。何処か、矛盾していないでしょうか。
実際には食肉は脂肪と同じく、あるいはそれ以上に蛋白質自体が私達の躰にマイナスの影響を与えているというのは事実であり、食肉という食品自体が有害なのです。
●人間が神より与えられた食品●
人間の歯は、何が人間にとって本当に必要な食品のか、ということを如実に物語っています。人間の歯は、食肉に適した歯構造から出来ていません。
そしてこれを霊的に、あるいは「性」(さが)として見た場合、人間の性に近い順に並べると、牛・馬・豚・羊・鳥・大型魚・中型魚・小魚・貝類・卵・牛乳・海藻・野菜そして最後が穀物という順になります。人間の性に近いもの程、その霊的波調は荒く、また遠いもの程、霊的波調は細かくなります。
したがってその人の人間性や霊格は、日々何を食しているかという事で決まり、何を食して血肉にしているかということになります。
人体は食の化身です。日常の食べ物が細胞をつくり、血をつくり、肉や骨をつくっています。日常、どんなものを食べているかということで、その人の人格並びに霊格が現われ、未来予知などの霊質があるかないかを決定します。
霊質が欠如していると、近未来を予測したり、見通しを立てる事が出来ません。
したがってこうした霊質の欠如は、いわゆる「第六感」という「勘」が働かない為に一秒先、一分先、一時間先すらの超近未来ですら予測し、危険を解除することが出来ません。交通事故や飛行時事故、その他の事故はこうした霊質欠如から起こる危機管理能力と未来予知の能力が劣っているということに他なりません。
幾ら格闘技を演ずるリングの上で、あるいは板張りや畳の上で、優を競い、その勝者であっても、その人が肉食常習者であった場合、こうした霊質は失われ、最期は無慙な臨終を迎えることが少なくありません。
動物性蛋白質を主流に食事をする人は、霊的波調が荒くなり、その粒子は荒いものになります。更に異常性欲が加わって、男であれば女にからっきし、だらししがなくなったり、異性問題ばかりのスキャンダルを起こします。プロスポーツ選手や格闘技選手が異性問題でマスコミを賑わせているのは周知の通りです。
さて、人間の性から遠い食品は穀物菜食類であり、こうした植物性の食べ物は、霊的波調が細やかになります。いわゆる霊媒体質になり、近未来に起こる予測や見通しがスムーズに感知することができ、危険防止にも一役買うのです。
食が動蛋白中心になると、霊的波調はその粒子が荒くなります。荒いということは粗ということであり、粗という状態では見通しの利く思考能力が持てず、酸毒思考に陥ります。
更に血を穢し、不倫や不道徳を平気で行い、これについては何の憚りも知らぬ傲慢な性格へとなっていきます。人への思いやりが無くなり、愛情が薄らいで、利己主義となり、かつ、獣欲の命ずる儘の動物に成り下がります。
昨今の青少年はその親達が不道徳でモラルが低下し、また不倫に趨るという現象はこうした食の乱れに端を発します。
虎やライオンや狼が獰猛なのは、常に動物を常食としているからです。逆に牛馬や象のような、体躯は巨大でありながらも、極めて従順なのは、彼等が生物を食べず、草食または穀物を食べてきているからです。
昨今の食の乱れは、色の乱れをつくり出し、男女の乱れをつくり出しました。そして性病などの病気や事故、怪我、不和、争い、戦争はこうした食の乱れから起こっているものなのです。
●哺乳動物別・体長と小腸の長さの比較●
人間の腸は肉食動物と比較して見ますと、はるかに長いことが分かります。これは植物性の食物を常食とする哺乳動物は、消化や吸収に時間が掛かるために長い構造になっています。
体長と小腸の長さを比較して見ますと、肉を食べる動物は比較的短い小腸を持ち、また逆に食物を主に食べる動物は、小腸の長さが長いことが分かります。
これは水冷式哺乳動物である人種によっても、体長と小腸の長さに違いが出ます。
この事は、その民族が古来より何を食し、どういう気候の中で、その地域性に順応して、土地の風土に馴染んできたかということが明確になり、それが人体構造を支配したといえます。
特に日本人の場合、植物性を主に食してきたため、西洋人に比べて2メートルも長いことが分かっています。
この小腸の長さは、日本人の人体構造が植物性食品を主体に連綿と食文化を繋ぎ、穀物菜食をしてきた民族であるということの証明です。
また、肉食を主体としてきた西洋人と、日本人とではその人体構造そのものが構造的に違っているといえます。
では何故、違っているのか、と言いますと、それが耐久力においてそれが反映され、それが穀物菜食主義の原点をなしているということが言えます。
これは体力実験によっても証明されています。
体力測定の中で「スクワット」という膝かがみ運動があります。この運動を実験材料として、肉常食者と穀物菜食者の体力測定をしたところ、肉常食者の中で300回以上出来た人は少なく、また何とか達成しても、歩けないほど、ふらふらに疲れました。
ところが穀物菜食者は2,000回以上もこなせることが出来、中には5,000回に達した人もいました。
この体力測定に参加した被疑者は、前者がスポーツや武道の経験者であり、肉常食者で、後者は運動経験のない、全くの素人達でした。
これによっても、食肉が耐久力をつける食品でないことが分かります。
さて、栄養学には「プラスの栄養学」と「マイナスの栄養学」があります。
プラスの栄養学は、何でもよく食べ、特に動物性蛋白質を中心に、ほぼ等量の野菜や果物を食べるという考え方で、好きなだけ沢山食べるという「腹十分も二十分」も、胃袋を満足させる思想です。これこそがバイタリティーの源で、健康維持の原動力であると信じて疑いません。
マイナスの栄養学とは、穀物菜食を中心に、それを次第に粗食・少食に切り替え、「腹八分」から「腹六分」へと段々少なくしていって、一日二食もしくは一日一食として、体躯自体を食から人体を支えるのではなく、霊体領域を拡充してそれによっても人体を構成できる体育造りをするという「半身半霊体」の思想です。
これにより、人体そのものが軽くなり、したがって「スクワット」のような反復運動も楽にこなせるということになるのです。
また、疲労の面からも大きな違いが出てきます。
歴史の中で、肉食を中心にしてきた西洋人は、内臓に負担がかかるため、「昼寝」の習慣があります。イタリアや中近東などの国には、今でもこの習慣が残っています。
ところが日本人には、つい最近まで、こうした習慣がありません。
これはえてして、少食の方が内臓が疲れないということもあり、「穀物菜食・粗食・少食」の方が、それだけ多く働けるということになります。寿命の根源である生命力も、食禄が細く、長い方が長寿であるという証明でもあります。
好きなものを腹一体食べるということよりも、腹八分以下にして「ほどほど」ということが大切なのではないでしょうか。
西洋人のように、腸の短い民族でも、肉食すれば疲れるのです。これが逆に、腸の長い日本人が肉食をすれば、更に疲れて活動が半減されるのは火を見るより明らかです。
●『菜根譚』にその生き方を求めよう●
人間の生き方を示した書物に『菜根譚』があります。
『菜根譚』は、儒教の思想を本系とし、老荘・禅学の説を交えた処世哲学書(前集と後集の二巻からなる)です。この著者は明末の儒者・洪応明(字は自誠)です。
洪応明は、前集には仕官・保身の道を説き、後集には致仕後における山林閑居(田舎暮しの不便を不便と思わない生活)の楽しみを説いています。
「口あたりの珍味は、これを過ごせばすべては胃腸を損ない、五体を傷つける毒薬となる。美味におぼれることなく、ほどほどにやめておけば害はあるまい。
心を喜ばす楽しみごとは、これにふければみな身を誤り、人格を傷つける原因となる。楽しさにおぼれることなく、ほどほどで手を引けば、後悔することはあるまい」
人生に「ほどほど」という言葉は、まさに金言です。しかし傲慢に陥ると、この「ほどほど」という事が分からなくなります。
今日の日本に見られる不幸現象の多くは「ほどほど」という言葉を忘れた事から起こっています。
さて、人間は人生という修行の場を借りて、ここで誰もが人生修行に励んでいます。そしてその修行の目的とは「求道」であり、道を求めることを意味します。
したがって道を学からには、心のうちを澄みわたらせ、何事も悟りを開く端緒とする心構えが大切であると『菜根譚』は説いています。
心を澄みわたらせるには、激しいビートでかき乱されたロック音楽では思考回路が閉ざされます。静粛がなによりであり、静かな状態においてのみ、その思考は健全に保てるのです。かき乱してはならないのです。
これと同様に食の静粛を保つためには、食の世界も乱してはならず、「ほどほど」という言葉を胆に命じたいものです。
●人間に許された食べ物とは●
特に動物性蛋白食品は、牛、豚、馬、羊、山羊、鯨……鳥・鶏、卵……大型高級魚の鮪、鯛、鮃、鰤……その他の魚介類の順に並び、哺乳動物に近いほど、人間の性(もって生れた性質や宿命)に近く、性が近いということは屠殺される場合、彼等は自分達を殺す人間に対して、恨みと怨念を残して殺されていきます。
あなたは牛や豚が、屠殺場に曳かれていく悲しい姿を見たことがあるでしょうか?!
彼等は人間以上に第六感(勘あるいは直感)が発達しているために、即座に、殺されることを悟ります。屠殺直前に、頭部に拳銃を向けられた時、大粒の涙を流します。こうした哺乳動物の命を奪われる瞬間の、絶叫の悲劇を忘れてはなりません。
そしてこの悲劇は、食した者に、即、不幸の影を投げかけます。
動物性蛋白食品を摂取するとは、実はこうした悲劇的な犠牲の上に成り立ち、私達人間は彼等から「命を奪っている」ということになります。
古来より、洋の東西を問わず、ある国は祈りを捧げ、日本では食事をする前に両手を合わせて「頂きます」というのは、彼等から命を頂くから「頂きます」という言葉を、感謝の念とともに、食前に祈りを捧げるのです。
しかしこうした風習も今は廃れ、何の感謝もなく、命を貪っています。こうした無礼極まる日常生活において、運気は益々衰退していきます。殺された哺乳動物である彼等の怨念と唸波(ねんぱ)は、死後も決して消える事がないからです。
哺乳動物の怨念と唸波は、人間の性と非常に近いために、感性的には人間と同じ恨みを抱きます。この恨みは、人間の不幸現象に跳ね返って、必ず現世に具現されます。
難病・奇病、争い事、不倫、家庭不和、交通事故、傷害や殺人事件などの不幸現象は、少なからず彼等の恨みが、そうさせていると言えます。これが「肉(じし)喰った報い」です。
●人間の歯について●
人間の歯は、成人で32本ですが、そのうち20本が臼歯と呼ばれる、「うす」のような形をした歯で、これは穀物を噛み砕き、すり潰す為に遣われます。
また門歯と言う歯は8本で、根野菜や葉野菜を包丁のように切る為に遣われる歯です。
残りの4本は、犬歯と呼ばれる歯で、尖った形をしています。しかしこの歯は、肉食する為に遣われる歯ではなく、木の実や固い物を割ったり、かじる時に遣われます。
一部の歯科学説の中で、この犬歯は肉食に適合する為に備わった歯と主張する学者がいますが、これは誤りです。犬歯についていえば、肉などの動物食を摂り過ぎると、この歯が必ず尖ってきて肉食動物のようになり、大きく鋭くなって、甚だしい肉食家は門歯より長くなってしまった人もいます。
つまり人間の32本の歯は、穀物菜食の為の、神が人間に与えた食事の為の道具であり、穀物菜食こそ、正しい人間に許された食餌(しょくじ)と言えます。
これを如実に物語っているのが「臼歯」であり、日本人は伝統的に、臼歯を用いる食体系を守り通して来た民族です。
この事は、人間の人体構造が肉食をする構造には作られていないということです。
そして性格的には傲慢で、怒りっぽく、好色家(肉食をすると異常性欲が起こり、早熟になる)で、常に好戦的で、喧華早く、抗争に明け暮れる、獰猛な性格の一面を持ちます。
こうした性格は、やがて短命へと駆り立て、自らを粗末にして、自滅する運命を辿ります。これが「肉喰った報い」であることを忘れてはなりません。
●食事の量を半分に、噛む回数を三倍に●
次は咀嚼法について述べて見ましょう。
過食は、胃腸に負担を与えるばかりではなく、体型を肥満(陽)に変え、運勢を弱めて悪い事ばかりをたぐり寄せる要因をつくります。
したがって陰陽の拮抗を保つ事が肝腎です。
例えば、陽の極めつけは、肥満症(肉や乳製品の高蛋白高脂肪の取り過ぎから起こる陽体質の脂肪過多病)であり、陰の極めつけは拒食症(思春期の強度な痩せ願望から起こる肥満嫌悪で神経性食思不振)であり、これらは肉体的な悪影響を与えるばかりではなく、精神的にも悪影響を与えます。
両者は陰と陽で相反するように見えますが、両者はその共通性が、陰陽の同一線上にあり、双方を周期的に行き来するという行動を示すのが、その特長です。
作用と反作用は三次元顕界の、人間の肉体の要求に応じて、心もそれに隨って働きます。
陰に偏れば、そのリバウンド現象として陽に傾きます。したがって、こうしたリバウンドの災いに悩まされることなく、これを安定させなければなりません。
つまり、自分を「律する」ということになります。
さて、空腹を感じて過食に走り、一旦肥満に陥れば、一気に食思不振へと走ります。
では何故このような行動をとるかというと、要するに、本来の食事の量と、噛む回数に問題があるのであのです。
両者とも噛む回数が極めて少なく、丸呑み(くん呑み)状態で食事を行っているのが実情です。即ち、噛むことの「食餌法」が根本的に誤っていることをさします。
さて、「噛む」という事について考えてみることにしましょう。
人間をはじめとする他の哺乳動物は、食する時、「噛む」という動作を行います。
噛む事は、歯茎の圧力を強め、丈夫な歯茎を育成するばかりでなく、脳に快い刺激を与えます。
特に、能(よ)く噛めば、それだけ脳に刺激が伝わり、噛む回数を減らせば、脳への刺激は逆に少なくなります。脳への刺激が少なくなれば、当然の如く、脳は退化し、思考能力は低下していきます。
このことを、植物人間になった老人の例で上げれば一目瞭然です。
ある病院の老人病棟に、寝たっきりの生活を、八年間も続けた植物人間になった老人がいました。
来る日も来る日も、一日三回、朝昼晩、口から流動食を流され、僅かに生命を維持していました。
しかしやがてこと切れて、八年後に死亡しました。この老人を解剖してみたところ、噛む事をやめてしまった為、脳の容積は赤ん坊の二分の一になっていたと言います。
この老人の八年間の空白は、かくも人間を、ここまで退化させ続けたのです。この老人の噛まない生きる屍(しかばね)の空白期間は、ただ脳を退化させ続ける繰り返しであったということが分かります。
では食餌(食事の仕方)について述べることにしましよう。
これは口の中に食物を入れる時の作法であることを前提に起きます。
まず第一に、ご飯(この際出来れば玄米か麦飯)を一箸(ひとはし)入れたら、一旦箸を、起き必ず少なくとも、五十回位は噛むようにします。(本来玄米は百回、玄米粥や麦ならば五十回が理想的です。また玄米は白米と違って、いくら噛んでも澱粉状になったりしません)
大切なことは、食べ物が完全にと解けるまで能く噛むということです。噛まずに「くん呑み」は、とにかく食べ物の味を知らずに損をするばかりでなく、内臓を傷めます。
第二に、ご飯と御数(おかず)を口に含む量は「3:1」にし、ご飯3に対し、御数1の割合で交互に食べます。注意すべき事は、ご飯と御数を同時に口の中に入れて、混ぜ合わせないことです。ご飯を呑み込んだ後に、御数を別個に食べるようにします。
これによって消化を助け、同時にそれぞれの自然の本来の持ち味が分かるという両得が得られます。
何故ならば、玄米は玄米の中、豆は豆の中に、その食物本然の真味が存在するからである。
現代人の多くは、ただ舌触りだけを楽しみ、味だけを満喫して、大量に食するという、飽食の時代の余韻を引きずっていますが、これは後で、必ず自分自身の災いになって跳ね返ってきます。成人三大病は、これをよく物語っています。
第三に、食事の量は従来(昨日までの)の半分に減らすこと。食事の量が減った分だけ、噛む回数が多くなり、食事時間を十分に設けるということです。短い時間に大量にかき込むと言うのは、愚かな早食い競争の世界のことです。これによって現代人は、様々な難病・奇病を招きました。食の慎みを忘れた報いです。
この報いが、一億総中流と自称する日本人を襲っているのです。食は、慎みを忘れて、乱してはなりません。
本来ならば二膳食べる食事時間を、一膳の時間で達成出来るのです。これは食糧の節約にもなります。
さて、これらを食するに当たり、調味料には十分に注意を払い、出来れば極力薄味にして、砂糖、油、ソース、マヨネーズ、ケチャップ、ドレッシングなどの合成着色料や化学調味料などは是非避けるようにしたいものです。
今日では化学調味料のことを、「うま味調味料」と称し、昆布・鰹節などの天然の旨み成分を化学的に、または酵素を用いて処理して得た調味料が食品店に出回り、また、それらの2〜3種を混合したものが食生活に欠かせないものになりましたが、この主成分は、グルタミン酸ナトリウム・イノシン酸ナトリウム・グアニル酸ナトリウムの類で、人体には非常に有害です。毎日の使う料は微量でも、これを十年も使用しますと、必ず人体に食傷が現われます。多くはガンとしての食傷です。
化学調味料は、人体の生理機能を狂わせる最たるものです。加工食品やインスタント食品の中には、こうしたものが不自然に使用され、「無添加」と表示していますが、要注意の食品であることは疑う余地もありません。
第四に、「噛めば噛むほど火水(神)になる」理論を考えて見ましょう。
東洋思想の中には、食養道として、「噛めば噛むほど火水(神)になる」という思想があります。上顎を「火」、下顎を「水」として、両方を噛み合わせれば「火水」となり、やがては「神」となる、特異な神霊思想です。この思想は、「よく噛む」ということが中心課題になっており、霊的にも、頭脳に血液を循環させ、宇宙意識を開発させるにも、これが最も良いとした実践法です。そしてこれを玄米菜食に適応させよ、と教えます。
玄米菜食の食餌の特長は、噛んでさえいれば自然に喉元を落ちていくものです。
何故ならば、人間は本来草食動物の食餌様相を呈しているからです。
これは馬や牛、その他の草食動物の中に、噛まずに呑み込むものがいないということからも分かります。
八門遁甲の『八門兵法人相学』に照らし合わせても、水野南北の『南北相法修身録』に照らし合わせても、「人の顔」は、食餌法の極め方如何で、それが変化し、意図も簡単に形態が変わってしまうという事を力説しています。
その人の食事の仕方を読めば、その人の人相までが読め、その人相を読めば、その人の思考まで読み取れてしまうものなのです。
これは三国志で有名な水鏡先生こと・司馬懿(しばき)は、諸葛亮孔明の異能ぶりを即座に見抜く見識を持っていましたが、その人相の見分けに「米噛(こめかみ)の発達」を見抜いたのでした。食べ物を良く噛んで食べる人は、当然の事ながら米噛の筋肉が発達します。米噛の部分には「海綿静脈洞」(かいめんじょうみゃくどう)があり、直ぐその下の顎の噛み合わせ部分には「翼突筋静脈叢」(よくとっきんじょうみゃくそう)があります。ここに流れる血液は噛むことによって、脳を循環し、心臓に戻る静脈があり、「噛む」という食餌の作業においてのみ、脳を働かせる原動力エネルギーを作り出しています。
脳については、第三の心臓といわれる箇所であり、古い血をかき出すことによって、新鮮な血液が流れ込むようになっています。
歯科医師・松平邦夫氏の著書『歯の弱い子は頭も弱い』(祥伝社)には、この実際例として、「偶然に得られたデータがあります。それは植物人間として八年間も眠り続けたあと、死んだ人の話です。解剖の結果、脳の重さは正常の人の半分しかなかったというのです。正常の人の脳は約1400グラムですが、この半分といえば700グラム。これは生後一ヵ月目の赤ちゃんの脳より軽いのです。噛むことなく、脳を動かすこともなく過ぎ去った八年間に、脳細胞はそれほどまでにやせ細ったということです」と、挙げています。
勿論、噛まなかったことだけがその原因ではありませんが、脳に対して何らなの大きな影響を「噛む」という哺乳動物の行為が「刺激を与える」ということは間違いないようです。
したがって早食いや、これに準ずる大食漢は、それほど頭脳明晰という人は殆どいないようです。
八門遁甲で言うところの、「賢者は小食であり、愚者は大食である。
またよく噛む者は法令が発達し、食録と福録に恵まれ、コメカミは程よく隆起して人としての品位を作り上げる」という「相術」の真髄に迫ります。それほど「噛む」という事が、脳とつながり、重要視されているのです。
ですから、食餌(食事)一つで、その人のこれまでの人生までが読み取れてしまうのです。
更に、家庭、境遇、親の躾、環境、親の思考力、教養、、思想までが一目瞭然となります。「お里が知れる」という、この言葉は、実はこうした家庭環境の中に置かれた境遇が、これを形成するのであって、裕福か貧乏かということは別にして、こうした人間の起居振る舞いはこうした環境の中で育まれてきたのです。
裕福な家庭でも、親が成金で一代を作ったような拝金主義家庭では、子供も意外に甘やかされ、「金さえ出せば」という思考が先行しますから、こうした家庭の子弟は思ったほど人間的には優れておらず、また、過保護家庭においても、母親の過保護で育てられて、精神的畸形の面が多く、人間的には我が儘です。
昨今は、驚くことに成人になっても、「箸が使えないという生年男女」がおり、日本人もここまで、日本贔屓(ひいき)の外国人以下の人種に成り下がったのかという、反芻が走ります。
現代のように、金さえ出せば、おいしいものが沢山食べられ、グルメを気取り、珍味に舌打ちをして、飽食に明け暮れる生活を理詰めで言えば、一見幸福のように見えますが、実は不幸な生活を送っていて、哀れな残像をいつまでも追い求めているといった愚かな現実に、再び回帰します。いつまでも、同じところをぐるぐると回り、全く向上並びに、進化していないという状態です。
●人相に現われる顔という、もう一つの脳●
八門兵法人相学から言うと、「食」は口元や体型のみではなく、「眉」にも現れてきます。
左右の眉を見れば、今までどんな境遇におかれ、どんな環境で育ったか、どんな物を食べてきたか、また今から先の運命はどう変化し、その食した食べ物の影響で、どう言う結末を辿るか、眉にはその吉・凶が克明に書かれています。
ちなみに眉は、八門兵法人相学では『甲尊』にあたり、寿命をはじめ、身分や地位や親兄弟姉妹愛を現す処であるとされています。
更に、その善・悪まで書いてあると言います。
人間は現世に生まれ落ちた際、先天的には善悪はないのですが、善悪は「後天の気」によって作られます。
すなわち、家庭や環境への影響は食べ物に由来し、善悪の源が、これに隠れていると言ってもよいでしょう。
吉凶禍福は、おおよそ食べ物から起こり、賢愚、美醜、強弱、大小、健康不健康、寿命の長短などの、相対する偏りは「食」に定められているのです。
昨今は『日頃の心がけ』が忘れ去られた時代です。
『日頃の心がけ』とは、生命を育み、築き上げる宇宙の根源い置かれた「食への慎み」であり、これが崩壊すると、自らの招いた恐ろしい業(ごう/その行為が未来の苦楽の結果を導く働き。善悪の行為は因果の道理に準ずる)に一生悩まされ続けることになるのです。
「噛めば噛むほど神になる」とは、過去、盛んに古神道などでも用いられる言葉です。
この意味は、既に述べた通り、上顎が「火」であり、下顎が「水」を現わして、両者が噛み合わされれば、火と水が「火水(かみ)」となり、これが「かみ」、すなわち「神の由来」です。
したがって人体は、神の「もう一つの化身」であるという事も言えます。
●咀嚼法の作法 ●
一箸、口に御飯を含んだら箸を置き、手を膝の上に置いてそれが能く唾液と混ざる迄、よく噛みます。そしてよく噛み砕かれたら、自然に咽喉の中に落ち込んで行きますので、再び箸を取り、今度は御数に箸をつけるわけです。これを交互に繰り返します。
噛み方は、一回ずつ食べ物を口に含む度に、「一二三祝詞」(ひふみのりと)を唱えます。
ひふみ
よいむなや
こともちろらぬ
しきる
ゆゐつわぬ
そをたはくめか
うおえ
にさりへて
のますあせゑほれけ
ん
以上を心の中で47回唱えながら噛み、最後の「ん」で飲み込みますが、これを最初から、もう一度繰り替えしても構いません。
食の重要性は、幾ら無農薬野菜や、天然の高級魚貝類などの、良い物を口にしても、「よく噛む」ことを実行しなければ、総べて無駄になってしまうのです。
ガン等を発病する人は、こうした咀嚼法に問題があり、その上に柔らかい、舌触りのよい肉(ロース部分や仔牛や仔羊など)や、乳製品(牛乳、バター、チーズ、ヨーグルト)を口にしますと、これが腸内で腐敗し、腐敗菌となって長い間腸内に停滞します。これが大腸癌を発生させる要因になっていることは、疑いようもありません。
●食と色の乱れが亡国をつくる●
色が乱れ、エログロナンセンスが巷を横行していることは、今更論じることもない程、酷いものになっています。
特に大都会の、新宿歌舞伎町などにおける性風俗産業の氾濫振りは筆舌に尽くし難いものがあります。しかしこれとて、需要があるからこうした産業が流行(はやる)るのであり、買い手がいるから売り手がいるという、資本主義の根本理念を地で行くような現状です。
大都会の夜の巷を歩くと、公衆電話ボックスには売春の広告が無数に貼られ、電車に乗ってもビジネスマンの多くが夢中になって読んでいる雑誌は、暴力やセックスを扱ったコミック雑誌やスポーツ新聞であり、NTTがダイヤルQ2のサービスを始めれば、その殆どが性風俗関連企業に占領されてしまうという有様です。
また商社マンが一度、東南アジアなどに出張すると、日本のビジネスマンの無節操は有名であり、「金にものを言わせて、女を買う」という、侮蔑の評価が、こうした国々の人から日本人に投げかけられています。
昨今の風潮は、良人(おっと)の浮気ばかりでなく、妻の不倫も話題になり、こうした家庭は決まって家庭不和に陥ります。
そして食や色の乱れに止まらず、言葉までがおかしくなって、日本人は言霊を、かつてないほど乱れさせています。
この言霊の乱れは、日本人の使う日本語を狂わし、他の言語と比較した場合、脳の使う部分がまるで違うということが大脳生理学的にも証明されています。
そしてこの使い方の違いというのは、その言霊の使い方如何でその人の運命迄もを変えてしまいます。
神霊学的に申せば、日本語は本来、宇宙に満ち満ちた絶対的エネルギーである「光透波」によって構築された、直ちに知覚できる言語でした。
「カナ」とは「神名」であり、「神の名」であったのです。「アイウエオ」の五十音総てが神の御神名だったのです。
しかしこれも昨今に至って、乱れ始め、この言霊の乱れが、天地を乱し、濁らせ、不幸現象を多発する要因を作ってしまったのです。そしてこうした乱れは再び、食と色に還元され、悪循環という領域に回帰されるのです。
こうした悪循環に至った経路は、これまでの日本人が、特に戦後、日々何を食して、血肉にしてきたかという点に問題があり、この焦点は肉食主義と大きなかかわり合いあります。
そして穀物菜食主義の人は霊的神性が高く波調が極め細やかで「密」ですが、肉食・乳製品主義の人は霊的神性が曇らされ、その波調は粗くなり、低級霊や淫獣と交霊したということが原因です。現代人の淫獣化はこうしたことに由来します。
こうした事実を「審神法」(さにわほう)は教えてくれます。
●その人が何を食べているかで、その運命は決まる●
運・不運は食べ物によって決まります。そしてその人が、人間に許されている食べ物を食べているか、そうでないかでも決定されます。
人間に許された食べ物は、人間の性より遠い、穀物や野菜や海藻類です。これを食べると波調が細かく、密になります。霊層界においても、神界や高級霊界との交流が可能になり、「見通し」の利く勘を養うことが出来ます。したがって開運に繋がります。
しかし人間の性に近い、肉常食者は低い霊層界と交流することになり、「見通し」が曇らされ、更には狂わされます。自分に、今、近づこうとしている危険すらキャッチすることができません。肉食をすれば霊層界との交流は、霊界より一等も、二等も低い、幽界であり、更には地獄界に通じてしまいます。
これは霊的波調が粗くなるためで、荒々しく単純になって、直ぐに感情的に走るという情緒不安定が不幸現象を招くからです。
こうした状態にある人が、いくら凄腕の占師を頼り、その意見に耳を傾けても、また良い日取りに、良い方位をとっても、空しい気休めでしかなく、開運には繋がりません。また、食を改めない限り、将来に亙って開運の気運は訪れません。まず、不運を転機させて開運に向かわせるためには、今までの食の乱れを正すことが第一で、魂の波調を細かく、密なるものにしなければなりません。
衰運や、不幸現象というのは、低級霊に取り憑かれた場合の事を指し、要するに波調の粗い低級霊と波調があってしまったということがこの原因であり、結局、低きものから自分自身が操られているということになります。こうして操られてくると、交通事故や家庭不和、またまた倒産するという憂き目にあり、異常性欲の興奮から不倫に走ったり、争い事などを起こします。
低級霊は、不摂生をしている人間の人体を乗っ取り、動物性食品の誘惑に掛かります。それに魅せられれば、肉食主義に走ります。ついには、魂が動物性食品によって曇らされ、その結果、交流する霊層界は低い次元の地獄界と繋がり、運気は益々低下します。
肉食を以て己(おの)が滋養物とし、日本民族固有の、穀物菜食主義を度外視する今日の人間の性情は、日に日に低下の一途にあります。生物一般に対する愛情も失われ、民主主義というエゴイズムの中で、人々は利己主義に趨り、低級霊が命ずる儘に異常性欲を旺盛にして、淫獣と化しています。これは昨今の人倫の乱れや、性風俗情報の氾濫で明白な事実になっています。
こうした一方で、親達は夜な夜な出歩く我が子に対しては、何の注意も与える事なく、寛大であり、更には自由奔放を許して、親自らも不倫に趨って不道徳者と成り下がり、人非人(にんぴにん)に転落しようとしています。
またこの背景には、病気が横行し、事故に遭遇したり、倒産やリストラの憂き目にあったり、怪我をするという不幸現象がついて回ります。こうした多くの現象は、霊層界の次元が降下したためであり、これは偏に、食を乱し、血を汚した結果だと言えましょう。
●人間に許された食改革を行えば運は開ける●
これから、なぜ食事で不幸現象が消えるかということに話を進めましょう。
食物が血液に変わり、その血液が体内を一巡し、その結果、体細胞が造られるということを今まで述べてきました。そして人体は「食の化身」であるから、食生活の善し悪しで健康になったり、病気になったりというメカニズムも説明してきました。
特に慢性的な病気は、その根底に食生活の誤りが挙げられます。同時に、慢性状態に陥った不運不幸も食生活に改革を加えれば、必然的に運気は開けていくものなのです。
日本民族の間では、古くから「食養」という言葉があり、この食養は玄米を中心にした穀物菜食主義の玄理(げんり/宇宙の理)を現わしたものでした。
そして食養道を実践し、真に正しい食事に改めると、人体の生理的メカニズムが正しく働き、肉体的には病気が治る(特に慢性病)という現象が現われます。
それを纏めると次のようになります。
【1.基礎体力が出来る】
玄米を正食として穀物菜食主義に改めると、まず、玄米の胚芽部分にある粗蛋白や粗脂肪や、外被部分の食物繊維の補給が容易になり、腸内において、有用微生物が増殖を始めます。この結果、胃腸を丈夫にして、植物性に含まれるミネラルの作用で整腸作用が起こり、また、血液は浄化されます。
【2.自律神経が安定する】
自律神経を安定させるためには、玄米菜食が理想的であり、ストレスに対する抵抗力が増進するため、自律神経系の機能が健全化します。
この神経系は、意志とは無関係に、血管・心臓・胃腸・子宮・膀胱・内分泌腺・汗腺・唾液腺・膵臓などを支配し、生体の植物的機能を自動的に調節する神経です。これには交感神経と副交感神経とがあり、その中枢は脊髄と脳幹にあります。
こうした神経系の健全化によって、血管などに本来の弾力性は蘇り、高血圧や動脈硬化で苦しめられていた人は恢復の方向に向かいます。
【3.整腸作用が整うために便通がよくなる】
玄米菜食性には食物繊維がたっぷり含まれているため、腸壁を刺激し、便通を滑らかにします。
また腸粘膜も健全になり、栄養分の取り込みが容易になって腸内の整腸が整います。ために、栄養状態のバランスがよくなります。
血液の汚染の最大の元凶であった停滞した宿便などが取り除かれますので、血液は浄化され、糖尿病、痔瘻(急性肛門周囲炎または慢性の結核性痔瘻)・痔疾(痔核肛門裂傷・脱肛など)、肥満症などの慢性病が解消されて治癒が促進されます。特に痔瘻・痔疾に悩んでいた人はこれが解消されて、やがては消滅します。
しかし痔疾の人は単に、末端的に剤薬などを肛門内に押し込んでも、肉食を続ければ一時的に恢復に向かったと思えても、治癒はしないので、肉食は大腸系や、大腸の末の直腸の終る肛門部を弱めるので、人間には不要の食べ物といえます。
【4.思考力を高める】
含有する玄米菜食性の中には、ビタミンやミネラルが豊富なため、思考能力が活発化され、頭の働きがよくなり判断力が高まります。また思考が活発化されれば、常に頭を働かせる状態にあるので、惚けの防止にもなります。
【5.抗癌・消癌効果が現われる】
玄米の中にはフィチン酸が含まれ、これは抗癌作用を促します。また野菜は、その植物性の特有な有効成分があり、ガン細胞が増殖できない構造を持っています。ガン細胞の培養は、肉汁の中では培養しますが、野菜汁の中では培養しないことが明らかになっています。
以上のように玄米菜食をすると、質の質のしっかりした赤血球が造られ、血中に侵入した公害物質や老廃物を排除し、血液は浄化に向けて働き始めるので発癌しにくいものになります。同時にガン細胞の治癒にも向かいますので、組織の炎症が収まり、慢性炎症であった腫瘍も次第に解体され、ガンの人は恢復に向かいます。
以上の五項目を食事法で要約すると、
1.玄米と雑穀ご飯、または粥を主食にする。
2.正しい咀嚼法に則り、50回程度はよく噛む。
3.副食は梅干、たくあん、味噌汁を重視し、御数の数よりは質の重視。
4.体質や病態に適合した補強食を摂る。
5.病態・病状にあった薬草茶をお茶として飲用する。
●人間に許された食生活の実際●
【1.主食は玄米がベース】
栄養学者の中には、玄米は公害物質が多く含まれている、だから危険だ……という人がいます。これは全くのナンセンスな機械論に過ぎません。
昨今に食品科学は、その食品の価値を分析しようとして、「食品分析値」だけに目を向け、これを金科玉条のように信奉する傾向があります。
しかし食品分析値でその食品を判断する基準は、人体とかかわりを持たない食品固有の物質的な価値判断であり、例えば玄米並びに白米に含まれた農薬などの公害物質が、生命体に取り込まれて、これがどういう運命を辿るのかということを追跡しなければ、結果として、その食品価値を本当に判断することは出来ません。
つまり、生命体と言うものは生きている人間の生活活動の範疇にあるもので、人体内で起こる現象は細かく分析した分析表の論法通りに説明のつくものではありません。
さて、玄米についてですが、玄米は精米して表皮を削ぎ落としたものでないため、単純に考えて精白米より公害物質摂取量は多いとされています。
ところが玄米食の人と、白米食の人を比べますと、玄米食をしている人の方が公害物質の蓄積は少ないという結果が出ています。これは頭髪に混じる公害物質の確認からでも明らかになっています。
では何故、本来、公害物質摂取量の多い玄米食をしながらも、その蓄積量が減少したのでしょうか。
まず、玄米には公害物質を排泄する作用が備わっているからです。
例えば玄米に含まれるフィチン酸は、放射性物質や水銀などの重金属、その他の公害物質と非常によく結合する性質を持っています。その為にこうした有害物質を腸から吸収することを阻止して排泄します。
このフィチン酸は、アルカリ性の条件下で働く特性を持っています。その結合率はpH7(生理的中性)では約80%が、pH8(アルカリ)では100%が、有害物質と結合します。
またこうした有害物質が一度血液中に取り込まれたとしても、玄米には強肝・強腎効果がありますから、これらの物質は直ちに解毒され、排泄されます。
更に玄米は生きている米ですから、畑に蒔くと発芽するという強い生命力を持っており、その上に抗癌食品であるということも分かります。
ところが、白米にはそうした力はなく、畑に蒔いても発芽せず、公害物質をはね除ける力は、もはや失った、生命力のない「死んだ米」なのです。
この死んだ米は、それどころかこれを食べると血液性状を混乱させ、消化機能を失わせるという悪循環の元凶となります。
この悪循環は、肝臓や腎臓などの解毒機能を弱め、それが起因して自律神経や内分泌機能の拮抗を失わせて、交感神経と副交感神経の拮抗を崩し、両者の働きを鈍らせます。
まず、交感神経(sympathetic nerve/ 高等脊椎動物の神経系の一で、自律機能を調節する神経系)の働きが鈍ると、神経の興奮を支配器官に伝達する物質であるアドレナリン・ノルアドレナリンの生体活動が鈍り、副交感神経系との拮抗を失います。
この拮抗が失われれば、副交感神経は動眼・顔面・舌咽・迷走の脳神経に含まれ、呼吸・消化・循環などを支配する神経系ですから、胃腸運動に対しては促進的に作用しなくなり、また、血管拡張・瞳孔縮小・温熱発汗などの働きも鈍ります。
交感神経は自律機能を調節する神経系で、その中枢は脊髄の胸腰部側角にあり、神経線維は前根を経て、脊柱の両側を走る交感神経幹に入り、神経幹には多くの交感神経節があり、そこから出た神経末梢が血管・皮膚・汗腺・内臓平滑筋・分泌腺などにひろく分布しています。
そして副交感神経系と、拮抗を保ちつつ、両者で自律神経系を形成します。したがって交感神経に異常が起こると、副交感神経にまで及び、こうして両者の機能が阻害されますと、末端からアセチルコリンを分泌して支配器官に作用する副交感神経も機能低下を招く分けです。
ところが自律神経の内分泌機能の拮抗に優れた働きをする食品が、玄米なのです。
【2.玄米の中に雑穀を配する】
玄米をベースにしてこの中に、玄米3に対し、雑穀と豆類1を配分します。
雑穀は粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)、ハト麦、丸麦などで、豆類は大豆、小豆、黒豆などです。
【3.副食は野菜、海藻類、いも類、豆類、種子類、小魚・貝類がベース】
野菜の調理法と食し方は、夏場はレタス・胡瓜・トマトなどの生野菜を食べても構いませんが、冬場はこうした生野菜はあまり感心できません。冬場は出来るだけ、根野菜を煮て、大根・人参・蓮根・蕪(かぶ)・玉葱(たまねぎ)・じゃがいもなどを食べるようにします。
十大薬効食品としては、ねぎ(胃腸病・冷え症・カゼに薬効)、山芋(思考力の増強・糖尿病・生殖器生涯に薬効)、きくらげ(胃潰瘍・貧血に薬効)、生姜(解毒・胃下垂・下痢・カゼに薬効)、アスパラガス(高血圧・虚弱体質に薬効)、アボガド(老化防止・惚け防止・動脈硬化・肥満症・便秘・高血圧に薬効)、松の実(喘息・不眠症・ノイローゼ・動脈硬化に薬効)、じゃこ(腰痛・骨粗鬆症・抗癌・高脂血症・糖尿病に薬効)、蕎麦(便秘・高血圧・寄生虫駆除・動脈硬化に薬効)、人参(胃潰瘍・生理不順・冷え症・低血圧に薬効)。
海藻類しては、ワカメ、ヒジキ、昆布など。
いも類しては、里芋、山芋、さつまいも、じゃがいもなど。
豆類しては、いんげん、そら豆、小豆、大豆など。
大豆製品としては納豆、豆腐類、油揚げなど。
種子類としては胡麻、ぎんなん、くるみ、ピーナツ、アーモンドなど。
小魚・貝類としては小型の鰯(いわし)、鯵(あじ)、ワカサギ、ジャコ、イカ、タコ、エビ、カニ、種々の貝類など。
【4.味付けと調味料】
食品添加物のものは使わず、天然醸造のものを使います。
醤油、ミリン、味噌、酢、黒砂糖、天然塩、日本酒、胡麻油など。そして薄味であることは言うまでもありません。
【5.是非避けたい食品】
精白された穀類で、白米・白パン・精白した饂飩(うどん)などの麺類、ラーメン麺・チヤンポン麺など。またインスタントラーメン、ハンバーガー、その他のジャンクフード。
肉類では牛・豚・羊・鶏・馬などと、卵・牛乳・チーズ・バター・ヨーグルト(日本人向きでない。市販のものは乳酸菌が死滅)など。
加工食品では肉類はハム・ソーセージ、魚類は練製品の蒲鉾・竹輪・揚げ物など。乾物類は、既に脂が廻り切ってしまった鰯の丸干し・子持ちシシャモ・鯵やカマスの開きなど。
天麩羅やフライ類、チャーハン・チキンライスなどの油で炒めたもの。
白砂糖や、白砂糖が入った食品のチョコレート・清涼飲料水・飴・アイスクリーム・しるこ・ケーキ・スナック菓子やクッキー・デザートフルーツやデザート菓子・コーヒーの多飲。また市販の惣菜の煮込みには、白砂糖がふんだんに使われていて、カルシウム破壊が起こるので要注意。
精製塩や化学調味料(うま味調味料)。合成着色料(無添加と表示されたものでも危ない)。
●食べてはならない食物と衰運の関係●
衰運とは、「メグリ」において齎されます。
皆さんは、よく因縁だとか、カルマ(karman/梵語)だとか、業(ごう)などという言葉をご存じだと思いますが、神霊学上、神の啓示においても同じ意味を持っています。
「メグリ」とは、「巡り」のことであり、循環を意味します。
神霊学的に言うと、「あるものの周りを廻る」ことで、これを「行道」(ぎようどう)と言い、ある順序に従って、移動することを指します。
宇宙はその玄理(げんり)において、一定の順序で移り変わっていきます。これを「循環する」と言い、神すらも、時節において移り変わります。これを「巡神」(めぐりがみ)とも言います。
巡神は、暦(こよみ)の吉凶を支配する暦神(こよみがみ/一年中の月・日・曜日、祝祭日、季節、日出・日没、月の満ち欠け、日食・月食を司る神)で、年あるいは日によって、居る方位を変える神です。また、その方角を犯すことを忌む神でもあります。
暦神は「天一神」(なかがみ)とも言われ、十二神将の主将、あるいは地星の霊を指します。
「天一神」は、己酉(つちのととり)の日に、天から下って、東北の隅に居ること6日間、それから転じて正東に居ること5日間と言うように、順次に南・西・北を巡り、四隅に居ることそれぞれ6日間、四方に居ることそれぞれ5日間、計44日間で、癸巳(みずのとみ)の日に、正北から天に上り、天上に居ること16日間、己酉の日に再び地上に降りてきます。
この神の天に在る間を「天一天上」と言います。地上に降りてその鎮座した方角を「ふたがり」(塞がりの意味)と言い、この方角に向かって事をすることを忌み、その日、他出するときは、方違(かたたがえ)をするという古典物理学的な法則があります。
こうした方角を司る神には「金神」(こんじん/艮神とも)が居り、この神は陰陽道(おんみょうどう)で祀る方位の神で、その神の方角に対して、土木を起し、出行・移転・嫁取りなどをするのを厳しく忌む性質を持っています。これを犯せば「金神七殺」(こんじんしちさつ)と言って、家族七人が殺される(あるいは難病を患う)と言われます。
神霊学的には、「金神七殺」は土地の磁場と、人間の持つ電気線(同じ場所に居座ると電気線は沈み、動き出すと電気線は上がるという、泥水のコップの沈殿原理)との関係があり、そのズレから起こる波動の違いで、難病・奇病に取りつかれたり、不倫や近親相姦で子供が出来たり、奇形児などの不具者が生まれたり、犯罪者になって死刑になったり、あるいは殺人事件の被害者になったりの、一等も二等も最悪な禍根を背負い込むことになります。
また「金神奈落」(こんじんならく)と言って、忌むべき金神の方角と、畏るべき大地の底を現わします。すなわち、最も忌み畏るべき場所の意味です。
こうした金神の方角に当たる日を「金神の間日(まび)」と言い、金神の方角に対して、物事をしても差し支えないという日を言います。春は丑(うし)の日、夏は申(さる)の日、秋は未(ひつじ)の日、冬は酉(とり)の日を指します。
また「金神避け」は、万事につけて金神の方向を避けることであり、「丑寅」(うしとら/艮)方向の十二支で表した方位で、丑と寅の間日を指し、北東の方角で、一般には「鬼門」(きもん)という言葉で知られています。
この方位を忌むため、「丑寅除け」と言う「鬼門除」(きもんよけ)の風習が起こり、災難を避けるために、鬼門の方角に神仏を祀ったり、祈祷したりすることを指して、「丑寅除」(うしとらよけ)という言葉でも知られています。
これらは総称して、これは「悪いメグリ」(因果応報であり、過去における善悪の業に応じて現在における幸・不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること)を現わしたもので、一方、「良いメグリ」(幸の果報)というものもあります。
しかし現代人は「良いメグリ」(霊的神性が高い次元においてのみ可能)には殆ど触れることができず、悪因縁や「悪いメグリ」に偏って、多くの罪障(霊障)を重ねています。これを神霊学では「借り」と言います。罪障は償わなければなりません。
したがって罪障という霊層界での「借り」は、出来るだけ作らない方が賢明なのです。
ところが十九世紀以降の世界史は、罪障以外の「借り」のシステムができ上がり、金融経済の中で「借り」と言う現実が生まれました。そして契約社会の契約主義が表面化し、「信用貸」と言う「ローン」のシステムが確立されました。
以降、世界人類の大半は、罪障と借金という二つの「借り」に苦しむことになります。霊障は病気として肉体を蝕み、借金は借金漬けという現実を以て、人間を縛りつけます。
現世での幸福指向は、衣食住を「借り」で賄う考え方が、人間を支配するようになりました。この支配によって、人間は金銭より一等下のランクに置かれ、金銭の奴隷になるという現実が出現しました。
「借り」は返さなければなりません。「借り」を返し了(お)えたことを「メグリ遂げ」と言います。
衣食住のなかで、衣服も神から借り、住居も土地も神から借りたものです。ただ一つ、食だけが、神から与えられてものです。しかし神が人間に与えたものは、穀物や野菜や海藻類だけであって、人間の性に近い動物の肉は、与えられていません。
これを食べれば、「肉喰った報い」という警鐘で、これを警告しています。
その報いとは、肉を食べることによって霊的神性が曇らされ、霊格が降格(低下)して、その周囲にかかわる霊は、低級霊ばかりになり、要するに悪霊や邪霊に、波調が合ってしまうということを警告したものだったのです。その隙に、指導霊の入れ変わりが行われるばかりでなく、人間を悉々く蝕む、多くの悪霊や邪霊が、輪を掛けて取り憑くのです。こうした霊の多くは、食肉とされた、牛や豚や羊の無念が怨霊として変化したものです。
●衰運の元凶は、ここにあります。●
食の乱れと、食への慎みを忘れた時に、人はこれまでの順風満帆な生活から、一挙に奈落の底に転落し、地獄の苦しみを味わいます。
これは上下を循環する「浮沈の法則」です。
そしてこの循環に密接にかかわっているのが、「メグリ」であり、これまでに述べた、食肉や乳製品の有害性はメグリにおいて様々な不幸現象を齎すということが、ご理解できたと思います。
食が乱れると、人間の魂はその波調は益々粗くなります。正しい味覚感覚が狂い、舌先三寸に騙される現実が生まれます。
一般に「おいしい」とか「うまい」とか表される食べ物は、白砂糖をふんだんに使った調理法で作られた料理で、濃い目の味をベースにしています。
「うまい」という言葉は、屡々「甘い」(うまい)という言葉に置き換えられます。「甘い」というものを「うまい」と称したのです。
これは美味という味覚が、舌で騙され、脳に感じた一瞬の意識であり、繰り返しそれを食したいという、一種の中毒症状の食通意識で、運勢を衰運に向かわせる最大の元凶といえるでしょう。
美食家の臨終が、非常に惨めであったこと思い出してください。
こうした舌先の騙されぱなしの状態では、魂は、決して浮かぶ瀬がありません。また交流する周りは、悪霊や邪霊に取り憑かれる状態が長く起こります。
したがってこうした低級霊は、祈祷師の祓いや、占師の助言だけでは如何ともし難く、結局、自分が改心し、己が魂の波調に変化がなければ、逃避を企てても、次々に後から追いかけてくるものなのです。
メグリは、「清算」することにおいてのみ、今までの穢れや汚れを払い清める事が出来るのです。
衰運を解消させるには、食を正し、人間に与えられた食物を食べるというのが、最も早い成就の近道だということが、これでお解りの事と思います。
●西郷派大東流合気武術の修行観と武士道観●
肉食獣である虎やライオンが獰猛なのは、常に動物を常食としているからです。
また牛馬や象などの体躯の大きい動物でありながら、その性格が温和で温順であるのは、彼等が動物の肉を食べず、草食やまたは穀食を常食としているからであり、何を食べるかによって、またその性格も変わり、肉体構造までも変えてしまいます。
これは人間においても同じことが言えます。
肉食を好む人間は、その性格が動物的で獰猛であり、好戦的で争うこと、喧嘩することを好みます。ストリートファイターを自称して、闘争心が旺盛であり、暴力的な行動を平気で行います。心情的には、無慈悲で、世人が倒れようが死のうがお構え無しで、ただ自分のみの都合を考え、エゴイズムを剥き出しにします。食や色のほか、天理や人道も意に返さず、高慢であり、横柄な態度を取って憚らず、宇宙の玄理に至っては弁知せないような、闘争や抗争の日々に明け暮れます。
これはこれまでの白人欧米社会の、強者こそ正義感という「白人の理論」を見ても、容易に窺えます。
彼等にとって、民主主義の根底にあるものは、強者がリーダーとなって、大勢の群れを率いるという理論で、正義イコール強者という図式があります。今、世界はこの理論で動かされていると言っても過言ではありません。弱肉強食が、この理論の根底にあります。
しかしこうした弱肉強食論を以て、この考え方に支配された人間が日に日に殖えれば殖えるほど、人間社会は一方において、不平や不満を抱くものが多くなり、闘争や抗争が激しくなります。
今、スポーツ武道界には、試合に勝った者、強者として君臨する者を英雄と崇める風潮があります。ために、筋肉トレーニングに励み、反復練習を繰り返し、現代栄養学風の滋養をつけて、筋肉とスピードを養い、勝てばいい、叩けばいい、打ち据えればいい、投げればいいと言った、格闘の中に身を投じます。
しかしこうした格闘術の修行も、食生活を「穀物菜食」に求めず、動物性食品を中心に摂り、こうした食体系の中で何がしかの修行を試みることは、本来転倒も甚だしい限りです。
それは食肉を続け、血を穢し、霊的波調を粗くしている間は、魂の曇りは拭えず、また、メグリの清算すらする事が出来ません。
殺した動物を身体の中に摂り込み、わが肉体の内臓を以て動物達の墓場としている愚行は、つまり、肉体信奉者達は「メグリを食べて、葬っている」と言うことになるからです。こうしたメグリは、悪い巡りあわせであり、これが肉を作り、血を作っているという現実があります。
メグリが自分の身体にある限り、そこには再び必然的に次の悪いメグリを呼び込むことになります。
死ぬまで闘争や抗争に明け暮れなければならない「争い」は、総てこのメグリの産物であると言えましょう。
肉食をすれば、同時に異常性欲から色の乱れが生じて、男女は乱れ合います。これは今日、プロスポーツ選手やスポーツ武道の英雄達が、セックス・スキャンダルで世間の話題をさらっているのを見れば、肉体信奉者達がメグリによって、男女の乱れを生産していると言っても過言ではありません。
よく人が集まるスポーツ武道団体や格闘技団体は、その主宰者や創始者が神格化されて神のように崇められています。明確な集金システムが確立され、またサポート機関として、興行師がついたり、高額な放映収入やコマーシャル収入が約束されて、コミック雑誌やマスコミを通じて、信奉者の裾野を広げることに余念がありません。
表面では、「青少年育成」を謳い、社会教育の一環として善を装っていますが、裏を見れば、「武の道」とは程遠く、暴力団と繋がっていたり、政界の著名な議員先生方のお出ましを願い、彼等を名誉職に祭り上げて、選挙票と強い結び付きを持った、暴力政治結社的な団体も少なくありません。
また、国際ユダヤ金融資本の傘下の出先機関と結び付いて、あきらかにここから活動資金が流れていると思われる、幾つかの団体も存在します。
こうして商行為的な抗争や利権争いが、スポーツ武道界には水面下で繰り広げられています。
地球上の災いや、地域紛争も、その出所はこうしたメグリによる元凶が、表面化したに過ぎません。
一部のスポーツ武道団体や格闘技団体の主宰者や創始者の中には、色や欲にほだされ、肉を喰らい、美酒を呷り、煙草をふかし、妾をつくり、傲慢と喧嘩師をモットーとした人がいます。しかし、こうした状態下で、どうして日本の未来を担う、健全な青少年育成が行われるのでしょうか。
さて、西郷派大東流合気武術の修行の目的は、こうした愚を避けて、一方においては、メグリの清算を目指しての修行です。穀物菜食主義を目指し、霊的波調を向上させて、霊格を高めることを目的にします。
また、わが流派の掲げる武士道観は、偏に「奉仕」であり、他と技を競い、争うことではありません。闘争や抗争を地上からなくし、争うのではなく、他と和して、これを大いなる「和」に育て上げ、この「大和」の精神で、人民に奉仕するというのが、わが流派の主眼であり、大和は、その言霊が「やまと」に回帰します。
この「やまと」こそ、日本民族が古来より求めてやまなかった、「唯霊主義」の根底をなすもので、大和は「大倭」(やまと)に還り着きます。
そしてこの美しい「やまと」と言う澄んだ言霊の響は、魂を磨く条件として、食を正し、血液を浄化してこそ、この響は井然(せいぜん)として正しさを増し、この条件下においてのみ、人格が形成され、霊格が向上すると、わが流派では教えているのです。
さて、西郷派大東流合気武術は、これからの日本と日本人に対し、現在、欧米企画の国際主義一辺倒に押し流される、この国の将来を憂い、真剣に、今、自分では何が出来るかと言うふうに考えている人に対して、少しでも手助けをしたいと考えております。
日本には古来より、世界に示す、提示すべき「道」があります。この「道」こそが、人類が誤ってはならない、「食養の道」と考えます。
人倫が荒廃し、乱れ、狂ってしまった日本には、もはや哲学や思想はないと言われますが、「やまと」という言霊において、世界を「一家」となす思想が古くからあり、この言霊の齎す意味において、万人を救済しうる「惟神(かんながら)の精神」が、まだ日本人には存在すると考えます。
そして国際貢献が求められる今日こそ、日本は世界に向けて、古人が培った「食養の道」を堂々と主張し、飢餓に苦しむ国や人々を救済しなければならないと考えます。
「衣食足りて礼節を知る」とは、故事に由来する言葉です。同時にこれは、食が不足したり、飢餓状態であったり、あるいは食を乱していては、礼節が存在しないことを意味する言葉です。礼節が存在しなければ、人民間で争うが起こります。世界の不幸現象は、これに起因しているのではないでしょうか。
自由競争や自由貿易の理論が、結果的には不公平をつくり出し、「持てる者」と「持たざる者」の格差をつくって、人間世界を破滅に追い込んでいることは明白な事実です。
また、弱肉強食の理論で、強い者が弱い者を虐げている現状も、実は、自由競争や自由貿易の理論に起因します。こうした理論は、もともとは日本にはなく、明治維新以降、欧米によって齎されたものでした。
砲艦外交によって、ペリー(Matthew Calbraith Perry/アメリカの海軍軍人。嘉永年間の1853年7月、日本を開港させるため東インド艦隊を率いて浦賀に来航)の日米和親条約や、ハリス(Townsend Harris/アメリカの貿易商上がりの外交官。1856年、最初の駐日総領事、のち公使)の日米修好通商条約によって、以降、日本人は西洋式処世術に身を挺することになります。
そして自由競争や自由貿易の理論の大義名分を以て、日本は欧米列強を見習い、富国強兵、植民地主義、帝国主義、軍国主義、太平洋戦争、広島・長崎の原爆投下、戦後民主主義、平和主義、平等主義、個人主義、そして自由主義市場経済という理論に辿り着き、自由の名において、奔走しました。
ところが、今日のように自由競争や自由貿易の理論が生み出した、「持てる者」と「持たざる者」の格差をつくり出した現実を考えると、これは紛れもない「自由と平等」の名を弄(もてあそ)んだだけの虚構理論であるということが解ります。
世界の経済構造のもう一つのシステムは、実体経済に対峙(たいじ)した金融経済であり、この金融経済構造は、抜本的な歯止めが掛からないまま驀進するという危険性を持っています。
そして、今のところ、これを止めることは何人にも不可能となりました。
このまま傍観すれば、間違いなく奈落の底へ向けての驀進であり、確実に人類は自ら破滅の淵に向かって追いやる結果が生まれてきます。
偏に、こうした結果を招きつつある元凶は、これまでの欧米の弱肉強食と、肉食主義に由来すると言っても過言ではありません。
今更ながらに、食の誤りのあったことに、改めて気付かされます。だからこそ、今、食改革が迫られるのです。
人間は、神の姿を借りて、その姿が形作られたと言われます。神の姿を借りたのであれば、その本質は、神の一部ということにもなります。その一部の神の姿こそ、人間に宿る霊魂であり、魂の霊的な格が高ければ、その波調は「密」になり、格が低ければその波調は「粗」になります。
この世界が、粗密の波動の中で生かされているという現実を見つめれば、両者は相対の原理よりなりたち、粗密の、いずれかの極まりで、神と伴に在ったり、あるいは神と平行線を描いて、擦れ違うという現実を犯していることになります。
神との擦れ違いの中で、幾ら自由を豪語して見ても、その自由は絵に描いた餅であり、また、幾ら平和を願ったところで、戦争や紛争は世界から姿を消すことはありません。
勢力争いや権力抗争はこうした、人間と神の擦れ違いから起こるものです。
そしてこうした擦れ違いを起こす最大の原因は、人間の肉食文化の誤りに最大の元凶があると考えます。
第一次世界大戦で、戦争の惨めさを経験したイサドラ・ダンカンは『わが生涯』という自伝書の中で、バーナード・ショウの言葉を挙げ、「われわれが動物を虐殺し、肉食をしているうちは、戦争は絶えることはなかろう」と言う件(くだり)に付け加えて、「誰がこの戦争という恐ろしいものを好むだろうか。たぶん肉食家が過去において動物を殺してきた故に、小鳥や動物、優しいおどおどとした鹿や狐を狩るような必要を感じてしまったのであろう。血のついたエプロンをかけた虐殺者は、血生臭い事件や殺人を煽動する。……(中略)仔牛(こうし)の喉を切るのと、われわれの若い同胞の喉を切るのと、そこにいかような差異があろうか」と、こう主張しています。
今日、有害物質として騒がれている、環境ホルモンやダイオキシンの問題に加えて、食から一つの文化が崩壊に至るという「飲食」の重要性も十分に考える必要があります。
またこうした事が、殖えすぎた人間の、淘汰現象の起因になることは間違いないと思われます。既に、出生率の減少という現状で、淘汰現象が母体の胎動で起こっています。
昨今の日本人女性の不妊症や、若い世代の少子化という社会現象は、既に淘汰のはしりと考える事が出来、食べ物がそうさせていると思われます。
このセクションの最後にあたり、私達、大東流霊的食養道研究グループは、国際平和を願うと伴に、健全な人格養成と、霊格養成を目指し、国際社会における人類への貢献を、「食養道」を通じて、それに寄与したいと、心より願う次第です。
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