●自然との融合と調和を忘れた物質現代文明
物質を中心にする現代文明は、肉体ばかりでなく、精神分野も蝕み始めました。 精神文化が崩壊すれば、人間は益々多忙と徒労に流され、しいては混乱の境地に迷い込みます。 人間が自然に還り、一木一草の心を忘れた時、自然界から離脱するために人知による妄想を深め、作為による虚妄に未来を託します。 その人知と、作為の最たるものが農業にも漁業にも畜産にも現われます。 喩えば、資本主義社会の競争原理に随(したが)い、「うまい米を作って、消費者の舌先三寸を楽しませ、口当たりのよいもの」を作れば、多くの消費者は無条件でこれに飛びつくでしょう。 しかしこのうまい米、口当たりのいい米は、原則的には弱い米であり、農薬多投によって作られた公害米であることは明白であり、その深層部は農薬に汚染されてしまった米です。これは農業従事者が換金作物を追いかけた結果だといえましょう。 農業従事者、つまり百姓が百姓という文字を侮蔑し、百姓が母なる大地を忘れて、我欲の徒に走った場合、そして米を食べる消費者が、米を生命を維持する単なる澱粉質の塊と思い始めた時、為政者は百姓を蔑み、農民を蔑む現実が生まれます。 また、実業家が、起業経営者が自然を管理し、自然を利用すると思い上がった時、母なる大地は、自らの「死」を以て人間への回答とするでしょう。こうした思い上がりの行く着く先は、乱開発の他なりません。 自然は人間に対して様々な警鐘を鳴らしています。ところがこれに気付く人間は、極めて少数派です。 高級魚のマグロのトロや、ハマチやヒラメが食べたいと思えば、漁業養殖業者は大量なイワシの餌を生(い)け簀(す)の中に多投します。 喩えば養殖業において、一匹のハマチを高値で売れるように太らすのに、ハマチ一匹の十倍の量のイワシを餌とします。しかし養殖されているハマチは、多投された餌のイワシを、完全に食べ切ってしまうことはありません。多くは腐敗して、生け簀の底に堆積され、ヘドロとなって、海を汚染します。 また畜産業にも同じことが言えます。 喩えば肉食動物の銀ギツネは、その毛皮の素晴しさから、金持の間で持て囃されます。畜産業者は高級な銀ギツネの毛皮を採るため、これを人工で養殖します。その際、一頭の銀ギツネを養殖するために、十倍の兎(うさぎ)の肉が必要になり、その兎を飼うためには、兎の十倍の食草が必要になり、その食草を栽培するためには広大な土地が必要になります。 こうした悪循環の図式を考えると、人間は何と恐ろしいほどの徒労と、自然破壊と、人的エネルギーの浪費を犯しているのでしょうか。 また、人間が穀物菜食だけで満足できずに、牛肉を食べようとすれば、あるいは牛乳を飲みたいとすれば、常に十倍の徒労と十倍の人的エネルギーが必要になってくるのです。 鶏の肉や卵も然りです。 そして人間の徒労と不必要なエネルギーの浪費が、貧しさを作り出しているとも言えます。 かつて、インドでは一頭の牛、一頭の象を飼い、家族の一員として、これらの聖なる動物を養うために、それを世話する人間はいつも貧乏が強いられました。こうした歴史的事実を忘れてはなりません。 そして動物は、鶏、羊、豚、牛を大型化するほど、その狩獲効率は段々と悪くなります。 人間の人的エネルギーにおいて、投下されたエネルギー回収率は、鶏のブロイラーで約50%、豚肉で約20%、牛乳で約15%、牛肉では僅かに約8%に過ぎません。 畜産従事者は地上のエネルギーを十分の一に減産する労働であり、これから考えると、肉を食べる人は、米を食べる人に比べて十倍の浪費をしていることになります。 畜産業者、養鶏業者は大量の玉蜀黍(トウモロコシ)を、わざわざアメリカから運んできて、これを餌とし、ケージ飼いをし、人間が付きっきりで朝晩給餌(一部は自動機械化されているが)し、糞尿の世話にキリキリ舞いしなければなりません。 豚や牛では、これが更に大きくなり、結果的に言って、アメリカ大陸の大地をどれだけ急速に痩せさせているか、そして如何に不経済であるか、これだけでも食肉は、地球規模で緑の大自然を破壊し、食としての効率を悪化させているか、想像に難しくありません。 近代農業然り、近代漁業然りです。 もともと豊富な漁場であった海を汚染しておいて、死海に変え、そこで何倍、何十倍の小魚を餌にして高級魚を養殖しても、これらの手法を巨視的に見れば、結局漁獲量減少に拍車を掛けているに過ぎません。 一キロのハマチを育てるのに、十キロのイワシを餌にしている現実だけでなく、餌不足から、薬漬けの魚が養殖されている危険な現実も忘れてはなりません。 自然を守れということが、今、盛んに叫ばれています。しかし、自然を守るということは、口で言うほど易しくありません。 そして一度壊れ切った自然を元通りに復活させることは容易ではありません。むしろ不可能に近いことでしょう。こうした現実を、果たして、自然保護を訴える人の中で、どれほどの人が理解できているのでしょうか。 また、自然保護団体の多くは、自然保護とは裏腹に、政治団体の様相が濃厚で、特にグリーンピース(Greenpeace/国際的な環境保護団体の一つ。巨大な国際ユダヤ金融資本勢力の走狗として、自称・抗議活動を展開し、反核・環境保護などを目的に非暴力・直接の抗議行動を展開する団体で、1971年設立。本部はアムステルダムで、各国に支部がある)などの海洋汚染の危機を訴える団体は、政治的駆け引きに出て、国境を超え、グローバル的に圧力を掛ける団体であり、彼等の運動が決して人民の幸福、地球の繁栄を願って活動していないということを知っておかなければなりません。彼等の建前は「自然保護」ですが、本音は「政治的駆け引き」あるいは「政治工作」です。しかし底辺のボランティア員は、トップのこうした政治工作の意図を知る由もありません。 これは恰度、「日教組」を例えれば一目瞭然でしょう。 日教組は、広い意味で先生の集団ですが、その中枢部は政治家の集団に他なりません。政治家が、建前的に教育者のような顔をして、彼等特有の革命集団的なイデオロギーによって教育を動かし、それによって自分自身は教組幹部、地方議員、更には衆参両議員戦に出馬して、政治家としての出世街道を歩こうと企てているのが実情です。 こうした建前と本音を持った集団は、その背後の利益に「政治的駆け引き」あるいは「政治工作」が隠れていることを見逃してはなりません。

●「安全な肉」というものは、この世には存在しない
喩えば、日本の捕鯨調査に猛反対抗議を展開しているのもグリーンピースであり、この反対理由の政治目的は、アメリカの国際ユダヤ金融資本傘下の食肉メジャー(アメリカやオーストラリアで展開)が、日本に大量の牛肉の輸出をスムーズにして、日本人が古くから親しんできた安上がりな鯨の肉を食べさせないための政治的な阻止運動であり、同じ哺乳動物の牛はいいが、鯨はダメという白人の理屈の上に構築された抗議行動であることを忘れてはなりません。 日本は食肉や牛乳・チーズや、バターやヨーグルトと言った乳製品を生産するために、家畜の飼料分として、年間2800トンを海外の国々に頼っています。 飼料用の農作地を人間の食糧供給農地に換算すると、牛一頭で、一人の人間の十倍の穀物飼料を消費します。これは人間十人分の食糧が、牛一頭のために遣われているという計算になります。 しかし日本人にとっては、牛肉もチーズもバターも必要無いものです。その上、こうしたものを食べれば、血液が汚染されることは明白な事実であり、血が濁れば、当然、霊的神性は曇らされ、霊格は地に落ちます。 何故、自ら好んで、こうした災いを招き寄せるのでしょうか。 更に、牛や豚や羊などの家畜を殺せば、人間の性に近いために、恨みや、怒りや、悲しみなどをかい、彼等の悪想念が人間界に蔓延します。 海洋生物や野性動物や自然の保護を謳っておいて、牛や豚や羊などは殺してもよいという白人主導の情緒から発する理屈は通りません。 牛や豚や羊などを屠殺してこれを食べるという、こうした目に見えない彼等の悪想念から発する波動が如何に人間界を汚染し、悪影響を及ぼしているか、あなたはご存じでしょうか。 安全な動物の肉などというものは、この世には存在しません。 今日、狂牛病(スクレイピーという脳疾患で死んだ羊の肉を、飼料とした牛に発生する脳の変性・破壊を主徴とする疾患。人のクールー、クロイツフェルト・ヤコブ病などと症状が類似し、プリオンの経口感染により発症)として騒がれている食用牛は、一種の人間への警告であり、人間の肉体だけに災いを及ぼすものではなく、人間の霊魂にも恨みを投げつけようとした、彼等食用牛の反撃です。 通常、牧畜業者が生産する牛や豚などの家畜には、農薬漬けの外国産の安価な飼料が使われています。 また肉を柔らかくするために、女性ホルモンが注射されたり、成長ホルモンや様々な抗生物質(antibiotic/ かびや放線菌・細菌によって作られ、他の微生物を抑制し、または制癌作用を持つ物質。ペニシリンが1941年再発見されて以来、ストレプトマイシン・クロロマイセチン・テトラサイクリン・トリコマイシン等が多数発見され、医薬以外にも農薬・食品保存薬などとして使用)などが大量に投与されています。 ひと握りの人間の利益追求のために、人間は自分で自分の頸(くび)を絞めているという現実があります。多くの人々は、こうした現実に気付こうとしません。 こうした現実に気付こうともせず、動物殺生を繰り返しながら、何の反省も呵責もなく、大地震や大型台風から逃れて、人間だけが安全地帯に逃げ込むという話は、少し虫がよすぎるのではないでしょうか。
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