牛の作文(1)
こんにちわ。私はもと、だったのです。

日本のある牧場で生まれました。
産まれて5日目のこと、
かあさんと一緒にいた場所から遠く離れた
暗い木の檻の中へ移されて、もうかあさんの乳は飲めなくなりました。

母さんは毎日、毎日大量の乳をしぼられます。
わたしを産んですぐに人工授精させられたのです。

そして、わたしにはおかあさんの乳首からではなく、
バケツから肉や骨の匂いのした乳をあたえられました。

わたしには弟がいたのですが、
産まれて1週間でいなくなりました。
おとこのこは、仔牛のうちに殺されるそうです。

そのうちかあさんも、いなくなりました。
乳が出にくくなったのです。まだ3歳でした。

母さんが殺されて、何の用途に使われたのかはわかりませんが、
ここにいるほかの牛たちも、いずれ殺されるんだということが
なんとなく、雰囲気でつかめました。
そういう運命なんだようです。


そしていずれわたしも殺されるようなんです。
お願い!たすけて。死にたくない。

生きているという事は、どういうことなの?
わたしたちは天寿をまっとうする資格なんてないの?

仲間の牛にはへんな動きをする牛もいます。
同じ所を何度も見たり振り返ったりまた見たり・・。
日が暮れても機械のように動いてる。
狂ったのかもしれません。
人工授精させられる牛
人工授精させられる牛


いつも突然、何頭かの仲間たちが連れて行かれます。
そして二度とここ(牧場)へは戻ってきません。

連れて行かれる仲間は、突然その日に決まります。
だからお別れを言う間もないのです。

ロープで引っ張っていかれる仲間たちは、殺されることを知っているので、
動こうとしません。

でも、何度も何度もたたかれて、
どんなに抵抗してもトラックにのせられます。
いつもその悲鳴を聞いていて、恐怖におびえる毎日です。

屠殺場へ無理矢理運ばれていく牛
屠殺場へ連れて行かれる牛(クリックで拡大)


私達はいつも運動不足です。
日光にあたる機会もなく、歩き回る事すらできません。
ある日、太りすぎた仲間が、体重をささえきれなくなって
とうとう立てなくなってしまいました。

骨折したんだと思います。
そして、すぐ屠殺(とさつ)場で殺されました。

骨折した牛はもう、人間の食用にはなれないそうで、
医者にも見せず、骨折しただけで 殺され、
ペットフード用の肉になりました。

   * * * * *

いよいよ、わたしにその日がきました。
あの、血のにおいのする小屋へ行くことになりました。

覚悟は、全然できていませんでした。
ただ、ただ、悲しかった。

目から涙があふれ、
この世に思い残すことがいっぱいです。

死にたくない!
私は、まだ若いのです。

お願い!だれか助けて!!
納得のいかないまま、小屋に入りました。

初めて見る小屋の中には
いろんな機械がいっぱい置いてありました。

片足を鉄の輪で固定され、
逆さ釣りにされました。

痛い!ものすごく痛い!!
想像できますか?この痛み!!

体重が一本の足首にかかり、骨が脱臼し激痛が走ります。

この人間達は、これから殺す動物に慈悲の心はありません。
最後まで鬼のようなこの人間たち!

恐怖と恨みで涙がいっぱいになりました。

首のあたりにナイフを入れられて
血がだんだんと下に落ちていく。

数時間のうちに私のからだはばらばらに解体されていきました。

私は死にました。
でも、魂はちゃんとその光景を見ていました。

私の体・・。
何人の人間たちが食べるの?

私は人間を襲ったり食べたりしたことないのに、
私は人間に食べられる。


私と人間との間に、
どんなちがいがあるのだというの?
恐怖はクライマックスに。やっと終わった。何もかも。
鉄のウインチで片足を釣るされ首をナイフで落とされる。


ここでは乳牛の屠殺は3歳で行われた事になっていますが、実際は24ヶ月ぐらいで屠殺されます。
今まででBSEが発見された牛のなかで一番若年で21ヶ月だったことから、BSE検査は21ヶ月すぎないと検査できません。
アメリカでは18ヶ月で屠殺されます。ですので、アメリカの牛はほとんどの牛がBSE検査をしていません。
※ここまで読んでくださった方は是非続編をお読みください。
◆◆牛の作文2 《私が死んでから》◆◆

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