牛の作文2

牛だった私は屠殺されてその後・・
魂になった。

人間に殺されたけれど、恨みはない。
人間より偉くなった。

人間はいまだに欲望やその時だけの方便を夢(目標)にし、
実現に向かって躍起になっている。

こうして魂になってみるとよくわかる。
いかにそれが無駄だってことが。

人間に関して考えてみると、みんな働き者で
一生懸命生きているけれど、
自分の住まいから見えている距離までの方便しか
考えて生きていない。

こうして魂になってみると、
人間って、狭い、意味のない考えしか
していない事がよくわかる。

なぜなら、
私の中にもそんな人間がいて、
人間の考えが手に取るようにわかる。

こうして方便は必要のない世界に来てみると、
自分と他人の敷居がない事がよくわかった。

人間との敷居もない。
知らない奴との敷居もない。

なぜなら知らない奴も自分の中に住んでいるので
知ろうと思えば見る事ができる。(丸見えです)

相手の存在が気にならなければ知る必要もない。

意識は
すべての個体とつながっていて

《想う》と同時に伝わる。

だから物質的な電話や、

電気や、

電線も必要ない。

でも牛だった頃は
それが全く通用しなかった。

私の意識は眠っていた。

今ほど考える事もなかったし、
先の事を知ろうとしなかった。

恐怖は気配を感じた時だけ心配したけど、
人間のように
先の先まで考える性格じゃなかった。

魂になった私は、
私と人との運命の違いについて考えた。

そのちがいは
どっちもどっちだった。

今度生まれるなら人がいいか牛がいいかと考えたら

牛の方が楽だった・・かもしれない。

“人間" は決して うらやましいと思える地位ではなかった。

なぜなら、牛の方が自由は少なかったが、
そのぶん罪を重ねなくてすんだ。

死ぬ時の恐怖は
牛、人・・関係なく襲ってくるし、
どんな死に方を迎えるかは
人とか牛とかと言う種類に関係なく
個体差があった。

人間の場合は、
人生が長くて波乱万丈で喜怒哀楽がある。

とてつもなく長いジェットコースターに乗って
いろんな感情を味わわなければならない。

私は怠慢なので
牛でいいと思った。

ゆっくり、ゆっくり、
成長(魂の)していけばいいと思った。
私の魂も疲れる時がある。

牛だった私を心配してくれた人間が
ごくわずかにいた。

その人の心の中に私がいるから、
私を見た時、泣いたんだと思う。

確かに、

牛だった私には ひどい制度(人間のエゴ、家畜制度)だったけれど、

魂の良心を傷つけてまでお金のために働く事しか思い付けない人間のほうが
哀れでならない。

社会

流れ

習慣

風習

歴史

…のなかに流されず、
魂の声に耳を傾ける…
・・ってなかなか難しい事なんだろうかなと思う。

人間に生まれたら、
人間の社会があり方便があり、
教育がある。

縛られていると言う意味では
箱詰めで育てられた牛の時の私と変わらない。

先の心配をしないだけ、
精神的に楽だったかも知れない。

危険回避は遅れたりするけれど、
どんな動物だっていずれは死ぬ。

人間も例外ではない。
必ず死ぬ。

魂になって初めてわかる事だが、

《長生きする事・・》に重きをおくのは
意味がない。

どう生きてきたかという
生きざまが重要なのだ。

人間には、
それを発揮できる可能性とステージがある。

その点は、
長い長い人生と生老病死をはじめ
あらゆる経験をさせられても
値打ちある事ではあるが。


動物を食事として選ぶ人間が今、 多い。

全てに関して思慮がなさ過ぎる。

彼らは、自と他に境界線を引いている人たちです。


自と他が別だと思うから

《独占欲》

《嫉妬》

《境界線の発生》

《引いては戦争》

《奪略》

《差別》

《虚栄》

《見下し》

これらの心が発生する。

自と他を融合させるには、
まずはじめに、

他人の痛みがわかり

他人の視線で自分を見つめる事が出来なければならない。


動物を食事とする人たちは

動物です。

2004 4 14


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