私が菜食になったワケ

為谷邦男(52歳、男性)
《痛風発作が私をベジタリアンにした》
私は生活習慣病予備軍でした。肥満一歩手前、血圧と血糖値が高目、尿酸値高過ぎでした。
それで一念発起。2004年の夏、やっと重い腰をあげました。
ウォーキングを始めたのです。週4日以上。これは現在も続いています。
ところが、2004年暮れから2005年正月にかけて痛風発作に見舞われたのです。
そこで「ブリン体の多い食べ物は食べなきゃいいんだ」と、単純に考えました。
インターネットで調べたところ、肉類と魚類がプリン体が多いことがわかりました。
ところが、それで私がいきなりベジタリアンになったか?と言うと、そうではありません。
なにせ肉や魚の加工食品は食べていましたからね。具体的には、ハム、ベーコン、ウィンナー、ソーセージといったものです。加工するとプリン体が少なくなるからです。
それと、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームといったものも食べていました。
さらに、卵は毎日食べるようになってしまいました。なにしろプリン体ゼロですからね。
その後、いろんなサイトを訪れ、本を読むうちに、動物にも幸せに生きて天寿を全うする権利があるのだ、という事に気づかされました。
そしてこちらのサイト、『菜食のススメ』の、「と殺」の映像や、その他の画像が私を容易にベジタリアンにしてくれました。それぼど私にとって衝撃的だったのです。
ベジタリアンになって、体重が6キロ減り、以前はけなかったズボンがはけるようになりました。
血圧と血糖値が正常値内になりました。尿酸値はまだ正常値を超えていますが確実に下がりました。。
おかしな事に、私がベジタリアンだと知ると、
「え?肉食べないで大丈夫なの?」とか、「スタミナなくならないの?」などと、おかしな事を言う人がいます。
私の感覚では、
「え?肉食って大丈夫?」「どこか悪くない?」「疲れ易くない?」
などと思ってしまいます。それほど私の体調は絶好調です。
ところで、以前私は愛煙家でしたが、今や嫌煙家となりました。
こう言う人もいますね。
「肉は少しは食べた方がいいんじゃない?」とか、「少しぐらいなら食べても大丈夫だよ」と。
これがどんなに危険なことかは、次のように言い換えると、彼らにもピンと来ることでしょう。
「煙草は少しは吸った方がいいんじゃない?」
「少しぐらいなら吸っても大丈夫だよ」と。
煙草を吸っているからと言って、即、肺癌やその他の病気にかかるわけではありません。
同様に、肉食していてもすぐに大腸癌やその他の病気になるわけでもありません。
長い年月をかけて身体を蝕んで行きます。私は「煙草の危険度=肉の危険度」と認識するようになりました。
肉がはさらに悪い事には、未成年でも食べて構わない、という事です。
不思議な事に現在では、あれほど好んで食べていた、肉類、牛乳、乳製品に全く未練がないどころか、食べたいという気持ちも全然起りません。
ベジタリアンであることに誇りを感じるようになりました。
あの痛風発作に感謝しないといけないな。
ささやかながら、私はブログで菜食、動物の権利、その他健康関連の内容を発信しています。
近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さいね。
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サスケ
1)菜食を決意した理由といきさつ 

私たちがごく当たり前のように目にする動物の肉ですけども私たちは、どのようにこのように加工されるか、そして、私達人間同様の生き物の肉だと意識したことはほとんどないでしょう。
私の家のすぐ近くに豚舎があり、私はしばらく観察をしていました。
人間に食べられる動物たちは皆、大量に飼育 されるため、ペットのようには扱われません。一歩たりとも歩けない檻の中に入れられていました。
彼らも私達同様、運動することが自然の状態であるため、その自然の状態を奪われるということは、かなりの苦痛でしょう。想像してみてください、朝起て、その場から動いてはいけないのです。その状態で一歩たりとも動けづ硬いコンクリートの上で一生をいきるのです。
我々は一ヶ月でもやったならば、うつ病になってしまうでしょうね。
それが彼らには何年間も続き、一度も開放はされないのです。一度も緑の自然は触れられないのです。
彼らを我々同様の生命であると見ることのできる人は、あまり多くはないでしょう。
しかし、彼らは正真正銘の生命なのです。彼らの幸せを奪う権利は全く我々にはありません。
現在の肉食用に粗悪な環境下のもとで育てられ、最終的に殺される生命たちは本当に無実な囚人達です。
「なぜ、罪なき純粋な動物がこんなにも苦しめられなくては、いけないのでしょうか」
自然と戯れ自然な状態を奪われた彼らは、うつ状態のような精神病にかかってしまうと{豚は月夜に歌う―家畜の感情世界}という本で読みました。
私は自分がこうされたら「マジ、ありえない」と感じ恐ろしく感じました。この状態が1日や3日ではないのです。一生なのです ありえませんよね。
そしてすぐに肉は止めました。 親に怒られましたが、なんとしても食べない決意を固めました。あまり善いことをすることが無い私でも他の生命を尊重して生きると決めたのです。
毎日静まることの無い豚の悔しさ、ストレスが感じられる悲鳴は度々、私に悲しみを抱かせます。
彼らをこの苦しみの中においているのは、人間の無知とエゴだと感じました。
私はいつか必ず肉食を気違いじみた行為だと思い出される未来が来るのだと信じています。
「私は必ずいつか、彼らの子孫が自然に戻れる日が来るのだと、信じています」

2)その後の苦労話

ここ日本では菜食主義者を変わり者だと思われてしまうので、まだこの国の動物
愛護の意識は低いのだと感じさせられます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
よかった点は 
心に精神に落ち着きが出来ました。
怒ることがすごく減りました。
道徳的な生き方を進歩させ自分の信条に合った生き方なので、自信がすきました。
あと、インドのスピリチュアリティは菜食をかなりのアドバンテージだと多くの聖者は言われています。
悪かった点は特に無いですが、菜食主義者のヴィジョンから見るとレストランは肉しかないのかと思うほど、どの料理も動物が入れられています。


香音
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

一番最初の私に考えるきっかけを与えたのは中学だか高校の英語の教科書でした。内容はあるアメリカ人が日本に来た時の話で、日本人との食事をテーマに書かれた話の中に「山で自分で狩をしてそれを食べた、というと日本人、特に女性はそんな野蛮なというような嫌な顔をする。けれど、自分達は食卓に並ぶ肉を食べているのに。」という物がありました。それを読んで以来、自分でさばけないものを食べる資格があるのだろうか?私はそういう状況になったときに自分で動物を殺して食べるだろうか?と考えるようになりました。それが出来る肉食の方に文句をいう気はありません。でも、それが出来ないのなら私は自分でそれを体験する日まで肉を食べる資格がないように思えてきたんです。高校時代にお世話になったホストファミリーが厳格なベジタリアンだったこともあり、その頃からセミ・ベジタリアンとノン・ミート・ベジタリアンを行き来してる状態だったんですが、また突然肉を食べる食生活に一度戻ってしまったんです。それでもベジタリアンの生活をしている時の方が体調はよかったことから、ベジタリアンに戻ろう戻ろうという意識はあったのですが、なかなか出来ずにいました。やはり何かきっかけがないと普段の食生活を変えるというのは難しいと感じていたところに、あまりにも忙しすぎる生活が始まりました。普段から朝7時前に家を出て帰宅は夜中の12時をまわる頃という生活が続いていた中で、睡眠時間が毎日2時間から4時間で食事をする時間が本当にないという状況までひどくなりました。本当にそんな生活があるのかと自分でも思いましたがそれが2週間ほど続きました。夕方まで何も食べていないことの続いた私を見て、周囲の人間が食べ物を買いに行く時間もないほどに切羽詰った私に食べ物を与えようと「何が食べたい?」と聞いてきました。その度に「肉以外」と答えるようになっていました。こちらのサイトにも"肉を食べると元気になるという常識のウソ"というアーティクルが紹介されていますが、その頃はそんな知識はなかったにも関わらず体が極限状態に追い込まれて本能的に察したのか、「今肉なんて食べたら倒れてしまう。」と思ったんです。それ以来また肉は食べなくなりました。
現在はノン・ミート・イーターにあたると思います。でも、周囲の友人にはペスコ・ベジタリアンと認識されているようです。家では乳製品も全て大豆で出来ス物かライスミルクしか取らないのですが、外食となるとチーズや牛乳を摂取してしまうもあるので、そのあたりが曖昧な状態になっています。たまにタンパク源と思って卵を食べていたのですが、このサイトを拝見させていただいてその必要がないことを知り、卵もやめようと思うきっかけを与えてもらいました。何より、大豆製品が大好きで冷蔵庫にはかならず豆腐、納豆、豆乳、があり、たまに食べるヨーグルトも大豆で出来たものなので、もとから十分すぎるほど植物性たんぱく質は取れているんですよね。そして、子供の頃からたまに出ていた蕁麻疹。その度に乳製品や卵の摂取を控えなくてはならなかったことを考えても私の体には必要ないということの表れのような気がします。今後外食での乳製品ももっと厳しく取り除いていこうと思っています。自分の体が欲していないのに尊い命を犠牲にすることはできません。といいながら、魚はたまに食べているんですが。魚介類で体に影響が出たことはまだありません。

2)その後の苦労話
アメリカで生活をしていることもあり、ベジタリアンへの認識も高くあまり苦労はしていないと思っています。友人知人にもベジタリアンは多いので。肉を食べないと知ると「思想上のためか?健康のためか?」とよく聞かれますが、実際は両方なのにめんどくさいと感じてしまうことが多々あり、アレルギー体質ということを利用して「健康のため」とだけ答えるようにしています。肉食の人たちと思想上のことで論争をする気は毛頭ないのですが、時にはっきりと自分の意見を言うということを抑える行為に疑問を感じないことがなくもありません。でも、思想上のことは分かり合えない人とぶつかっても溝を深めるだけだと思うので、それが多少のジレンマです。どちらかといえば、こちらにいる日本人の方に説明する時の方が多少気を使います。友達にはすらっと言えてしまいますが、知人程度の人だとベジタリアンの多い国にいるとはいえ日本人の私がベジタリアンということで、多少奇妙な目で見られるところがあり、気を使いますね。向こうにも気を使わせてしまうのが感じ取られるのが不便に感じます。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
明らかに体調がいいです。


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