私が菜食になったワケ

小次郎とユキ
もう覚えていない位前の子どもの頃から、動物を食べることへの違和感は抱いていました。
それが形になって意識されたのは、高校の授業で、畜産動物の屠殺の場面をうつしたビデオを見たときでした。
ベルトコンベアーのような機械に逆さまに吊り下げられた鶏たちが、死の瞬間に向かって動いていく場面…今でも目に焼きついています。
感受性の非常に鋭い動物たちにとって、その恐怖と苦痛はどれほどのものでしょうか!
考えただけでも、胸苦しくなります。
その頃から本格的に肉食への問題意識が高まり、肉の摂取量は減らしていましたが、本当にベジタリアンになったのは社会人になってからでした。
今の食生活になってからは、以前よりも心が澄んで安定していられるような気がします。
カウンセラーをしているので、こうした精神状態を保てる今のライフスタイルは、職業上も有益なようです。


うに
私は中学、高校と父の仕事の都合でアメリカに住んでいました。
ディズニーランドには「ベジタリアン・バーガー」が売っていたり、
レストランでもベジタリアンメニューがあったりと身の回りで
たくさんのベジタリアンライフを見ることがありましたが
当時の私は「きっとアレルギーの人が食べているのだろう」と
思っていてあまり気にも止めませんでした。

その後しばらくして宗教的に牛肉、豚肉を食べない人がいると聞き、
ベジタリアンメニューはそういう宗教の人たちの為に作られた
メニューなんだな、さすが人種の多いアメリカだと思ったものです。

もちろんその時も自分には関係の無いことだと思っていました。

日本に帰ってきてからたまたま職場にベジタリアンの方が居たのですが
周りの反応を見て私は大変驚きました。

「あの人、お肉食べないみたいよ」
「なんかかわいそうだね」
「ちょっとおかしいよね」
「変な宗教でも関わっているのかな」などなど。

アメリカに居た時はそのようなことを言う人は居なかったのです。
特に「変な宗教」という言葉が日本人の宗教に対する感じ方の
表れだとつくづく感じました。
確かに犯罪を犯した宗教団体も居たのでその影響かもしれませんが
私は信仰する宗教はそれぞれの考えがあると思うので他人が
とやかく言う事では無いし、ましてや「変な」なんて言うことは
筋違いだと思いました。

でもそれが日本の現状です。
今でもベジタリアンに対して殆どの人が偏見の眼差しを向けると思います。
「にんじんが嫌い」と言ってにんじんを食べない人へ向ける眼差しとは
わけが違うと改めて思いました。

私がベジタリアンを意識し始めたのは1年ぐらい前からです。
きっかけは些細なことでした。
夫とある牧場へ遊びに行ったのですが、そこで馬に乗ったりと
一日遊んだ帰り、その牧場のすぐ近くで「馬刺し」が売られていたのです。

「馬刺しって今乗っていた馬なの!?」と衝撃を覚えました。

それからインターネットで色々調べて、牛や豚の屠殺現場の映像を見てから
スーパーに並んでいるお肉を直視することが出来なくなりました。
今まで自分がおいしいと言って食べていたお肉は実は発癌性物質が
含まれている可能性があることや、人間の本来の体は肉食に
適していないということも学びました。

今では夫も私がベジタリアンであるという事を理解してくれましたが
当初は同じように「何のまね?」「お肉食べないなんておかしい」と
非難していたものです。
でも理解はしてくれても、夫はベジタリアンになろうとはしませんので
今でも夫の為にお肉を買う事もあります。
しかしこればかりは本人の意識の問題なので私も強制できないと
仕方なく感じております。
いずれ夫にも私が感じたような気持ちが芽生えることを願って、
今は徐々に使うお肉を大豆たんぱくなどのもどき肉に移行していき
いつか夫が菜食を決めたときにお肉に未練を持たないよう、
実はそんなに普段からお肉は食べていなかったんだよと言えるように
基盤を作っています。

私はもっと前向きにベジタリアンであることを主張できるようになりたいと思います。
いつか、私がアメリカで感じたように、世の中色んな人が居るから
ベジタリアンが居ても別におかしいことではない、という考えが
日本人全員に芽生えれば、きっともっとベジタリアンになる人が増えることでしょうね。

この素晴らしいホームページをもっとたくさんの人に
広めていきたいと思います。
それが日本人に暖かい、思いやりの気持ちを戻すことに繋がると信じています。

最後になりましたが、これからのこのホームページの
益々の発展をお祈り申し上げます。


マンダラ
私は、ヨガをはじめたのがキッカケです。自分の体が変わってきて、肉を必要としなくなってくると自然と菜食になっていました。そして、べジでいると体が楽なこと、肉食だった頃よりも健康なことに気がつきました。そうして自分に目を向けれるようになったら、自分以外のことも考えられるようになってきて、kayaさんのように、環境や動物や他人やその他も大切で全部がつながっていると思えるようになってきました。
ALIVEのビデオ「畜産動物の一生」を観たのも大きかったです。


UNTANTIN
菜食になった理由なんですが、言葉でいうと難しいのですが、こんな感じです。
野菜なら自分で作って、育てて 採って 食べる このながれにあまり抵抗を感じないのですが、これが肉だったらどうか。
自分で育てて、殺して 食べる ・・・ こんなことは、とても自分には出来ない そう思う気持ちが強くなってきたからです。

すべてのものには魂があると思います。野菜の魂と動物の魂 どちらも魂があるのでしょう。でも 動物を食べるとういうことは共食いをしているのと同じなのでは?という疑問があります。
人間は動物の肉を食べるようにが出来ていないのではないかと・・ 殺されてしまう側の気持ちがわかってしまった状態で食べることはとても出来ない。。だから食べないほうがよい そう思うようになりました。 ジャングルの動物が同じ動物を食べるじゃないか・・という意見でよく反論されることがありますが肉を食べることが出来る動物は、殺させる側の気持ち(感覚)を理解できないから出来るんだと思います。

人間の感覚って どこか麻痺しているのかもしれません。
過程を無視して結果だけがある 目の前の肉 これは肉ですけど死骸のかけら。。
スーパーの肉コーナーは、死骸のかけらが沢山並んでいます。
これが人間だったらどうなのか。おそらく普通の人は、近づけないと思います。これって何か変ですね。人間だって同じ、豚や牛と同じ 動物なのに。。
そのように何にも疑問を持たずに生きている人が多いんだと思います。
犬を食べるのは可哀想 でも豚ならOK
イルカを食べるのは残酷 でも鯨ならOK
これってどうみても変です。人間様のご都合主義ですね。
私も去年までは なんの疑問もなく食べていましたので説得力がないですが、こういう、肉がお店に並ぶまでの過程(現実)を知ってしまったので、食べるころが出来ない、というのが正直な気持ちです。だから 気がついてくれる人が沢山でてきてほしい、と毎日思っています。

良かったこと。。あまり勝ち負けにこだわりがなくなったことです。もともと、勝ち負けにこだわりは無いほうですが、さらにこだわりが減りました。だから私は世の中から見れば負け組なのでしょう(笑)

苦労したこと。。やはり、忘年会や新年会 みんなで食事をする際、どうしても肉が出てきます。まわりの雰囲気を壊してしまいそうな気がして少し口にしてしまいます。
その後、気分が悪くなって もどしてしまうんですが。。


micchy
私が肉を嫌うようになったのは、急になんです。急に気持ちが悪くなって、身体が受け付けなくなったからです。卵もたべられなくなりました。なぜかひよこの姿が浮かんだりして。。それまでは、肉を調理する時に、「これって生きていたんだよなぁ。。動物をとさつをする人がいて、こうやって食べれるんだけど、間接的に自分たちはなんか卑怯な気がするなぁ。。でも、おいしいから、急に断つことなんか出来ないよ。。。」とか思うことが多かったのですが、現実に肉を食べる気がしなくなる日が来るとは思いませんでした。でも母親は、栄養失調になるよ。。などといいますので、少量は食したりしていますが、最近ますます嫌になってきました。鳥肉はまだ食べれると思っていたのに、やっぱ鳥も受け付けなくなりそうです。これは、ダイエットにもいいし、波動的にもいいことだと思っているんですが、周りがあまりにも身体に悪いことのようにいうので、いろいろ調べて立証したい気持ちになって、ここのサイトにもたどり着きました。やっぱり自分の身に起こったのはありがたい自然現象なのだと、確認できたところです。ありがとうございます!!


MM
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)
私が本当の意味で菜食を決意したのは殺され行く動物たちの実態をインターネットで目の当たりにしたからです。知らなかったでは済まされないと思いました。他、環境に優しい、健康にいい、などもあります。

2)その後の苦労話
コンビニやスーパーで買う加工品の殆どが動物性食品を含んでいたり、お酒を作る過程や、化粧品や石鹸など身の回りの多くのものに動物が使われているので、どこまで実践するべきかのライン引きに苦労しました。今は、できる限りのことをやろうという感じです。
3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
良かった点 自分は菜食をしているという意識がバイタリティーを高めてくれてます。そして生きる上での自信にも繋がりました。
悪かった点 やはり人と食事や飲みに行ったとき、ダメな食べ物はあるかと聞かれると、動物性食品全般とは言いにくいです。


kazu
ワタシが菜食になったわけは、ヨガ・瞑想を本格的にやりだしてからです。去年からインドに、ヨガ・瞑想のコースを受けに行っているのですが、特に今年のコース後は、肉や魚はカラダ的にもう欲しがっていない状態になっていました。食べられないことはないのですが、野菜や豆のほうが美味しく感じるんですよね。だから、カラダが浄化されてゆくごとに、自然と必要のないものが落ちていったという感じです。瞑想には、消化にやさしいライト・フードがいい、というのも大きな理由でもあります。そんな感じです。
ちなみに、インドではたんぱく質はなかなか取りづらかったのですが、日本は大豆製品が豊富でとても良いです。なかでも納豆は素晴らしい。安いし、ウマイし、1品でもおかずになるし、納豆エライ!


ちゅーた
1)菜食を決意した理由といきさつ(きっかけ)

私は、魚、乳製品はとらせていただいてますが月に一度食べるか位で肉は約2年食べていません。だからまだ完全ベジではありませんが…。
いきさつは元々、野菜が大好きで全く食べなくなる前からなるべく控えていたのと動物愛護と彼氏が完全ベジタリアンだったことかな。

2)その後の苦労話

今の私の環境は幸いベジに対する理解があるので今はそんなに苦労はないですがやっぱりべジに対する理解力がない方との食事はお互い嫌な思いをしてしまう事がありますよね.特に飲み会やパーティーなど。
もちろん他人にもできればべジになってもらいたいって気持は少しはありますが、だからと言って肉を食べてる人に対して非難の気持はありません。
ただ、これを人に言うとちょっと変なのって言われちゃうんですが、べジじゃない人と食事をしていて肉を散々注文したくせに残してるのを見るととても悲しくなります。
私の考えでは食べる為に残酷に殺された動物なのに、最後は食べる事すらしてもらえなくゴミになってしまう。
これって食べられるよりももっとひどいと思うんですが…。
ただ単にその死を無駄にしてるっていうか。
だから肉の残り物や間違って注文してしまって来てしまった肉類は果たして食べた方がいいのかなって思ってしまう。
だってそこで誰かが食べなかったらただのゴミになってしまう訳で…。
でも、どこかで見たんですが、かといって自分のペットや知人が食べられる為に殺されたとしたらさすがにそれをむだにしたくないってので食べるのは無理で…。
こんな出来事があった時にもう一度ベジタリアンっていうのを考えてしまいます。
今は肉の残り物などはできる限りペットにあげたり持ち帰って食べたいって言う家族にあげたりしています。
これっておかしいかな???
結局どこかで食べると食べないとの線を引かなきゃいけなくってその引き所が難しいです。 でも私自身、その線の引き所はその時々少し変わってもいいんじゃないかなって思います。 あんまりきつくやっちゃうと私自身が少し参っちゃうからできる範囲で。

3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点

良かった点は便秘をしなくなった事。にきびが出来にくくなったこと。
短気が少し減った気がする。
そして更に野菜が美味しいと感じる。


jezebelalice
12年くらい前Londonで、ある動物愛護グループの人たちが配っていたLeaflet(FactoryFarming)を見て考え出して1年くらいで肉をたべなくなりました。そして最近私はやっとVeganになりました。卵を産む鶏たちとMilkをくれる牛さんたちがどんなに苦しい思いして生きていることを習ったからです。それ前はMilk、卵はころされたものじゃないから、と自分に言い訳して食べていました。大変だったのはチーズをあきらめることでした。私の1歳半の子供もVeganで育てます。今住んでるNewYorkでは肉ばかり食べる人のほうがめずらしいくらいでVegetarianはもちろん、Veganもとても増えていて、そしてそういうビジネス(レストラン、HealthFoodStore,)もどんどんできています。アメリカのいなかではまだめずらしいみたいだけど。不便なことは何もないです。


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