●現代栄養学は本家アメリカでは崩壊の憂き目にある
アメリカの唱えた現代栄養学は、アメリカ自身が今日ではこれを否定する方向に向かっています。
ところが日本においては、未だにこれが金科玉条のように堅く信じられ、その盲信振りは神話の域を出ていません。
アメリカ上院栄養問題特別委員会は、1970年代後半にその調査報告を次のようにまとめました。
「現代の死病(killer disease)は、アメリカ国民に由来する食原病であり、したがって現在の食事パターンを変更することが好ましい。国民の健康を向上に向かわしめ、医療費急増による国民経済の圧迫と損失を防ぐには栄養学を根本的に見直すことが急務であり、これこそが今、急がれる国家的緊急課題である」
これは、有名な「マクガバン・リポート」として日本でもお馴染みである。
この報告書の中心課題は、「現代のアメリカ国民の間に蔓延している成人病は、食事が原因しているものであり、医学的に治療する前に、食生活そのものを改める必要がある」というものであり、食事の改善こそ急務であるとしたものです。 そしてこの裏付けは、アメリカ国民の心臓病死の半減を当面の目標において、これまでの現代栄養学の主軸であった動物性蛋白質の摂取を出来るだけ控え、これに変わって穀物菜食に切り替えるというものでした。
更にアメリカの食糧政策は、かつての日本人の食生活に眼を付け、食物性の蛋白源の根源である大豆食品に焦点を当て、日本の戦前・戦中・終戦直後の穀物菜食に健康の原点があるとしたものでした。この結果、「マクガバン・リポート」が発表されて十五年間のうちに、心臓病死による被害を30%も減少させることに成功しました。
そして1991年にはアメリカ国内の3000人に及ぶ医学者や健康関係の研究者から構成されたPCRM(the Physicians Committee foe Responsible Medicine/「責任ある医学のための医師会」)が発足し、現代栄養学に基づくこれまでの食体系の変更を行い、その主軸の食品群をその第一に野菜を挙げ、第二に豆類、第三に果物、そして第四に穀類並びに穀類から作られた玄米パンを挙げて、肉や卵や乳製品などの動物性蛋白質は消えてしまっているということです。
PCRMは食事指針を明確にする少数グループの、植物性食品を推薦する医学者や栄養学者から構成された有識者団体ですが、彼等の運動は大衆レベルにまで及び、アメリカ国民の食体系の意識は、徐々に変わり始めているというのが現実です。
かつて日本人に肉食万能主義を強制し、その動物性蛋白質の重要性を説いたアメリカは、実は、動物性蛋白質は人間には必要無いと、ハッキリと断言し始めているのです。
●グルメブームの中で日本人と韓国人だけが、美食に踊らされている●
私達日本人は、戦後、アメリカによってもたらされた現代栄養学を、今日に至っても、何の疑いもなく信奉しています。
しかし現実は、現代栄養学の本家であるアメリカにおいてですら、既に崩れ去ろうとしている現実にあり、今や、世界の食体系に対する常識は、動物性食品から植物性食品に移行しようと、その動きを示し始めています。
イギリスの医学誌『センシブル・イーティング』はその論文の中で、「西洋人は肉類、動物性脂肪、乳製品、精製炭水化物を摂り過ぎ、植物繊維を十分に摂っていないという事実に異議・異論を挟む栄養学者は殆どいなくなっている」と記し、人間の正しい食事法には、穀物菜食が最も有効であると明確に述べています。
そしてイギリス国内には、穀物菜食主義こそ、健康を維持し、長寿を全う出来る基本原則であるという思考は徐々に定着し始めています。
ところが、どうしたわけか、このような世界的な食体系のベースをなす基本常識の中で、日本人と韓国人だけが、未だに肉食主義を奨励し、焼き肉こそスタミナ源のもと、という盲信を抱いており、特に日本においては、グルメだ、美食だと、肉食料理がもてはやされています。
既に肉食料理は、死刑宣告がなされたにもかかわらず、あくなき舌先三寸の美食に酔い痴れる現実を作り出し、国民大衆を騙して、己の利益の追求しか考えない政財界やこれに関連する食品企業は、何と悪辣で、独占的な思考で凝り固まっているのでしょうか。
また、彼等から膨大な見返りを受けて、その片棒を担ぐ、現代医学者や現代栄養学者は、マスコミなどを通じて官民一体体制を作り、かたくなに動物性蛋白質の奨励を促しています。
そして何も知らない国民大衆は、まんまと踊らされ、自らの胃袋を企業のご都合主義のゴミ箱と化しているのです。
肉は腐敗するという性質のものです。
これは医学的に言っても、常識であり、肉類は、それに含まれる蛋白質だけが吸収されるのであれば、それにこしたことはありませんが、残念ながら、肉類は腸内で腐敗する運命にあり、その過程において、硫化水素、アンモニア、その他の毒素である腐敗物質が腸管から吸収されてしまいます。
また、肉類には繊維質がないため、便秘を引き起こしやすく、毒素の吸収は更に高まり、人体を一層不健康の方向に導きます。
更に加えて、肉類には老廃塩が多く含有されていて、以上の毒素に加えて、エキシュール、プリン塩基、馬尿酸を含み、これ等の毒素は血液を汚染し、その汚染が原因で、血液は濁り、粘り、痛風や神経痛、リュウマチや動脈硬化を引き起こします。高脂血症や糖尿病も、こうした血液の汚染に由来しています。
医学的に見て肉類の脂肪は、その硬化度が食物油や魚油に比べて非常に高く、低温になると凝固を始め、こうした独特の性質から血管にこびり着きやすく、動脈硬化は言うまでもなく、高血圧や心臓病の病因にもなります。
これだけを見ても、植物性食品の方が優れており、栄養学的に見てもこの差の開きは一目瞭然です。
中でも、玄米、玄麦、粟、稗、黍などの五穀は、古来より日本では人民の間に親しまれ、こうした食体系を主軸に日本人は伝統を受け継いできました。
今日の、欧米風の食生活に溺れる、現代の日本人は、まず、これまでの正しかった先人の智慧(ちえ)に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
さて、五穀の中で主役を努めるのは、何といっても「米」であり、この米とは、古来より「玄米」を指していました。
玄米としての米とは、精白をしてない米のことであり、米は、一旦精製してしまうと、本来の穀物としての栄養価は失われます。米や麦は、精製すると、穀粒の外皮部分の、最も栄養価の高い「麩(ふすま)」と呼ばれる部分が排除されてしまい、あとはカスばかりになってしまいます。カスとは「粕」であり、単に澱粉の塊になってしまいます。
今日、多くの日本人や韓国人、その他の周辺国で食されている米は、その多くが白米であり、口にやさしい、やわらかな、咀嚼回数が少ない粕を食べることが現代食生活の常識となっています。
しかし一方で、白米は死んだ米でもあります。
その証拠に、白米を田畑に蒔(ま)いても発芽しません。
一方、玄米は生きているために、土に蒔き、水を与えれば発芽します。これは外皮を取り去れば、死んでしまい、また、生命力すらないということを如実に物語った証拠といえます。
文字通り、白米と言う字を横にすると、「粕(かす)」となり、白米を食べることは、カスを食べていることになります。
精製し、玄米を白米にすると、玄米に元来含まれていたビタミンB群は殆ど抜け落ちてしまい、更に柔らかく、口当たりのいいものになってしまうため、噛まずに、咀嚼回数が少なくなるという欠点が目立つようになります。
まず、ビタミンB群が抜け落ちると、脚気(かっけ)や胃腸病になり、様々な機能障害の病因を引き起こします。更に怖いことは、白米を食べすぎると直腸癌になることが、医学的にも判明しており、食養道では「三白癌」の一種に数えられています。
ここに「泥腐る」原因があり、また、江戸時代には、白米の食べ過ぎは「江戸患い」の元凶とされました。
今日でも、白米は栄養学的に見て「粕」であることは明白な事実であり、白米を主食にすると、カスを補うために、濃厚な味を求め、ついには肉食に及ぶという原因を作り出します。そして肉を食べれば血液の酸化が起こり、癌の病因となって、ついには、人間の本来から備わった「霊的神性」という霊性を著しく低下させます。
更に米は、外皮を取り去るという作業過程で酸化が始まっているということを知らなければなりません。それは恰度、林檎(りんご)の皮を剥くと、白い林檎の果肉が酸化して、黄色に変化するあの現象に酷似しており、私達は林檎を食べやすくするために、普段から皮を剥いて、林檎を保存するでしょうか。
しかし、米の精製は、恰度、林檎の皮を剥いた状態であり、酸化を促進させていることになります。したがって白米を食べ過ぎると、肉同様に酸化物質を体内に取り込むことになり、血液の酸化に拍車を掛け、腸内に大量の腐敗物質を残留させる結果となり、いわゆる酸性過多(アシドーシス)状態を作ってしまうことになります。
腸癌の元凶は、こうした酸化した腐敗物質が、長時間腸内に留まることが原因で起こる病気であり、また、血液の癌も、腐敗物質の取り込みで血液が酸化し、汚染したことが原因で正常細胞を狂わし、癌が発生します。
この事から、白米はビタミンやミネラルが抜け落ちた欠陥食品であるということは一目瞭然です。
●食と生命のかかわり
白米は、欠陥食品であるから、その補いとして副食に重点が置かれるようになります。そのため、栄養成分を他で補うために御数(おかず)が重要視され、ついには濃厚な味を求めて、肉食に白羽の矢が立ちます。そしてこのプロセスは、過食傾向に趨(はし)る現実を生み出します。
過食に趨ると、その結果から、まず胃腸の生理が混乱します。
次に、腸内で異常発酵という腐敗現象が起こり、リゾレシチンをはじめとする二級アミン、その他の腐敗物質から発癌物質へと変化が起こり、発癌現象が促進されます。
また、ビタミンB群が欠乏すると、糖質代謝が狂わされるため、発癌現象に拍車を掛け、これが進行すると肝癌を発生させやすいことが確認されています。
その他、玄米に含まれているビタミンKは、抗癌作用を持っていますが、白米には精製の過程でこれが抜け落ちているため、腸内での合成は行われないことになります。
更に、玄米の抗癌性には次のような効果があります。
玄米の発芽成分中には、抗癌物質が含まれていることが確認されています。
また玄米に含有するフチン酸は、放射能汚染や農薬などの発癌性物質を排除する働きがあり、玄米の卓越性は医学的にも証明済みです。
悠久の昔から、米を主食としてきた日本人は、食と生命のかかわりを明白にし、世界に先駆けて世界中の人々を、食生活の中で指導していかなければならない立場にありますが、残念なことに、その使命感を忘れ、グルメだ、美食だと追いかけて、舌先三寸のあさましき世界にこだわり、これに踊らされているというのが実情です。これは非常に残念なことです。
●五円玉に象徴される瑞穂の国・日本
日本が古来より瑞穂の国と称されてきた事は、稲作が縄文時代より伝えられ、今日まで連綿とし手続き、これが日本独特の伝統文化をつくり出しています。
一般に縄文時代といえば、鳥や魚や獣を狩猟して、移動しながら生活をし、更には、木の実や近海の魚貝類を食糧として食べていたと思われていますが、既に縄文期には約7000年以上前に大陸から稲作が伝わり、約3000年前位になると、水田や水路を作り、木鍬や石包丁を使って稲作が行われていました。
この稲作を開始した頃には、集落が存在し、水田造りとタネ蒔き、刈り入れ、脱穀などが行われ、集団生活と古神道(仏教・儒教・道教など外来宗教の強い影響を受ける以前の神道)によって、自然と共に生きる生活が営まれていました。
こうした伝統を連綿として続け、この伝統文化は後に、田楽や狂言として今日に伝えられる事になります。これ等の文化は、もともと田植えや秋祭りの時に、鐘や太鼓に合わせて歌ったり、踊ったりしたものが、芸能として発達したものでした。
また天皇の行事としては「新嘗祭」(にいなめさい)があり、天皇が新穀を天神地祇にすすめ、また、親しくこれを食する祭儀が、これにあたります。古くは陰暦11月の中の「卯の日」に行われました。
近時には11月23日に行われ、祭日の一つとされましたが、現制ではこの日を「勤労感謝の日」として、国民の祝日に加えたものです。
そして天皇の即位後に、初めて行う祭儀を「大嘗祭」(だいじようさい)と言います。
以上の祭儀の目的は、豊かな稔りに感謝して、礼念の豊作をも願う宮中の祭でした。
今日では農業だけでなく、総ての勤労に感謝する日となっています。
こうした伝統は、日本が瑞穂の国である事を象徴しています。
さて、稲が伸びる成長段階を追って見ますと、「分(ぶん)けつ前の苗」を育てる為に苗代に種が蒔かれます。そしてやがて芽が出たら苗床に生えた苗が移し変えられ、田植えとなります。
植え付けられて約20日ほどで、根はしっかりと大地を捉えます。この分けつまえから「分けつ」の状態であり、大地から養分を吸い上げます。これが植え付けてから約60日ほどの段階です。
やがて穂に穎(イネ科植物の花または小穂の基脚外側にある葉状の二つの小片)が出来、それが開いて稲の花が咲きます。穎が開くと「おしべ」から花粉が飛び散り、これは穂の上部から開始され、約一週間がかりで開花を終了させます。
●空前のグルメブームに冷めあらぬ日本人の醜態
世界同時不況は静かに水面下で進行し、その行き先は全く見えていません。
しかしこうした現実の中で、日本人は世界の中でも、不況とは無関係に、未だに飽食の時代の真っ只中にあって、飢える世界を余所目(よそめ)にグルメブームに踊らされ、うつつを抜かしています。
アジア諸地域やアフリカでは飢餓難民が増加の一途にあり、そうした国際世情を尻目に、日本人の多くは、好きな食べ物を、好きなだけ、好きな時間に腹一杯食べ、非常に饒(ゆた)かな食生活を満喫しています。
かつて日本の歴史を振り替えって見ると、日本には数え切れないほどの悲惨な飢饉が何度も起こっています。しかし、こうした歴史を振り返り、これを真剣に考える人は殆どいません。
さて、日本人が今日のような食生活を欧米型で満喫するようになったのは、戦後以降のことであり、それも近年になってからであり、こうした経済的繁栄の享受に国民が恩恵を受けるようになったのは、つい最近のことです。
スーパーやデパートの食料品地下街に行けば、処狭しと溢れんばかりの高級食材が並び、コンビニエンスストアーは二十四時間、欲しい食品を常に供給しています。
何時間並んでいても食品が手に入るかどうか分からないロシアや北朝鮮に比べれば、食事情は極めて良好であり、天国と地獄の差を感ぜずにはおられません。
何と幸せな国だろうか……と思わず口走りたいところですが、実は、この「仮初(かりそめ)の幸せ」に日本国の落し穴があります。
好きなもの、食べたいものは、お金だけ出せば何でも手に入るという社会構造こそ、飽食に明け暮れ、美食に舌鼓を打った代償として、実は大変なものを失いかけているのです。
医療の最先端技術は、確実に日本人の平均寿命を延ばし、世界一の長寿国となりました。しかしその一方で、成人病を患う青少年や壮年層が急増の一途にあり、また、植物人間として薬漬けにされた現実があります。
世界一の長寿国と言っても、薬漬けにされて、寿命をだらだらと引き伸ばされているだけで、真の意味での長寿でなく、また、安らかに長寿を全う出来る状態とは程遠く、老人は病院の固いベットの上で、植物人間状態にされて、悲惨な状況の中で、辛うじて動物的な寿命を繋ぎ留めているというのが現実です。
天命を全うする老人など、探してみれば何処にも居ず、多くの老人は、最後は病死するか、寝た切り植物状態や、惚け老人になって、哀れな人生の幕を閉じることになります。そしてこうした多くの老人は、死生観を超越することもなく、また、生死の問題も解決する事なく、生に飽くなき未練を引きずりつつ、哀れな死を迎えます。
こうした哀れな死を迎える老人や、若くして病死する殆どの病人の死因も、その病状は難病奇病が原因であり、また、業病化しているというのが現実です。
したがって、自然死における天寿を全う出来るというものではありません。苦しみつつ、藻掻きながら、臨終を迎えるというのが実情です。
さて、日本における死因の第一位は、何と言っても「ガン」です。
年々増加の一途を辿る癌死亡者は、今日では三十万人以上と推定され、凡そ三分間に1.5人の割合で死んでいることになります。
そして死因の第二位は心臓病、第三位は脳卒中で、これは仮に死亡しなくてもボケたり、寝た切りの植物状態の後遺症が残ります。
更にその後に、エイズが追いかけてきています。既に、推定五千人以上と目されているこの病気は、今後も猛烈な勢いで増え始めて行くことが予想され、日本は仮に戦争や天変地異に巻き込まれなくても、確実に日本人の躰は死の淵に向かって驀進(ばくしん)しています。
これまで最先端医療技術が発達したと思われた日本で、以上のような病気が蔓延しているのは何故でしょうか。
●食が乱れると社会も乱れる
実は、こうした病気の背後には、日本人の食する食体系の誤りから起こる食事法に原因があります。
既に、食と病気のかかわりは世界の医療の権威筋では証明され居ることであり、日本だけがこうした指摘を余所目に、グルメだ、美食だと踊らされているのです。
「食が乱れ、慎みがなくなれば、必ず、その肉体は病む。そしてそれは肉体だけに留まらず、精神も病み、魂は穢(けが)され、霊性は地に落ちる」
これこそが、日本人にとって重要な危機であり、こうした現実に眼を向ける人は非常に少ないというのが実情です。
したがって食生活の改善は急務であり、これを怠ると、体質も、気質や物事の思考までが悪循環に陥ります。
日本人の霊的神性の凋落(ちょうらく)はここに存在し、こうした凋落の元凶は、今、青少年の間に静かに蔓延していることは紛れもない事実です。
人間は、刻々と変化する社会現象の中で生きています。人体もこうした現象に左右されます。
昨日の貌(かお)と、今日の貌は厳密に言って違います。それは私達の躰の細胞が常に新陳代謝を繰り返しているからです。
人体を構成している体細胞は、絶え間無く少しずつ新しいものと置き換えられ、古いものを次々に脱ぎ捨てて、新しいものに着替えるという作業が繰り返されています。
こうした置き換えは、臓器や器官によって異なりますが、喩えば肝臓では約半月間ですっかり新品になり、頭髪は約半年で新しいものに抜け変わります。
この「新しいものに置き換えられる」という現実の中に、病気が治り、健康を回復するという、人体のメカニズムがあります。
病気にかかっているということは、体細胞の働きが弱るからで、その原因は主に老廃物や腐敗物質の体内停滞にあります。こうした体内停滞が起これば、異常変質が起こり、体細胞は病的化します。
体細胞は常に変質し、次々に新陳代謝を繰り返して新しいものに置き換えるという運命を背負っています。したがって新しく生まれる体細胞を健全にして行けば、自然に病的細胞は駆逐できますが、異常変質が起これば躰も心も蝕まれます。
健全な新しい細胞を造るにはどうすればよいかということが「食養道」であり、それは食生活を改善して血液の浄化を図るということが大切であり、この浄化を「浄血」といいます。
人間は、その人体構造が水冷式の哺乳動物の肉体を採用しているため、躰の中を食物が流れていくメカニズムになっています。その食物から栄養分が取り込まれ、その栄養分を以て時々刻々と体細胞が作り出されています。こうした現実を振り返ると、人体は「食の化身」ということが言えます。
したがって気質や体質や思考能力までもが食物の影響を直接的に受け、安易に「何でも好き嫌いなく、好きな時間に腹一杯食べる」という食物摂取の無責任な考え方は通用しません。
人間の人体を造る上で、適切な食べ物と、そうでない食べ物を間違いなく選び出して、人間に許された食べ物を食べなければ健全な人体を構築することは出来ないのです。
昨今の社会現象を見てみると、食の間違いから起こる由々しき事態が起こっています。
青少年犯罪の低年齢化、自分の事しか考えない悪しき個人主義、礼儀をわきまえない日本の少年少女の現実、喧嘩早く、好戦的で、切れやすい我慢知らずの彼等の実態は、食の誤りから起こったものです。未来の日本を担うべき彼等の使命は、今や暴力と性欲の誇示に費やされ、精神的にも肉体的にも、どこか病んでいます。こうした現状は、やがて日本中を覆い尽くし、亡国に向かわせるのは必定です。
こうした由々しき事態に少しでも歯止めを掛けるために、「西郷派大東流合気武術・武士道集団」は忽然と立ち上がり、古人の研鑽した「大東流霊的食養道」を広く啓示し、ここに日本人民を善導に向かわしめる意義があると考える次第であります。